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3-4



「ロナルド様、騎士団より、急ぎ、伝令の方が」


 エルマーがコーディを振り返り、コーディが一歩前に出て騎士の礼を取る。


「ご歓談中、大変、失礼いたします。フェアクロフ師団長、至急、第二師団本所へお戻りください。緊急の案件です」


 この文言は最初から決めていた通りで、つまり相変わらず空気の読めない緊急討伐はないが、コーディが時間通り来てくれたということである。


「分かった。すぐに」


「許しません」


 イライザが苛立たしげに言った。

 ロナルドは目だけを母に向ける。


「お前のために集まってくれたご令嬢たちに失礼です。最後まで残り、見送りをするまでここにいなさい」


「出来かねます。……母上、何度言っても分からないようですが、俺の結婚相手を決めるのは、貴女ではありません。王太子殿下です」


 母の取り巻きのご令嬢たちが息を呑んだ。伯爵令嬢とシンディは、はらはらと様子を見守るに徹している。


「王太子殿下がお心の広い方だからこそ、母親のメンツを立てるという理由で今回、俺がここにいることを許してくださっています。だというのに、王家から任される第二師団の仕事をないがしろにしてまで、この茶番に付き合えと?」


「どこまでわたくしを馬鹿にすれば気が済むの!!」


 振り上げられた扇子が投げつけられ、ロナルドの頬をかすめる。


「血が……!」


 シンディが息を呑み、エルマーが「奥様!」と鋭い声を上げた。

 ロナルドは何度目かも分からない溜息を零して、ハンカチを取り出し頬に当てる。


「……『あんな化け物産まなきゃよかった』と、そうご自分でおっしゃったことも、忘れたのですか?」


 母の灰色の瞳が見開かれた。赤い唇がきつく噛みしめられる。


「貴女が毛嫌いした化け物(息子)が、少し立派になったからとすり寄られて、反吐が出るのはこちらです」


 取り巻きの令嬢たちが、一歩、二歩とイライザから離れる。


「もう二度と、私は貴女の顔を立てることも、貴女の我が儘に応じることも、何一つ、致しません。それが気に入らず、いつものように騒ぎ立てて、俺の大切なものを傷つけようとするなら――何もかもを喪う覚悟をしてください。……それでは、失礼」


