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3-3


 フェアクロフ侯爵家の門をくぐったのはいつ以来だったろうか。母と会わなかった時間と同じだけの時間が経過しているはずだ。

 おそらくだが学院を卒業して、騎士団の養成所に入るために家を出たのが最後だった気がする。養成所の休みの期間や入団後は寮にいたし、師団長になって家を買ってからは、病状の悪化もあって、何度か呼び出されたが「無理」という返事をした気がする。


「何も変わらないな」


「そうだねえ」


 向かいの席でヴィムがロナルドの独り言を拾った。

 学院の長期休暇を実家と疎遠のヴィムもこのフェアクロフ侯爵家の別邸でロナルドとモニカとともに過ごしていた。

 庭師がこまめに手入れをする庭はあの頃と同じで小奇麗なままだ。


「帰りたい……」


「まだ門をくぐっただけだよ。ほら、着いた」


 馬車がポーチに停まる。御者が降りて、ドアを開けてくれた。無論、御者は変装した部下である。ヴィムが先に降り、ロナルドは重い足を引きずって馬車を降りる。

 天気がいいから庭で茶会が開かれているのだろう。庭の奥の方から令嬢たちの声が聞こえる。

 実は少し前に茶会は既に始まっているはずだ。わざと時間を遅らせてきた。そうすれば、開始までの間、余計な時間を実家で過ごさなくて済む。


「坊ちゃま、おかえりなさいませ」


 迎えてくれたのは、アランの弟のエルマーだ。彼も長いこと侯爵家に仕えてくれていて、アランが辞去した後は、家令を勤めてくれている。


「久しぶりだな、エルマー」


「とてもご立派になられて、坊ちゃまも、ソーウェル子爵様も」


 ソーウェル子爵は、ヴィムのことだ。つまり坊ちゃまは、ロナルドになる。


「もう坊ちゃまはよしてくれ。そんな年じゃない」


「いえいえ、身を固めるまでは坊ちゃまでございますよ」


 茶目っ気たっぷりにエルマーが言った。

 もしかしたら、エルマーはアランから何か聞いているのかもしれない。エルマーは信頼に足る人物であるし、アランとの仲も良好だからだ。


「ではもう少しだけ坊ちゃまだな」


「楽しみにしております。さて……遅刻でございますが?」


「朝の会議が長引いたんだ」


「では致し方ないですね。平和を守る尊いお仕事でございます」


 エルマーは穏やかに微笑んだ。敏い彼は、ロナルドが遅れてきたわけも察してくれているだろう。


「会場は、あちらか?」


「ご案内します」


 そう言ってエルマーが歩き出し、その背についていく。

 ロナルドは無意識のうちにクラリスの羽根がしまってある左胸のポケットを撫でた。抜けた髪の毛に魔力が残るように、羽根にも魔力は残っているのだろう。魔石と同じだけの効果を感じられる。


「今日、父上と兄上は?」


「旦那様は書斎で領地からの報告書を確認しておられます。若旦那様は、いつも通り登城しておられますよ」


「そうか」


 兄は宰相補佐として城で働いているのだ。なかなか多忙だと聞いている。


「義姉上は落ち着いたか?」


「それがなかなか。坊ちゃまの時もつわりが酷く、大変そうでした。現在は療養も兼ねて、ご実家に帰られています。ここだとあの人がうるさいですしね」


 げんなりした様子でエルマーが最後に小声で付け足した。あの人とは、ロナルドの母――イライザのことだろう。

 兄の妻は、現在、第三子を妊娠中だと先日、教えてもらった。兄は「母上みたいな女は絶対に嫌だと」と宣言して、母と正反対の穏やかな性格の令嬢と結婚した。社交界でも評判の愛妻家なのだ。

 先日会った際に妻のつわりが酷く、大変そうだと兄も心配していたのだが、あんなうるさい姑がいたら、より一層、具合も悪くなるというものだ。ロナルドでさえ近づくと頭痛がするし、いや、気配だけで胃もたれする。


