3-1
「作戦はこうです」
ガタガタと車輪の音が響く馬車の中、コーディがぴんと人差し指を立てる。
並んで座るクラリスとロナルドは向かいの席に座るコーディをじっと見つめる。
「会場にはヴィム先生が同行します」
コーディの隣に座るヴィムが頷く。
「ヴィム先生の同行に関しては、先方――フェアクロフ侯爵家にも了承を得ています。万が一、魔力に異変があった際はヴィム先生が対処してくれることになっていますので、その点はご安心ください」
「ああ」
ロナルドが頷く。
「クラリス嬢は、馬車の中で待機をお願いします。僕は後で別の馬に乗り換えて、単騎で侯爵家に行き、緊急討伐依頼を持ち込みます。この討伐依頼は口裏合わせ済みなのでご安心ください」
クラリスも「はい」と頷いた。
ちなみにシュティーは大きいのでお留守番だが、シエルは一緒に来ている。今日も彼はお気に入りのコーディのふわふわの耳にくっついて満足そうだ。
だが急にコーディの表情に深刻さが増す。
「師団長、到着後、師団長と先生が降りた後、僕とクラリス嬢が二人きりになってしまう時間が出来てしまうのですが、絶対に指一本触れませんので!」
必死に訴えるコーディにロナルドは、ぽかんとした後、ふっと表情を緩めた。
「コーディのことは信頼しているから、気にしていない。それにシエルという心強い騎士がいるからな」
「ちゅん!」
シエルが「お任せあれ」とでも言うように胸を張った。
コーディもほっとしたように表情を緩める。ヴィムが「よかったねぇ」とのほほんと笑いながら拍手を贈る。
「クラリス嬢、僕が降りた後は、師団長が戻るまで一人きりになってしまいますが……」
「一人時間があると聞いて、楽譜を持ってきたんですよ。今、練習中の曲なんです」
心配そうなコーディにクラリスは足元の布製の鞄(モニカが作ってくれた楽譜用の鞄だ)から楽譜を取り出して見せる。
「それなら良かったです。ですが、御者はダーナ騎士が勤めていますから、何かあったら彼女に言ってください」
「ダーナ様が? でも御者の方は男性だった気が……」
ダーナは薔薇園で蛇の魔獣に襲われた際、騎士団に戻った後もしばらく護衛をしてくれていた女性騎士だ。
「行くのがお見合い会場なので、面倒なことにならないように男装してもらっているんです。侯爵夫人は師団長の傍に女性がいたら、何を言い出すか分かりませんから……」
なるほど、とクラリスは頷く。
「何か質問などありますか?」
クラリスもロナルドも首を横に振った。
「師団長、大変かとは思いますが、頑張ってください」
「……ああ」
沈痛な面持ちでロナルドが頷いた。
クラリスは楽譜をしまい、膝の上の彼の手に自分の手を重ねた。大きな手がすぐに握り返してくる。
「クラリス……俺を信じて、待っていてくれ。君以外を選ぶ気は全くないんだ」
紫色の眼差しが、じっとクラリスを見つめる。
その眼差しは、いつだって真っすぐだ。迷ってばかりいるクラリスとは違って、ロナルドはいつだって真っすぐに前を、未来を見つめている。
でも、だから、クラリスは安心するのだ。
クラリスは、その手を握り返して微笑んだ。
「……はい」
「……本当の本当なんだぞ?」
「ふふっ、分かっていますよ」
寄り道も脇見もしない彼の眼差しが、いつもクラリスに自信をくれる。だから、お見合いと聞いたって、ロナルドが「君だけだ」と言えば信じられるのだ。
「ロナルド様のこと、信じていますもの」
「……」
けれど、ロナルドはどこか腑に落ちないような顔で「本当なのに」と呟いて、クラリスの肩に顔を埋めてしまった。
予想外のことに心臓が跳ねた。だって、クラリスの手を握る大きな手がかすかに震えている。
「あ、あの、ちゃんと信じておりますよ、ロナルド様のこと」
震える手を強く握り返して、クラリスは告げる。
「……分かった」
あまり分かってなさそうな「分かった」という返事に困惑しながら、クラリスは開いている手でロナルドの頭を撫でた。
もしかするとクラリスが思っているよりロナルドも、自信が、ないのかもしれない。だって、似た者同士の二人だから。
