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2-4

 クラリスもロナルドが差し出してくれた手を取り、立ちあがる。シュティーもぐーっと伸びをして、大きなあくびをすると、のそのそとこちらにやって来た。シエルもシュティーの頭の上で翼を広げて体をぶるぶるっと震わせた。

 給仕に見送られてレストランを後にする。

 やはり外はもう暑さが夏らしくなってきている。クラリスは手に持っていた帽子を頭に乗せる。


「閣下、あの、先ほどの異常個体」


「ジェフリー様」


 食い下がるジェフリーをトラストが羽交い絞めにして止める。


「隣国の研究についても聞きたいし、ダールマン教授を通して近々連絡を入れるよ。君の考察は面白かったし、よければ、うちの研究機関で話を聞きたい」


「ぜひ!!!!」


「ジェフリー様、お静かに!!」


 あまりに大きな返事にびっくりして、クラリスはちょっと跳ねてしまった。ロナルドが小さく笑って彼の腕に掛けた手を撫でてくれた。


「そういえば、アシュリー伯爵令嬢は、その後、どうしているかな? 我が家に来た時、クラリスの心配をしているようだったから」


 ふと思い出したようにロナルドが尋ねる。クラリスはゆっくりとジェフリーを見た。

 ジェフリーは少し困ったように笑いながら頭を下げた。


「あの時は失礼いたしました。まさか先ぶれも出していなかったとは知らず、とんだご無礼を」


「まあ、次があるなら必ず連絡はしてほしいがな」


 ジェフリーはすみませんと眉を下げた。大人しくなった主にトラストが羽交い絞めを止めて一歩下がる。


「シンディ嬢とは、夕食を共にするぐらいなのですが、あまり込み入った話は……ただ、あの日は朝、いきなり僕のいる離れにやってきて、お供を頼まれたんです。未婚の貴族令嬢が護衛を連れずに一人で出歩くのはよしとされませんからね」


「衝動的に我が家に?」


「僕には、ようやくといった様子に見えました。馬車の中では不安そうに窓の外を見ていて、僕の話は聞こえていなかったみたいでしたね。どこへ行くのかとか尋ねたんですが」


「あの時、俺はクラリスを連れ戻しに来たのかと思ったのだが、なぜかあっさり帰って行った。その後もとくになんの連絡もないし、彼女が我が家へ来た理由を、クラリスを探していた理由を知りたくてね」


「僕にも分からないですが、彼女は悪い人ではないとは思っていますよ。……立場が違えば、見方は変わるかもしれませんが」


 ジェフリーの視線が一瞬だけクラリスに向けられた。その言葉は居候の自分とクラリスとでは受け取り方は違うということだろう。

 おそらくジェフリーはあの日、クラリスとシンディが異母姉妹だということは、シンディの言葉から知っただろうが、それ以外のことは知らないのかもしれない。話しぶりからして魔獣にしか興味がなさそうで、自ら聞くこともなかったのだろう。


「もし、探していた理由など分かれば、教えて欲しい。ただし、俺が探っているというのは内密にな。少し事情が複雑なんだ」


「分かりました。では引き換えに、閣下の魔獣討伐についてなどお聞かせ願いたく!」


「それで君が人間に興味を持ってくれるなら、いくらでも」


 ロナルドが冗談交じりに言えば、ジェフリーは「持ちます、持ちますとも!」と頷いた。トラストが「本当か?」と疑いの顔をしていて、クラリスは笑いを一生懸命飲み込んだ。


「それでは我々はここで失礼する」


「はい、連絡、お待ちしております!」


 絶対ですよ、と念を押すジェフリーに見送られて、クラリスは小さく会釈をし、歩き出したロナルドに合わせて足を踏み出す。シュティーとシエルも後ろからついてくる。


「クラリス、これを」


 ロナルドがどこからともなく日傘を取り出し、広げてくれる。


「モニカに持って行けと言われたんだ。日差しが強いからな」


「ありがとうござます」


 クラリスは日傘を受け取る。通りへ出るとまばゆい日差しに目が眩んで、日傘を下げる。

 落とした視線の先でワンピースの裾が揺れている。


「……君にとって、シンディという人は、どんな人だった?」


 ロナルドの声が静かに問いかけて来る。

 クラリスは、これまでの記憶のページをめくる。


「いつも、私に勉強を押し付けるんです。家庭教師の先生が来ると衝立の向こうにある席に座って、そこでノートをとるように言われていました」


「うん」


「宿題はほとんど私がやっていて……でも、私……お嬢様が――姉が、無教養だと感じたことはないのです。そして、不思議なことにその時間、奥様に呼ばれることはなかったんです」