 ロナルドは、令嬢たちを見回して一礼し、押し黙る母に背を向けて歩き出す。ヴィムも一礼し、着いてきた。


「行くぞ、コーディ」


 固まるコーディに声をかけ、エルマーに「後は頼む」と告げて庭を突き進んでいく。


「よ、よろしいんですか?」


 コーディが後ろを振り返りながら、小声で問いかけて来る。ヴィムも「大丈夫?」と心配そうだ。


「……我慢できなかった」


 ロナルドは苦虫を噛み潰したような心地で応える。

 波風立てず、平穏に去ろうと決意していたはずなのに。


「まあ、あれじゃあねぇ……」


 ヴィムが苦笑交じりに言った。


「反省なんて一つもしてない顔してたもんねぇ」


「殺してやる、くらいの眼差しだったな、あれは」


 はぁぁぁとロナルドは溜息を零した。

 あれだけのことを息子に言われて、イライザが抱いた感情は、後悔でも反省でもなく、間違いなく屈辱と殺意だった。灰色の目が、銀色のナイフに見えたほどだ。


「こうなったら兄上にさっさと爵位を継いでもらわねばな」


「大人しく隠居してくれますかねぇ」


 コーディのぼやきに、ロナルドは無理だろうなぁと心の中でぼやく。


「……とりあえず、当面、我が家の護衛はもっと厳重にしないとな」


「手配しておきます」


 コーディが手帳にペンを走らせる。

 ロナルドはそれを横目に歩きながらもシンディが渡してきた手紙を取り出し、封を切って中身を取り出す。ひらりと紙が落ちてコーディが拾う。


「何か落ちましたよ……ん? 『シンディに頼まれました』? 」


 コーディの言葉に彼が差し出す紙を覗けば、確かにそう書かれていて、末尾に「ジェフリー」とサインがしてあった。

 では、これはジェフリーからの手紙を装った、シンディからの手紙なのか、とロナルドは二つ折りにされたそれを広げる。

 そこにつづられた文字に足が止まった。


「ロナルド?」


「師団長?」


 ヴィムとコーディも足を止めて首を傾げた。

 ロナルドは、二人にも見えるように手紙を広げた。


『フェアクロフ侯爵令息様へ

 一つだけ、厚かましいと承知の上でお願い申し上げます。

 どうか、私たちの父、アシュリー伯爵にだけは、あの子の存在を知られないよう、お願い申し上げます。

 貴方様なら、あの狂気からあの子を守ってくださると信じております。

                           シンディ』


「……どういうこと?」


「彼女は家族から虐げられていたのではないのですか?」


 ヴィムとコーディが困惑顔でロナルドを見上げて来るが、ロナルドにだって、どういうことなのかさっぱりと分からない。


「分からん……彼女も言っていたんだ。勉強やなにやらすべて押し付けられて、代わりに自分がしていたけれど……姉が無知だとは思えなかったと」


 ロナルドは便せんを折り畳んで封筒に戻し、懐に入れる。


「クラリスが知らない何かが、あるのかもしれないな」


 止まっていた足を再び踏み出す。馬車はもう目と鼻の先だ。中にはロナルドの世界で一番愛しい人が待っている。


「お待ちくださいませ、ロナルド様!」


 聞こえてきたのは女の声でちらりと振り返れば、それは母の侍女だった。


「待つべき理由はない」


 そう断言して、ロナルドは駆け出し、コーディが数歩前に出て(足の速さは獣人族である彼の方が速いのだ)、先に馬車に着くとドアを開けてくれた。ロナルドはカーテンをわずかに開けて中へ乗り込み、ヴィムは御者席に飛び乗った。コーディがドアを閉め「行ってください」と声をかけ、馬車が動き出す。コーディはもう一頭、後ろにいた馬に乗って来るのだろう。

 走り出した馬車の中で、ロナルドは溜め息を――今度は安堵にこぼすのだった。





「ロ、ロナルド様?」


 勢いよく乗り込んできたロナルドに楽譜を手にクラリスが目を丸くしている。

 ロナルドはクラリスの隣に座り、有無を言わさず抱きしめた。

 クラリスは、柔らかな緑の匂いがする。我が家で使っている洗濯物用の洗剤の匂いだ。そこに彼女自身の甘い匂いが混じって、命が芽吹く春先のような優しい香りがする。


「ロナルド様?」


「ただいま、クラリス」


 ぎゅーっと抱きしめれば、クラリスはくすくすと笑いながら、楽譜を置くと細い腕で抱きしめ返してくれた。


「おかえりなさいませ、ロナルド様」


「ああ。……寂しくなかったか?」


 少し腕の力を緩めて、クラリスの顔をのぞき込む。青い瞳が柔らかに細められる。


「シエルがいましたもの」


「ちゅんちゅん」


 忘れんなよ!とシエルが向かいの座席で翼を広げて鳴いた。


「そうか、そうだったな。すまない」


 素直に謝れば、分かればいいんだよ、とでも言いたげに「ちゅ」と鳴いて、その場にもぞもぞと座った。そして、なんとそのまま寝た。


「お昼寝中だったんです、今まで」


「それは邪魔をして悪かったな」


 ぽりぽりとロナルドは頭を掻いた。


「大丈夫ですよ、シエルは優しいですから。それより、大丈夫でしたか?」


 クラリスの手がいたわるようにロナルドの頬を撫でた。


「……穏便に、波風立てずに去る予定だったんだが、母に喧嘩を売って来てしまった」


「まあ。あ、ここ、怪我」


 驚くクラリスをまた抱き寄せて、その肩に顔を埋める。


「ロナルド様、怪我……」


 頬の怪我に気づいたクラリスがもぞもぞと動くが、抱きしめる腕は緩めない。


「あまりにも腹が立って、言わんでいいことを言ってしまった。すごかった、目で俺を殺す気なんじゃないかという具合で睨まれた」


 クラリスの抵抗が止む。


「……なんて、言ってしまったんですか?」


 クラリスの手がぽんぽんと子どもをあやすように背を撫でてくれる。


「……過去に母に言われた言葉を蒸し返した。『こんな化け物産まなきゃよかった』というやつ。それで……化け物が少し立派になったからとすり寄るな、二度と我が儘はきかない、と」


「侯爵夫人は、それで怒っているんです? 反省もせず?」


 クラリスの声が驚いている。


「そうだ。……謝ってくれるとは万に一つも考えたことなかったがな。アラン曰く『謝罪をしたら死ぬんじゃないかというくらい謝罪が嫌い』らしいから」


 そこで一度、言葉を切って、ロナルドはクラリスを抱き締める腕にますます力を込めた。


「でも……心のどこかで、これを言った時、母は後悔してくれるんじゃないか、と思っていた。俺が、幼かったあの日の俺が、傷ついただろうことを……知ってくれるのではないか、と」