それに気づいた瞬間、クラリスの胸にどうしようもない愛しさが溢れて、ロナルドの髪に唇を寄せた。
するとつないでいた手が離されたかと思えば、ぎゅうっと抱きしめられる。
「いぎだぐない……っ」
渾身の行きたくないにクラリスは、目をぱちぱちさせる。
「おやまあ……」
「が、頑張ってください、師団長!」
「ちゅんちゅん!」
ヴィムが驚き、コーディとシエルも励まし始めるが、ロナルドの腕に力がこもっただけで離れそうにない。
クラリスはロナルドの背を撫でながら、どうしたものか、と頭を悩ませる。
お見合いも嫌なのだろうが、きっと、一番嫌なのは、そこに侯爵夫人が――母親がいることだろう。
「ロナルド様、今夜はモニカさんがロナルド様の好物をたくさん作るって言っていましたし、アランさんはロナルド様の好きなワインを一生懸命選んでいましたよ。それに私も新しく練習した曲を聞いてもらいたいです」
「……この間、譜読みしていたやつか?」
「はい。ロナルド様が楽しみにしていてくださったやつです」
「モニカとアランには?」
「まだ披露していませんよ。ロナルド様に一番に聞いてもらいたくて……だって恋する二人の歌だもの」
最後は秘密を囁くように告げる。
ぴくりとロナルドが動いた。ゆっくりと腕の力がほどけていく。
「…………二人きりがいい」
「ふふっ、膝枕もします?」
「する」
「じゃあ、頑張れますか?」
「頑張る……」
よしよしとクラリスはロナルドの頭を撫でる。
もう一度、クラリスをぎゅうっとしてロナルドが体を起こした・
馬車がゆっくりと停まる。
「ここから違う馬車で行くことになります。帰りはこの馬車で参りますので、ちゃんとクラリス嬢はいますから安心してください」
コーディの説明にロナルドが「ああ」と返事をする。
「ロナルド様、例のペンダントはちゃんと身に付けましたか?」
「この通り」
ロナルドが首元からペンダントを取り出した。透明な魔石にはクラリスの魔力がたっぷりと込められている、はずだ。何分、目視ができないので分かりづらいが、クラリスとしてはたくさん込めたのだ。
「ペンダントも身に付けたし、君の羽根もここにしまってある」
ジャケットの内側にあるポケットをぽんぽんと叩き、ペンダントを再び服の中へと戻す。その際、少し乱れた襟を整えてあげれば、ロナルドは嬉しそうに目を細めた。
そして、クラリスに触れるだけのキスをして立ち上がる。
「……では、行って来る」
「はい、行ってらっしゃいませ。ヴィム先生もよろしくお願いいたします」
「うんうん、任せといて~」
ひらひらと手を振って、ヴィムが先に降り、次にロナルドが降りた。
「コーディ、頼むぞ。本当、なるべく早く来てくれ」
「頃合いを見計らって行きますので、あまり早すぎても顰蹙を買いますよ……まあ、本物の討伐依頼でしたら、時間なんて関係なく行きますが」
そう言って、コーディが苦笑を零した。
「あいつは空気を読まないことで定評があるから、信用してない。行って来る」
ロナルドは渋い顔でそう告げるとドアを閉めた。少しの間を置いて馬車が動き出す。
「……あいつって、どなたですか?」
優しいロナルドがあんな顔をするなんて、よほどひどい人なのかもしれないとクラリスは心配になる。するとコーディが慌てて口を開いた。
「人ではなく討伐依頼のことです……! 師団長が来ないでほしいと言う時には嬉々としてやって来るのに、来てほしい時には全く音沙汰がないもので」
「ふふっ、そういうことでしたか」
討伐依頼――つまり相手は魔獣だ。いつどこで発生するかも分からない相手なので致し方ない。
クラリスが笑ったので、コーディもほっとしたように眉を下げた。
「これから近くの協力者の家に行き、僕は、一度、降ります。そこでしばらく待機した後、僕が先導する形で一緒に侯爵家に行きます。到着したら師団長とヴィム先生が乗り込んでくるのですが、その際、できれば外から姿が見えないよう、奥の方に座っていてください」
「分かりました。気を付けます」
「一応、ドアのところのカーテンも閉めておきますが、気を付けるには越したことはないですから、クラリス嬢になにかあったら大変です」
