ジェフリーから見た彼女
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シンディ・アシュリーという女性に対し、ジェフリーが抱く感想は「心優しく知的で品のある、淑女のお手本のような女性」だ。
居候であるジェフリーのことも何かと気に掛けてくれるし、侍従であるトラストにも気を配ってくれる。
だから、あの日、突然、着いてきてほしいと頼まれてフェアクロフ侯爵閣下の自宅に行った時は信じられなかった。
この国に来てお世話になって短いとは言え、その間に知った彼女が取るような行動だとは到底、信じられなかったのだ。
貴族同士の当たり前の約束事である訪問に際する先ぶれも出しておらず、フェアクロフ家の人々はジェフリーと同様に驚いていて、シンディらしくない言葉やふるまいに、憧れの閣下に興奮する傍ら、ジェフリーだって驚いてはいたのだ。
留学中の滞在先の候補にアシュリー伯爵家が上がった時から聞いていた話では、アシュリー伯爵家には娘が一人きりということだったのに、あの日、シンディはクラリスを自分の異母妹だと言っていた。
ジェフリーは、そこで初めてクラリスの存在を知ったのだ。
「シンディ嬢が?」
「はい。良い茶葉が手に入ったので、ぜひ、と」
学院から帰って来て、一息ついたところでトラストがシンディからのお茶の誘いについて確認してくる。
「それはぜひ、と返事をしてくれ。閣下との約束もあるしね」
「承知しました。そうおっしゃると思っておりましたので、お着替えは用意してございますから」
トラストがそう言って、一礼して部屋を出ていく。
ジェフリーは隣の寝室へ行く。そうすれば確かにソファのところに着替えが用意してあった。外出よりいくらかラフだけれど、失礼にならない程度の上品な装いだ。
面倒くさいのでこのままでもいいとは思うのだが、逆らうと厄介だ。トラストの説教は長いのである。
用意してあったそれらに着替えて、部屋を出たところでトラストが戻って来た。
「天気が良いので、お庭のガゼボでとのことです」
「はいはい」
「『はい』は一回でとお教えしたはずです」
「……はい」
じろりと睨まれて、ジェフリーはそそくさと歩き出す。この乳兄弟は、マナーや何やらにとにかく厳しいのだ。
「……先日の例の方からの頼まれ事を遂行なさるのは反対しませんが、慎重になさってくださいね。とても繊細な問題でしょう。どうも伯爵夫人には知られたくない話題のようですが、本日、夫人は夜まで帰って来ませんから、そこはご安心ください」
「僕だってそのくらいは分かっているし、気づいているよ」
ジェフリーの返事にトラストは疑いの眼差しを止めない。魔物に愛をささやきすぎて、人間に対して全くの信頼がないのが伺える。
確かに人間にあまり興味のない自覚があるジェフリーではあるが、この家にクラリスという女性の痕跡が一つとしてない異様さには気づいている。
トラストが、アリスから――彼女は魔獣から自分を守ってくれたトラストに心を許してくれているようなのだ――教えてもらった情報によれば、クラリスは春頃までは今、ジェフリーが住んでいるこの離れに暮らしていたらしい。
だが誰も何もそのことには触れないし、この離れにもクラリスの痕跡など何もない。
離れを出れば、外は爽やかな夏が広がっている。
庭の片隅にあるガゼボでは、すでにシンディが待っていてくれた。
「お誘い、ありがとう、レディ」
「こちらこそ、学院から戻られたばかりなのに来てくださって、ありがとうございます」
シンディはにっこりと微笑んで、どうぞ、とジェフリーに座るように促してくれた。アリスとレイラが手際よく紅茶を入れ、支度をしてくれる。
「おや、ベリーのタルトかい?」
「ええ。市場で良いものを見つけたそうです」
「嬉しいな、ベリーは好きなんだ」
目の前に置かれたのは、赤いベリーがたっぷりと乗せられた円い小さなタルトだ。初夏らしいメニューに自然と顔もほころぶ。
「学院でのお勉強はどうですか?」
「楽しいよ。やっぱりダールマン教授は素晴らしくて、実は今日も先々月くらいの魔獣討伐に関する報告書を読ませてもらったんだけど……」
魔物と魔獣のあれこれについて語り出したジェフリーの話をシンディは、にこにこしながら聞いてくれる。それに時折、質問までしてくれるので、ついついジェフリーも饒舌になってべらべらと喋ってしまうのだ。
背後に控えるトラストが咳ばらいを一つ。それにはっと我に返って、ジェフリーは口を噤んだ。ベリーのタルトはまだそのままの姿だ。
「ああ、すまない、また喋りすぎてしまった……」
「ふふっ、本当にお好きなのですね」
シンディはくすくすと笑って、紅茶を飲んだ。彼女のタルトは半分になっている。
