2‐100萬菫不殺 毒を制する毒
どうすれば、禁毒を解毒できるのか。
(考えろ)
毒に敗けてはならない。白澤の叡智を接ぎあわせて、新たなる薬を産みだせ――先人はそうして薬をつくり続けてきた。できるはずだ。
「虎血の毒のもとは人毒と一緒よね」
「そうだね。千種の毒だよ。だが、組みあわせは諸々だ。僕は蟲の毒を基としたが、植物の毒、鉱物の毒を基とするものもいる」
鴆の話を聴きつつ、慧玲は白澤の書を解いて思考を廻らせる。素姓もわからぬ千種の毒を絶つ。そんなことが果たして可能なのか。
「確かなことはひとつ、これは敗北者の悔怨でできた毒だ」
彼がこの毒を「でき損ないの毒」と言うには毒が造られた経緯も絡んでいるのだ。
「毒師たるもの、毒を喰らえど毒に喰われてはならない。にもかかわらず、彼らは毒を喰らいきれず、毒に食い破られた。窮奇の一族の恥だ」
鴆は辛辣だった。
だが、毒に喰われ、薬を毒としてしまった白澤の一族と逢えば、慧玲とて蔑むだろう。一族の誇りというものはそれほどのものだ。
(考えろ、考えろ)
ふと風に乗ってよもぎの香が漂ってきた。妓館でたかれる香にしてはさわやかすぎる。どこからだろうかと捜せば、窓の端で虎をかたどった香包が揺れていた。布地には五毒の蟲である蠍に蛇、蜈蚣や蟾蜍、蜘蛛の刺繍が縫いつけられている。
「端午祭の飾りだね。とうに毒月は終わったが、慌ただしくて飾りつけを変えるのをわすれていたんだろう」
「虎鎮五毒。虎は蟲を踏みつけ、毒を制する、か」
端午祭には昔から虎を飾り、無病息災を祈念するという風習がある。荒々しく残虐な虎は民から恐れられながらもその強さゆえに崇敬の念を集め、厚く信仰された。昨今物騒なことが続いているため、敢えて飾りを残したのかもしれない。
「毒師の一族は窮奇と称されるが、窮奇は毒を持つ有翼の虎として伝承に登場する。虎に毒はつきものさ」
毒に喰われた毒師か。だとすれば、解毒の鍵は「千種の毒を絶つ万能薬」ではなく「毒に敗けた虎を喰らう特効薬」ではないのか。
(解けそうで解けない)
張りつめていた息をついて、慧玲はいったん思考を絶つ。
考えすぎても、視野が狭まる。
あらためて客室のなかに視線をむけた。妓館というだけあって、寝台が客室の六割を占領していた。唐紅の飾り板に竜の彫刻が施されて紅絹の布が敷きつめられている。
枕はふたつだ。
敷布に腰をおろして、慧玲は鴆にむかって腕を伸ばす。
「おいで」
鴆がさすがに動揺を滲ませる。
「……どういうつもりかな」
「ひざ枕をしてあげる」
鴆はいかなることがあっても他人に隙をみせない。張りつめた弦のような男だ。だが、彼女にだけは理解る。
鴆はいま、強い毒にその身を蝕まれている。
職事官の剣を弾いたとき、妙だと感じた。これまでならば、瞬時に斬りかえしていたはずが、彼は攻撃を弾くだけで身を退いた。
もとから毒に強い彼でも動きが鈍るほどだ。よほどに強い毒であろうと推察できた。おそらくは立ち続けているのもやっとだろう。
「は、かなわないな」
鴆は煙管を窓において、慧玲の膝に身を横たえる。
「外掛に解毒薬がある」
「これね」
丹薬だ。渡そうとすれば、鴆がいたずらっぽく猫のような眼を細めた。
「飲ませてくれないのか?」
慧玲は「もう」とため息をつきながら丹薬を含み、接吻して薬をのませた。舌を絡ませているうちに丹薬が融けだす。痺れるような苦さが拡がり、理解する。
薬なんかではない。これは蠍の毒だ。
