2‐99いかにして禁毒を絶つか
慧玲は金梅館に帰ってすぐ、妓夫の手術を始めた。
妓夫は背を斜めに斬られていた。
慧玲の得意分野は薬だ。
だが、白澤たるは医の一族である。傷の縫合術も修得していた。中庭にある曼荼羅花で麻酔を施してから、傷を縫い、補血の効能を持つ漢方を飲ませる。
次第に妓夫の呼吸が落ちついてきた。
「峠は越えました」
慧玲の言葉に、妓館のものたちは安堵の息をついた。
職事官は外傷こそなかったが、心を壊されて昏睡に陥っている。今後意識を取りもどすかどうかは彼次第だ。
香車は鴆の素姓を知るなり、商魂剥きだしで娼妓を差しむけていたが、鴆は「遊びにきたようにみえるかな」と愛想もなく袖にして、娼妓たちを寄せつけなかった。
「鴆」
客室の飾り窓に腰かけ、鴆は煙管を喫かしていた。紫煙をまとわせた横顔は妖艶な憂いを漂わせている。慧玲がためらいつつ声をかければ、彼は髪をなびかせて振りむく。
「良い月だね。宵の帳に猫が爪をたてたみたいに細くて、眺めていると落ちつくよ」
鴆はこれまでと変わらず、微笑みかけてきた。だから慧玲もなにごともなかったように振る舞い、彼の側に寄りそう。
窓から覗けば、細い月があがりはじめていた。
「盈虚こそが月の理ね」
月が満ちるたびに慧玲は飢える。
毒による飢渇ほどおそろしいものはない。職事官を錯乱させた毒、索盟皇帝を壊した毒もしかりだ。想いだすだけでも、指が強張る。
「助けてくれて、ありがとう」
鴆は口の端を持ちあげ、からかうように慧玲の髪を指に絡めた。
「御礼に接吻でもしてくれるのかな」
「そんなものが礼になるの? せめて、今後危険なことをしないと約束させるくらいはするとおもっていたのに」
「破られる前提の約束をしても不毛だからね。金糸雀ならばともかく、あんたみたいな姑娘を篭に捕まえてはおけないというのがよく理解ったよ。僕が馬鹿だった。首環に鎖でもつけて連れまわしたほうがまだましだ」
「おまえ、私を狗かなにかだとおもっているの」
「悪い冗談だ。狗だったら躾けられる」
鴆は肩を竦めて紫煙を絡げた。
「でも、解せないのよ」
慧玲は真剣な眼になってつぶやいた。
「誰が、都に虎血の毒をまき散らしたのか、毒師の一族は滅んだはずでしょう?」
鴆は「でき損ないの毒」と蔑んだが、虎血の毒とて禁毒を破らなければ得られない希少なものだ。
「毒師でなくとも、可能なものがひとりだけいる」
鴆が煙管の燃え殻を落とす。
「だが、この話をするならば、さきに教えておかないといけないことがある。宮廷の秘毒についてだ」
慧玲はひどく胸さわぎがした。
ここから先には聴かなければよかったと後悔するような真実が待ちうけている。だが耳を塞ぐわけにはいかなかった。
「あの秘毒は、麒麟をこの地に縛り続けるために宮廷が造った毒だ――」
鴆は語りだす。
事の発端は大陸戦争が勃発した約一千年前だ。
麒麟は争いを嘆いて剋を捨てた。この時に剋は一度、滅びた。だが、まもなくして、饕餮を崇拝することで剋は再建したが、毒疫の禍に見舞われることとなった。
三百年程の時を経て、麒麟はこの地に舞いもどった。
麒麟がまたも失踪することをおそれて、宮廷は麒麟に毒を盛った。月が満ちるたび、飲み続けなければならない依存性の強い毒――それが秘毒だ。
剋は斯くして、興隆をきわめた。
だが、それは麒麟を毒して縛りつけることで、搾取してきた恩恵だ。
「なんてこと」
慧玲は愛する国の罪を知って、絶望の声を洩らした。
だがこれで、なぜ秘毒だけが異様な飢えを満たすのかが理解できた。
「貴宮の女官は毎月後宮の霊廟に通っては秘毒を持ってくる。おそらくは廟のなかで調毒しているものと考えられる」
「毒師でもないのに、調毒が可能なの」
「毒の造りかたは廟の壁に描き残されていた。あとは毒の素材がそろっていれば、可能だ。もっとも毒師の一族が造るほどに洗練された毒にはならないだろうけどね。毒の素材は希少な物ばかりだったが、そのなかに虎血があった。そもそも窮奇の一族があの霊廟をつかっていたのは宮廷専属の暗殺者として人毒を造るためだ」
毒師の一族は宮廷の陰の最たるものだ。ゆえに索盟は毒師と絶縁するときめた。
「人毒の副産物である虎血の毒が、霊廟に残されていても特におかしくはない」
話を聴くかぎり、霊廟は皇后の領域だ。
「つまり、霊廟のなかにある毒を持ちだして、都に拡散することができるのは」
「そう、皇后だけだよ」
だが、都を毒して皇后にいかなる得があるのだろうか。
「つい先ほど妓館のものたちが妓夫の遺体だけでも連れて帰ろうと現場にむかった。だが、遺体は虎に喰い荒らされでもしたかのように変わり果てた姿となっていたそうだ」
慧玲が眼を見張る。人が虎になるという言葉に惑わされて、てっきり毒に操られた患者が亡骸を損壊したのだとばかり想いこんでいたが、違ったのだ。
「骸を喰らっていたのは皇后なのね」
「このごろは外政が落ちつき、争いが減った。都で虐殺事件が多発すれば、手頃に餌を喰える」
動物、昆虫と同様に御子を育て産むためには充分な餌がいるのだ。だがこれ以上、皇后に民を喰わせるわけにはいかない。
どうすれば、禁毒を解毒できるのか。