「私もあれこれ勉強はしましたけれど、魔物や魔獣については基礎的なことを学んだだけですから、ジェフリー様のお話は面白いですわ。ジェフリー様が魔物生態学を学んでいるのは承知しておりますが、どうして我が国への留学を?」
「周辺諸国の中では、もっとも広い国土を持つこのエアフォルク王国は多種多様な魔物が棲息し、それに比例して魔獣が出現するんだ。その魔獣を専門的に討伐するファルベ騎士団の第二師団は有名なんだよ。それに他国に比べ、魔獣が多く出現する分、研究も進んでいるんだ」
「家庭教師の先生から第二師団のことは伺ったことがありますが、他国でも有名だとは知りませんでしたわ」
「そういえば、第二師団つながりで思い出したんだけど、この間、一週間くらい前かなぁ。フェアクロフ侯爵閣下に会ったんだよ」
ティーカップを持ち上げた細い手が止まった。
金色のまつ毛に縁どられた青い眼差しがゆっくりとジェフリーを捉えた。
「あの子と一緒だったよ」
青い眼差しの、自分とは違う縦長の瞳孔がきゅっと細くなった。
そういえば、あの子も彼女と同じ青い瞳を持っていたなぁ、と今更、気がついた。
「……そう、ですか」
止まっていた手が動いてティーカップは彼女の唇に触れる。
「僕は閣下の使い魔しか見てなくて、ランチの誘いにうっかり頷いちゃったんだけど、あれはちょっと後悔したね」
形の良い眉が不思議そうに少しだけ動いた。
「それがね、閣下と彼女、交際を始めたそうで……そりゃあもう仲睦まじくて、甘すぎて砂糖漬けになっちゃうかと」
「お待ちください」
カチャンとらしくもなくティーカップが音を立ててソーサーの上に戻された。彼女の後ろに控えていたレイラもワゴンの横にいたアリスも目を丸くして固まっている。
「今、なんと?」
「砂糖漬けになるかと」
「その前の前です」
「ああ、閣下と彼女、交際を始めたようで」
「本当ですの?」
わずかに前のめりになったシンディにジェフリーは、ようやく切り分けたタルトを口に運びながら「仲睦まじい様子だったよ」と頷いた。
甘いカスタードクリームと甘酸っぱいベリーの相性が最高だ。
青い瞳が右へ左へ行ったり来たりして、俯いて止まった。
「…………ここには、不思議なほど彼女の痕跡はないよね。僕だってもし、あの日、君が連れて行ってくれなかったら、その存在を知らないままだった」
彼女は俯いたまま何も言わない。
ティーカップの傍に投げ出されていた両手がゆっくりと握りしめられる。
「……あの子は、父の愛人の、娘です」
ささやくような声でシンディが告げた。
そうなんだ、という感想は飲み込んだ。愛人の娘、というのは異母姉妹という点で考えてはいたことだ。しかもシンディとあまり年が変わらぬ様子だったので、前妻というのは考えづらかった。
「ジェフリー様が滞在している離れで、ずっと暮らしていたのです。母親はあの子が八歳の時に亡くなりました」
「僕が、追い出しちゃった形かな?」
「いいえ」
シンディは首を横に振った。
「……心配、していたんだろう? だから探していたのかな?」
その問いにシンディが伏せていた目を上げた。
青い瞳は戸惑いに揺れている。
「貴方は、何も知らないから」
責めるような口調だった。
シンディは、はっとしたように口を噤んで、再び俯いてしまった。
「いや、無神経だったのは僕だ。誰しもに触れられたくない部分はあるものだよね。もっと人間に興味を持ちなさいと母にもトラストにも再三言われているんだ」
ポリポリと頭を掻いた。
穏便に、社交界を渡り歩く紳士のようには話を引き出せなかったなぁ、と反省する。
「僕は……ただ、あの日の君は、いつもの君らしくないなって、思っただけなんだよ。普段の君は、もっと優しい人だから」
「……優しくなんかありませんわ」
ほんの少しだけ震えている声には嘲りが乗せられている。彼女が彼女自身を嗤っているのだ。
「私はあの子を別の鳥かごに移そうとしていただけですもの。……相手がフェアクロフ侯爵家では、もう私の用意する鳥かごに入れるのは、無理でしょうけれど」
シンディはそう言って、庭に顔を向けた。
伯爵家のささやかな庭は、庭師のおかげで濃い緑の葉が太陽の光を反射して、艶やかに輝いている。そこにぽつぽつと白や黄色の花が咲いていた。
「……あの方は……あの子をどうする気なのです? 愛人にでも据えるのかしら」
「それは……僕にはなんとも」
世情に疎いジェフリーではあるが、閣下の身分とクラリスの身分を考えれば、二人が進む道に障壁が多いことぐらいは察せられる。
「でも、閣下は……彼女をすごく大切にしているように見えたよ」
「母親と同じ道を辿る気なのかしら……」
ぽつりとこぼされた言葉にジェフリーは言葉を詰まらせる。
青い眼差しが見つめる先にあるのは、ジェフリーが暮らす離れだ。きっとあそこで母娘は暮らしていたのかもしれない。