「毒をもって毒を制する――ああ、蠱毒をつかったのね」
蠱毒の解毒は特殊だ。毒のもとになった蟲の毒を取りこんで、身のうちで喰いあわせることで解毒する。
だが、蠱毒か。蠱毒は造るだけで族誅にあたるほどの禁毒だ。人毒を取りかえすため、鴆はいかに命を危険にさらしているのか。
あらためて理解して、胸がちぎれそうになった。だが、彼をとめることはできない。
「蠱毒そのものは蟲の毒で解けても、蠍の毒が残るはずよ。唇をあけて。薬をあげる」
慧玲は宮廷から抜けだしてきたときに服のなかに生薬をしのばせてきた。鳥兜の根を袖から取りだし、もういちど接吻をして鴆にのませる。
鳥兜は有毒植物で、人喰い虎や熊を退治するときの矢毒につかわれてきた。特に母根は烏頭と称され、きわめて強い毒を有する。
だが、毒を転じて薬となすのが白澤の本領だ。
「萬菫不殺と言うでしょう? 毒菫こと鳥兜の毒は萬蠍の毒を相殺するのよ」
そこまで喋ったところで、頭のなかで紙が乱舞する。ばらばらだった紙くずが、ひとつの書となって解毒までの解を表す。
「ああ、そうか。解けた」
人毒は蠱毒に似る。毒をもって毒を制するのと同様に、虎を喰らうのは虎であるべきだ。毒に敗北した弱い虎も、彼等が喰いつくせなかった諸毒も、猛虎をもって制する。
調薬はもとより争いだ。
喰らうか、喰らわれるか。
「――虎を喰らう」
強い意志を滾らせる緑眼を覗きみて、鴆は低く嗤う。
錯乱する男に父親の影を重ねて怯えきっていた姑娘はすでにいない。
「それでこそ、貴女だね……」
鴆は疲れきったように眼を瞑った。
慧玲の強さを彼だけが哀れむ。いつだって。
「皇帝になんかならずとも、あんたはまわりから信頼され、敬愛されながら進む――そんな穏やかな道だって選べるんだよ。ほんとうは好んで、地獄を進むこともない」
脈絡もなく囁かれて、いぶかしむ。
「あんたにはもっとふさわしい幸福がある」
「なに、酔っているの? おまえ、どこか変よ」
「あんたが想っているより、あんたはまわりから愛されているんだよ……」
鴆は紫の眼を昏く瞬かせ、身を起こして慧玲を組み敷いた。
「それでも、僕を選べ」
喉もとに鴆の指が、絡みついてくる。
「どうせ、あんたは幸福のなかでは息ができないんだろう? 毒は喰らえても、幸せが飲みこめない。壊れものだ」
喉をつかまれているが、呼吸もできる。爪が喰いこむほどにきつくもなかった。さながら首環だ。
彼の指を通して、自身の脈を感じる。
「僕だけが、あんたを縛ってやれる、から」
それだけつぶやいて、鴆はちからつきたのか。指が解けて、紅絹の海に落ちた。倒れこむように慧玲のうえに乗りあげて寝息をたてはじめた鴆を抱き締め、彼女はあきれてため息をつく。
「ほんとに重いんだから」
でも、なぜだかその重さが、心地よかった。
「おまえ、知らないのね」
鴆の髪をなでながら、慧玲は微かに笑った。
「わたしがどれだけ、おまえにほだされているか」
がんじがらめになって、そのことに幸せを感じているのか。
ありふれたかたちの幸せではなかった。
それでも、進むさきに道連れてくれるものがいる。傷を寄せあうものがある。
これほどの幸福があるだろうか。
ひとつ、息をついた。
昨晩から眠っていなかったからか、いっきに疲れがきた。ふたりして呼吸をあわせるように寝息をたてる。
朝になるまではまだ、時がある。
いまだけは薬も毒もなく、ただ、似た者ふたりで眠っていたかった。