「うーん、妊婦さん関係は、僕、専門外だしなぁ」


 ヴィムがのんびりと呟く。彼は騎士団所属なので、外傷や毒には強い。


「あ、エルマーさん。今、ロナルドのそばにいて、肌がぴりぴりしたり、頭痛やめまいを感じたりしますか?」


「いいえ、全く」


 エルマーのにこやかな返事にロナルドはほっと息を吐く。


「まさか坊ちゃまのご病気がここまでよくなるとは……ソーウェル子爵様には、なんとお礼を申し上げればよいか」


「僕だけの功績ではないですよ。ロナルド自身の努力と、そして、多くの人々の協力のおかげです」


 ヴィムは「ね」とロナルドに同意を求めるので、ロナルドは頷く。


「だが、ここまで来られたのは……特効薬にたどり着くまで生きていられたのは、お前の献身があってこそだ」


 ロナルドの言葉にエルマーはうんうんと頷いた。ヴィムは虚を突かれたような顔をした後、なんだか照れくさそうに頭を掻いた。


「さて、微笑ましいやりとりはここまで……ここから先は戦場でございます」


 背の高い垣根で囲まれているスペースの前でエルマーが足を止めた。アーチをくぐれば、茶会会場ということだろう。

 女性たちの華やかな笑い声が聞こえて来る。


「エルマー、帰ってはだめか」


「だめでございます。……緊急の案件に関しましてはコーディ様より事前にご連絡を頂いております。万が一にも依頼がありました場合は、すぐにお知らせいたしますので」


 なだめるように言われて、ロナルドは「分かった」と頷いた。

 家に帰ったらモニカが美味しいご飯を作ってくれると言うし、なにより、クラリスがロナルドのためだけに恋の歌を歌って、膝枕までしてくれるのだ。なんとしてでも生きて帰らねばならない、と魔獣討伐に行く時よりも気合を入れる。


「ヴィム、異変があったらすぐに教えてくれ」


「了解。頑張ろうね」


 ぐっと拳を握ったヴィムにロナルドも拳を握って返し、襟を正して、一歩を踏み出した。


「奥様、ロナルド様が到着いたしました」


 エルマーが声をかけると令嬢たちが一斉に振り返った。

 会場にはいくつものテーブルセットが置かれ、数人ずつ令嬢たちが歓談を楽しんでいたようだ。

 踵を返し、全力疾走する戦略的撤退を選びたくなったが、ロナルドは無表情のまま会釈だけして、母のイライザの元へ行く。


「遅れまして、申し訳ありません」


 イライザはロナルドの頭からつま先まで視線を走らせ、扇子をもったいぶるように閉じた。


「遅刻だわ」


「申し訳ありません。会議が長引いて」


 ロナルドは言葉少なに返す。

 きっとイライザの両隣にいるのは、彼女のお気に入り、つまり一押しの令嬢だろう。確かに美しい見た目はしているが、目がギラギラしていて、母と同じ雰囲気を感じるので、ただただ嫌だと思った。

 兄が母と正反対の、穏やかな令嬢を選んだように、ロナルドもクラリスの控えめで穏やかな性格を好ましく思う。母のおかげで兄弟で好みが同じだと気づいて笑ってしまう。


「……何がおかしいの」


 心の中だけで笑ったつもりだったが、表に出ていたようだ。失礼、と告げて咳払いをした。


「遅れてきたのだから、見送りまできちんとなさいね」


「約束いたしかねます。討伐依頼が入れば、そちらを優先しなければなりませんので」


 イライザの紅い口紅に彩られた唇の端がわずかにひくついた。


「……そう」


「遅れたことを詫びつつ、会場を回ってまいります」


 そう告げてロナルドはさっさと胃もたれする母から離れる。ヴィムは「失礼いたします」と一礼したが、人を見下すことに関しては右に出る者はない母は、昔から伯爵家の妾腹であるヴィムには興味も関心もないので、会釈さえ返さなかった。

 彼がこの国にとって、どれだけ重要な位置にいるのか理解できていない哀れな人なのだ。

 ロナルドは各テーブルを回り、挨拶をする。しかし、騎士団で部下たちに助言をもらった通り、付け入る隙を作らないよう、無表情で出来る限り冷たくふるまい、一定の距離を保つ。

 一体、どこからかき集めて来たのか、令嬢が三十人ほどいて、挨拶も一苦労だ。

 最後のテーブルでロナルドはわずかに目を瞠る。

 そこにクラリスの異母姉、シンディ・アシュリーがいた。薄いピンク色のデイドレスに身を包み、金色の髪を綺麗に結い上げた姿は、この間、ロナルドの家に駆けこんできた時よりずっと令嬢らしい姿だった。


「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。ですが、遅れてしまい、申し訳ありません。ロナルド・フェアクロフと申します」


 先ほどからずっと同じ言葉を繰り返しているので、シンディに驚きつつもすらすらと言葉が出てきた。


「いえ、第二師団の師団長様ともなればお忙しいでしょう? わたくしは――」


 ご令嬢が気遣いの微笑みを浮かべて挨拶をしてくれる。

 テーブルごと、なかなかに特色がある。母に近いテーブルはロナルドを獲物として見ているが、母から遠いテーブルは、付き合いで来ているのだということが伺える。目つきが全く違うのだ。

 挨拶で大分、時間がかかったので、あとはこのテーブルで時間を潰そうとヴィムに目線を送れば、彼も同意見のようで頷いた。


「フェアクロフ侯爵令息様、そちらの方は……」


 最初に挨拶をしてくれたルクレール伯爵令嬢が首を傾げた。


「彼は俺の主治医です。君たちに万が一のことがあってはならないので、ついてきてもらいました」


「ヴィム・ソーウェルです」


「まあ、貴方があの有名なソーウェル子爵様ですか?」


 ルクレール伯爵令嬢が頬を染める。おや、とロナルドは眉を上げる。


「わたくし、女学院で魔法薬学を専攻しておりまして、ソーウェル子爵様の論文をいくつも読ませて頂きました。どれもこれもとても興味深くて、いつかお話を聞きたいと思っておりました」