「二人は想い合っているように、あまり人間に興味のない僕からでも見えたけど……」
しどろもどろになってしまうのは、なんの確証もないからだ。
ジェフリーには、確かに二人はお互いを大切にして、想い合っているように見えたけれど、実際はどうなのかは分からない。それほど親しいわけでも、あの二人を良く知っているわけでもない。
「なら、少しは違うのかもしれませんわね……父はあの人を無理矢理、あそこに閉じ込めていたから」
ジェフリーは自分が暮らす離れに視線を向けた。
綺麗に改装されていて、暗い影はないけれど、何かこの家の陰の部分があそこにはあるのかもしれない。
「お母様には、絶対にあの子の話はしないでください。他の使用人にも、そして学院の誰かにも」
視線を感じて顔を戻せば、シンディと目が合った。
「もちろん」
ぶんぶんと頷くとシンディは、ふっと小さく笑った。
「……今度、閣下と会う約束をしてるんだ。まだ日にちは決まっていないけれど、騎士団の研究機関で」
閣下はきちんと約束を守ってくれて、実はあのランチの三日後にはダールマン教授経由で連絡をくれた。彼は忙しい身なので、空いている日を先に教えて欲しい、と。ダールマン教授の講義がある日以外は全て大丈夫だと返事はしてある。
「君が良ければ、話してみるのはどうだろう?」
シンディは、驚いているのか、ぱちぱちと瞬きをした。その様子がなんだかあどけなくて、ジェフリーは少し笑ってしまう。
「……閣下には、失礼を働いてしまいましたから。でも……会う機会は実はもう用意してあるのです。話ができるかは分かりませんが……どうしてもお伝えしなければならないことがあって。もし、その時、話が出来なかったら貴方の伝手を頼ってもよいでしょうか?」
「もちろん! とてもお世話になっているんだ。いくらでも」
ジェフリーが頷くとシンディは、ほっとしたように表情を緩めた。
「でも、君が閣下に会う機会って?」
全く想像ができずに首を傾げる。
「明後日、招待されているんです。……フェアクロフ侯爵家の茶会に」
「それって閣下ではなくて、閣下の実家ってことだよね?」
「ええ。我が家はこれといったものはないですが、由緒だけはありますから、招待して頂いたのです。……閣下のお見合いを目的とした茶会ですわ」
「ええ!?」
大きな声が出てしまい、慌てて口を押えた。シンディは聴覚に優れた猫の獣人族なので、突然の大きな音にびっくりしてしまっている。
「ご、ごめん、シンディ嬢、大丈夫かい?」
「ふふっ、ええ。……驚きすぎですわ」
くすくすとシンディが笑って、紅茶を飲む。
「病気が良くなったとあって、なかなかに人気ですのよ。若くて素敵で、ご実家の爵位も申し分なく、社会的にも立派な方ですから」
「そ、そうなんだ……でも、あの子はどうするんだろう? お見合いなんて」
「さあ」
シンディは肩をすくめた。
「ですから、愛人にするのかな、と思ったのです。……愛人にするなら、返してくださらないかしら」
最後の方は独り言のように零された。
どうしてシンディは、そんなにもクラリスを欲しがるのだろうと思ったが、なんとなく問いかけるのは今ではない気がして、その質問は飲み込んでしまう。
「……その茶会って僕は一緒に行けたりしないよね?」
「さすがに無理ですわ……ジェフリー様を女装させるわけにもいきませんし」
「だよねぇ。閣下の実家を見てみたかったんだけど」
「……でしたら、お迎えに来てくださいますか? 外観だけなら見られるかと」
「いいの!? ありがとう!」
「ジェフリー様にはあの日、無理を言って付き合って頂きましたから。おかわり、いりますか?」
「ありがとう、もう一杯、飲みたいと思っていたんだ。本当に美味しいね」
空のカップにアリスがおかわりを注いでくれる。
「先ほど、研究機関とおっしゃられていましたが。ああいうところには魔獣がいたりするのですか?」
「魔獣はいないよ。魔獣ってね、大概がすごく大きいし、凶暴だから生け捕りは基本的に不可能なんだよね」
「でも、先の広場の事件では確か豹の魔獣が生け捕りにされた、と」
シンディが不思議そうに首を傾げた。
「うん。でも、僕が見た感じでもあれは、純粋な魔獣ってわけじゃなさそうだったし……でも、それでもあれを生け捕りにした第二師団は本当にすごいんだ。実は魔獣って特に肉食系に見られるんだけど、血液でさえ凶暴で……」
それからはまたジェフリーが饒舌に語る魔獣の話をシンディが聞いてくれる時間になった。
トラストでさえ、最近は聞いてくれなくなった話をうんうんと興味深そうに聞いてくれる優しい彼女に、あんまり悲しいことが起きなければいいなと思いながら、ジェフリーは魔獣について熱く語ったのだった。
あとでトラストに「あれはない」と呆れられたのは、また別の話だ。