「色々と気に掛けて下さって、ありがとうございます」
「師団長の大事な方ですから。…………こうしてお話しする機会は初めてですよね。改めて、お礼を言わせてください。本当に、ありがとうございます」
コーディが突然、深々と頭を下げた。クラリスは驚いて「コーディ様?」と彼を呼ぶが、その姿のままコーディは先を続ける。
「クラリス嬢に出会った頃、師団長の容体は悪化の一途を辿っていて、事務官である僕でさえほとんど会えない状態が続いていました。魔獣討伐に出かけて、魔力を空っぽにすれば、僕が事務官になった頃は一週間ほどは余裕があったのですが……あの頃にはもう一日で魔力が溢れて直接会うことは不可能になっていました。僕が事務官になって、ほんの三年ほどの間のことです」
「三年でそこまで病が悪化したのですか……?」
頭を下げたままの姿勢でコーディが頷いた。
「ヴィム先生が言うには成人して、魔力の器の成長が止まってからの悪化は深刻だったと。その言葉通り、刻一刻と師団長の命が脅かされているのを感じました。師団長はいつも青白い顔をして、生気が日に日に失われていました。あの頃、一番近くにいたのは僕とヴィム先生でしたから、気づかずにはいられなかった。……でも、あの日、貴女が師団長の下に舞い降りて来てくれた」
コーディがゆっくりと顔を上げた。その真っ直ぐな眼差しにクラリスは背筋を正す。
「貴女の魔力が師団長の魔力に作用すると分かって、僕は師団長に触れた時、棘まみれだった魔力が穏やかになっていて本当に驚きました。……実は僕も以前うっかり触ってしまったことがあって」
そう言ってコーディが革製の黒い手袋(騎士は皆、黒か白の手袋をしている)を外した。
右手の親指、人差し指、中指の三本の指にうっすらと赤く火傷の痕があった。
「怪我をした師団長の血液に触れてしまって……師団長には内緒にしてくださいね。知らないんです、この怪我のこと」
「え?」
「酷い怪我と魔獣の毒で朦朧とされていたんです。ヴィム先生に治療して頂いたので、先生は知っていますが……師団長は優しい方ですから本当のことは話していません。僕のうっかりですし、すぐに洗い流したので後遺症などはないですから」
「分かりました。内緒にしておきます」
クラリスはしかと頷いた。
いつだって誰より彼の魔力の凶暴性に傷ついていたのは、彼自身だった。コーディはそのことをきちんと分かってくれているのだ。
「クラリス嬢のおかげで体調が安定して、毎日、顔を合わせることができるようになりました。顔色も良くなって、魔法も絶好調です。……でも、僕が何より嬉しかったのは、師団長が『この人と生きたい』と貴女を願ったことでした」
コーディが本当に嬉しそうに微笑んだ。
「師団長は僕の領地を守ってくださった恩人なんです。そして僕の知る中で、もっとも勇敢で優しい人なのに……あの人は病気のせいで全てを諦めていました。喜びも悲しみも、未来も、幸福も。だから、貴女を諦めたくないと師団長が宣言した時、本当に嬉しかったんです」
そこで言葉を切って、コーディは一度息を吐きだした。
「……クラリス嬢、貴女にはきっと僕では想像できない悲しみや、傷が、その心にあるのでしょう。でも、どうか……これは、本当に身勝手な願いですが、どうか、師団長を、ロナルド様を諦めないでくれませんか?」
コーディが立ち上がり、クラリスの前に膝をついた。
「貴女だけがロナルド様を幸せにできるんです」
真っすぐな眼差しがクラリスを見上げる。
それはあの日、クラリスを励ましてくれたヴィムの眼差しと同じだ。
そして、その眼差しにクラリスはようやく気付いた。身分差や生まれや、色々な理由で恐れていたロナルドとの未来。
だが、その様々な理由の奥底にあった、一番の恐ろしい理由に気づいてしまった。
「……ヴィム先生に言われたんです。あとは、私がロナルド様の手を取るだけだって。そうすれば、ロナルド様は私を全てから守って、幸せにしてくれる、と」
「その通りです」
コーディが間髪入れずに頷いた。
「……コーディ様、貴方が誰よりロナルド様に忠誠を誓っているから、お願いがあります」