 クラリスが、またもぞもぞと動いて彼女の細い腕が背中から離れて、腕の中から抜け出してロナルドの頭をそっとその胸元に抱き寄せてくれた。

 とくん、とくんと規則正しく時を刻む心臓の音が――命の音が聞こえる。


「期待、していたの?」


 その問いかけに、ロナルドは少し考えてから頷いた。

 そうだ、ロナルドは期待していた。そんな感情、もうとっくに捨てたと思っていたのに、ロナルドは期待をしてしまっていた。

 母が後悔してくれると。気づいてくれると。


「そんなもの……するだけ無駄だ。あの人は人間の皮を被った魔獣みたいなものなんだから。人間としても真っ当な心を求めるだけ無駄なんだ。……そう、分かっていたはずなのにな。魔獣騎士と呼ばれる俺の」


「ロナルド様は人間だから、しょうがないですよ」


 よしよしとクラリスがロナルドの髪を撫でる。


「期待して、落ち込むのが人間ですもの」


「そうだろうか」


「魔獣相手に常識が通用しないのは、誰よりロナルド様がご存知でしょう?」


 ふふふっと可笑しそうに笑う声がロナルドのささくれだった心をまあるくしてくれる。

 ロナルドも、ははっと笑って顔を上げる。


「そうだな。あいつらに話し合いを申し込んでも牙と爪を向けられるだけだ」


 こつんと額をくっつけて、その美しい青い瞳をのぞき込む。


「怪我、どうしたんですか?」


「怒った魔獣が扇子を投げつけてきたんだ。あとでヴィムに診てもらう、から……」


 青い瞳が消えたと思えば、頬の傷に柔らかなものが触れた。それが彼女の唇だと数瞬遅れて理解する。


「や、やけど……!」


 思わず体を離すがクラリスはきょとんとしてロナルドを見上げていたが、すぐに顔を青くして手を伸ばしてくる。


「火傷? まさか、お、お茶でもかけられたんですか?」


 ぺたぺたと細い手がロナルドの頬に触れ、だんだん下へと降りて、肩や襟に触れる。


「違う、君、唇、血……」


 同様のあまり片言になったロナルドに、クラリスが、ぱちぱちと瞬きをした後、ロナルドの言いたいことを理解して微笑んだ。


「大丈夫ですよ? 唇は、ほら、この通り。……ん、血って本当に鉄の味……」


 自分の唇を指さした後、ぺろっと赤い舌が覗いた。彼女の柔らかな唇にわずかについていた血の味にクラリスは眉を下げた。

 言葉なんてものはどっかに行ってしまって、性懲りもなくロナルドはクラリスを抱きしめて、その唇を奪った。

 逃げ道を全て塞ぐように抱き寄せて、呼吸をしようと開いた唇に侵入して、何もかもを奪うようなキスをする。

 思う存分、堪能してクラリスを開放すると、真っ赤な顔でくたりとロナルドに寄りかかって来る。ぱちぱちと繰り返される瞬きも、どこかゆっくりだ。


「い、いまの……?」


 いつもの触れるだけのキスと違う深く交わるキスに混乱しているようだ。その様があまりに可愛らしくて、よいしょと抱え上げて膝に横抱きに抱える。


「大人のキスだ」


「おとなの、きす」


 ぽーっとしながら、華奢な指先がロナルドのせいで赤くなった唇に触れた。


「血を、舐めても平気ならと思ったが、大丈夫か? 口内を火傷していないか?」


 だんだんと戻って来た理性にロナルドは慌てて確認する。

 クラリスは、こくん、と頷いて微笑んだ。かとおもえば、恥ずかしそうにロナルドの胸に顔を埋めて隠してしまった。

 ここから見える首筋が真っ赤だ。ロナルドは、宝物をそっと抱き寄せる。


「だ、大丈夫か……?」


 すっかり帰って来た理性で冷静になった頭は、突然、なんてことをしでかしてしまったんだと焦っている。


「うん」


 ちょっとだけ顔を上げて、目じりを緩めた上でのあどけない返事にロナルドの役に立たない理性が再び出かけようとするのを、なんとか押しとどめる。頭の中にアランを呼び出せば、ぷんすこぷんすこ怒ってくれる。


「……ちょっと大人になっちゃいました」


 ふふっとクラリスが胸元で嬉しそうに笑った。

 ロナルドの理性がはじけ飛ぶかと思ったが、笑顔で(※ただし目は笑ってないものとする)なぜか麺棒を持ったモニカがロナルドの脳裏に現れてくれたおかげで、どうにかこうにか微笑みだけを返すことができた。

 この後ロナルドは、騎士団に到着するまで脳裏でモニカに麺棒を構えてもらい、たわむれるようなキスを交わしながらも、なんとか理性を保つことに成功した。

 ただ、クラリスのあまりの可愛さに浮かれて、シンディからの手紙は綺麗さっぱりすっぽぬけてしまったのだった。




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