 少し早口になりながらルクレール伯爵令嬢が告げた。ロナルドの脳裏にちらっと某魔獣大好き侯爵令息がよぎった。


「僕の論文を? 貴女は薬師か治癒医師を目指しているのですか?」


「……魔法薬師を目指しております。両親はあまりいい顔をしておりませんが」


 ルクレール伯爵令嬢は苦笑交じりに言った。

 薬師や治癒医師は大変な仕事だ。そもそもこの国の貴族女性は働くことをあまり良しとしない風潮がある。もちろん中には誇りを持って仕事をしている貴族女性もいるが、変わり者と称されてしまうことも多々ある。


「わたくし、冷蠟草(れいろうそう)の効能を研究しているのです」


「冷蠟草、ルクレール……あ! 思い出した。冷蝋草の八種の効能の論文、あれを書いたのが君ですか?」


 ルクレール伯爵令嬢は、こくこくと嬉しそうに頷いた。憧れの人が自分の論文を読んでくれていた事実に感動している様子で微笑ましい。


「あれは面白かったよ。僕にはない視点で、とくに四番目の血液循環の補助に関する理論は、証明実験をしたほどだよ」


「あ、ありがとうございます……!」


 ルクレール伯爵令嬢は感極まった様子で頭を下げた。シンディの友人なのか、シンディはくすくすと柔らかに笑いながら「良かったわね」と声をかけている。


「連絡先を交換しておいたらどうだ? 優秀な薬師はうちにだって何人いたっていい」


「それはそうだね。よければ、連絡先を聞いても? 僕はここに手紙を送ってくれればいいよ。何分、忙しいものだから返事は遅くなってしまうかもしれないけれど」


 ヴィムがメモ帳を取り出し、万年筆を走らせると破り取って伯爵令嬢に渡した。ルクレール伯爵令嬢は震える手でそれを受け取ると「わたくしは、こちらに」とヴィムが差し出すメモ帳に研究室の名前を書いた。


「実家は良い顔をしないので」


 学生ということは女子寮に住んでいるのだろうが、女子寮はあれこれ厳しい。その上、実家もだめとなれば、研究室が一番だろう。


「そちらのご令嬢も何か研究を?」


 シンディを知らないヴィムが声をかける。シンディの話はしてあるが、ご令嬢に会う機会のないヴィムは顔を知らないと言うことを失念していた。そして、貴族というものを無意識に拒否しているヴィムなので、クラリスの実家の名前を覚えていないのだろう。


「いえ、私は女学院ではなく、家庭教師の先生に見て頂けているだけです。彼女とは幼いころからの友人なのです。ですが……」


 シンディの青い瞳がロナルドに向けられる。


「フェアクロフ侯爵令息様、先日は我が家の留学生がお世話になったそうで……どこかでお礼を言えたらと思っておりました」


「あ、ああ。ジェフリーはアシュリー伯爵家に滞在しているんだったな」


 この辺りで彼女がクラリスの異母姉だと気づいたらしいヴィムが「あ」と小さく声を漏らすのが聞こえた。


「はい。とても喜んでいて、ずっとあなたのお話をされていました」


 シンディがくすくすと笑う。

 クラリスを探しに来た時とは本当に別人のようで、まさか双子の姉妹とか何かだろうかと混乱する。


「実は今日のお茶会も貴方のご実家と知って参加したがっていたのですが、さすがに断りました。でも、もしも隙があればと伝言を頼まれたのです」


 そう言ってシンディはポケットから、青色の封筒を取り出した。ジェフリーの署名がしてあり、おそらく彼の家紋の蝋封がしてあった。


「ジェフリー様から、どうしてもとのことで、受け取って頂けますか? 申し訳ありません、このような場で……」


「構わないよ。彼の話は実に興味深かかったんだ。また話が聞けたらと思っていたところだ」


 手紙を受け取り、懐にしまう。もちろんクラリスの羽根をしまってある方とは反対側のポケットだ。


「ロナルド」


 傲慢な声にうんざりしながら振り返れば、イライザが取り巻きを従えて、こちらにやって来た。不機嫌そうに扇子で手のひらを叩いている。


「どうされました?」


 ロナルドは一応、問いかける。


「今日は皆、貴方のために集まってくれているのよ? 一か所にとどまらず、他のご令嬢のところにも」


「俺は集めてと頼んだ覚えはありませんが? ご自分が勝手に集めたのでしょう。そんなこともお忘れですか?」


 やれやれとロナルドは肩をすくめた。母の頬が盛大に引きつる。


「ご令嬢の皆様には貴重な時間を無駄にさせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいですよ」


 はぁぁあとロナルドはわざとらしく溜息を零した。


「おや、残念ながら時間切れのようですね……」


 ヴィムが茶会会場の出入り口を振り返る。そこにエルマーとコーディが丁度、到着したところだった。



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