「うん」


「奥様にはよく怒られたんです。でもお嬢様からお小言はよく頂きましたが、怒鳴ったり、理不尽なことを言われたりしたことは……ないんです」


「あの時」


 その言葉が意味するのは、きっとシンディがロナルドの家に来た日のことだ。


「君は動揺していて、分からなくても仕方がないと思うが……彼女は君を心配しているように見えた」


「お嬢様が、ですか?」


 思いがけない言葉にクラリスは顔を上げた。


「ああ」


 頷いたロナルドの紫色の眼差しがクラリスに向けられる。


「まず、君の全身に視線を走らせていた。怪我はないか、異変はないか、それを探っているように俺には見えた。言葉は冷たいようにも聞こえたが、どこか君を案じているようにも俺には思えたんだ。俺が何も知らない赤の他人だからこそ、かもしれないけどね」


 困ったように笑って、ロナルドは顔を前に戻した。クラリスも自然と視線を前に向ける。

 賑やかな通りは大勢の人や馬車が行き交っている。彼らがどこへ行くのか、何を目的としているのかは分からない。彼らにクラリスたちの行き先が分からないように。その無関心さが、なんだか少し心を落ち着けてくれる。


「……何が正解なのかはまだ分からないが、君にとって幸せな答えが、何か一つでもあればいいな」


「……はい」


 その優しい言葉が嬉しくてクラリスはロナルドに身を寄せる。

 あの場所を離れたからこそ見えてきたものがあるように、もしかしたらクラリスの知らない何かがあるのかもしれない。そう思えるのは、間違いなくロナルドのおかげだ。

 今までのクラリスだったら、悪い結果しか考えられなかった。


「まだまだデートを楽しみたいが、暑いし帰ろうか。まだ本調子ではない君をこれ以上連れ歩いたら、モニカたちが心配する」


「でも帰る前にお花屋さんに寄って頂けますか? モニカさんから注文のお花を受け取ってきてほしいと頼まれているんでウ」


「そういえばそんなことをアランも言っていた。うちが贔屓にしているのは、確かあっちの地区だな。馬車を拾って向かおう。少し遠いから」


 そう言ってロナルドが足を止め、行き交う馬車の中で乗れそうな辻馬車を探す姿を眺めながら、クラリスは真っ青な夏の空を見上げる。

 姉もクラリスも、瞳の色は青だった。シンディは父親譲りの青でクラリスは母親譲りの青。ほんの少しだけ濃淡に差があった。

 違うけれど、同じ。この青い瞳はクラリスとシンディを繋ぐ色だった。

 あのクラリスよりわずかに明るい青い瞳には、何が見えていたんだろう。

 そんなことを思ったのは初めてだった。


「……リス、クラリス?」


 呼ばれているのに気づいてはっと我に返る。

 いつのまにか目の前に辻馬車が停まっていて、ロナルドが心配そうにクラリスを見ている。


「すみません、考え事をしていて」


「花屋は俺が行くから、先に帰るか?」


「大丈夫です。元気ですよ」


「……まあ、顔色もいいし……具合が悪くなったらすぐに言うように。では、行こう」


 そう言ってロナルドが差し出してくれた手に、日傘を畳んでから手を重ね、馬車に乗り込んだ。シュティーは無理やり足元に乗り込んだ。シエルがクラリスの肩に着地する。

 ロナルドが御者に行き先を告げて、馬車はゆっくりと動き出した。


「……なぁ、クラリス」


「はい」


「今度の例の茶会……ついてきてくれないか」


「え? でも……」


「君は馬車の中にいてくれたらそれでいいんだ。君が馬車で待っていてくれると言うだけで俺の精神は安定し、心が救われる」


 ロナルドが真剣な表情で言った。クラリスは膝の上にあった彼の手に自分の手を重ねて微笑む。


「それでロナルド様のお心が軽くなるなら、いくらでも」


「ありがとう!」


 そう言って、表情を明るくしたロナルドにクラリスも笑みを深めたのだった。




※本日は午後19時に幕間を更新予定です

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