第99話 【準備】1周年に向けて、全員で大掃除をした
【現在:開業350日目】
ルウが深淵から『春の花』を届けてくれてから、さらに季節は巡り。
地下五十階層にある最下層カフェは、今日でオープンから三百五十日目を迎えていた。
一周年となる三百六十五日目まで、あと半月。
今日は配信用の魔石中継器のスイッチを入れず、完全なオフライン状態にしている。
朝から店内の大掃除と、特別な飾り付けを全員で行うためだ。
これほど気合いを入れているのには、理由があった。
あの『歩く六法全書』こと倉橋さんが、協会の執行部で強引に通してくれた「年一回の公開日」制度。
その記念すべき第一回目が、ちょうどこの特区の一周年記念日に実施されることが正式に決定したのだ。
協会の厳格な管理と高ランク探索者の護衛のもと、抽選で選ばれた少数の一般探索者が、この最下層カフェに「見学」として訪れる。
いつもの療養枠のお客さんたちとは違う、初めての一般客。
せっかく来てくれる彼らを最高のかたちで出迎えるために、俺たちは総出で準備に取り掛かっていた。
「よし、カウンター周りはだいたい綺麗になったな。……スミ、そっちの床はどうだ?」
俺が声をかけると、スライムのスミが『まかせて!』とばかりに、全身をプルプルと震わせた。
すうっ、つるんっ。
ガリッ、ガリガリガリッ!
「……ん?」
最初はいつも通りの小気味よい音だったが、次第に硬い岩を削り取るような異音が響き始めた。
慌てて振り返ると、一般客を迎え入れるために気合いが入りすぎたスミが、床の汚れどころか、ダンジョンの分厚い岩壁そのものを凄まじい勢いで溶かし、削り取っていたのだ。
「ストップストップ! スミ、壁が抉れてる! 五十階層の岩盤を薄くしないでくれ!」
俺が叫んだ直後。
ズザザザッ!
店の隅から、岩殻型古代種のドルが、重戦車のような勢いで滑り込んできた。
彼は無言のまま、自分の甲殻の一部である紫水鉱を砕き、スミが抉ってしまった壁の穴にペースト状にして素早く塗り込み、瞬く間に補強と修復を完了させた。
──『ドル:……手加減を知らん奴だ。強度が落ちるところだったぞ』
「ごめん、ドル! 助かったよ。……スミ、気合いを入れるのは床の表面だけで頼むな」
スミが反省したように『しゅん……』と少しだけ縮むと、ドルは「フン」と岩の肩を揺らし、今度は一般客に出すための新しいカップを鍛造する作業へと戻っていった。
一方、天井付近では。
「きゅうっ!」
ルウが、深淵から持ってきた発光苔と、淡く光る花のツタを使って、店内に華やかな飾り付けを施してくれていた。
彼女の植物操作の魔法で、ツタが生き物のようにアーチや柱に巻き付き、見慣れた岩肌のカフェが、まるで森の中の隠れ家のような幻想的な空間へと変わっていく。
「ルウ、いい感じだぞ。その白い花、入り口の目立つところにも少し垂らしてくれるか?」
俺が指示を出して、ルウが「きゅう!」とツタを伸ばした、その時だった。
「きゅんっ! きゅんっ!」
俺の足元で退屈そうにしていたコハクが、天井からぶら下がってゆらゆらと揺れるツタを見て、狩猟本能を刺激されてしまったらしい。
ピョーン! と驚異的な跳躍力で飛び上がり、その飾りのツタに思い切り飛びついた。
「あっ、コハク、それは遊ぶやつじゃ……!」
俺が止める間もなく。
空中でツタに絡まったコハクは、そのまま勢いよく床に落下し、ゴロゴロと転がった。
──『コハク:とれない! あかり、たすけて! ぐるぐる!』
見れば、コハクはルウが綺麗に編み込んだツタに頭から尻尾まで完全に絡めとられ、金色の毛玉にリボンを巻かれた巨大なプレゼントボックスのような状態になってしまっていた。
「きゅううぅ……」
苦労して作った飾りがぐちゃぐちゃになり、ルウの頭の花が困惑の『紫色』に染まる。
「はははっ、何やってるんだお前は……。ルウ、ごめんな。今すぐほどくから」
俺は苦笑いしながら、ジタバタと暴れるコハクを宥め、絡まったツタを一本ずつ丁寧にほどいていった。
まったく、大掃除というより、ただのドタバタ劇だ。
ズゴゴゴゴゴゴッ……!!!
不意に、地鳴りのような轟音と共に、カフェ全体が激しく揺れた。
「うおっ!?」
「きゅん!?」
俺はバランスを崩しそうになり、慌ててカウンターにしがみついた。
天井からパラパラと小石が落ち、石の炉のポッカが『びっくりした!』と火の粉を大きく跳ねさせる。
地震か? それとも、五十階層に新たなボスでも湧いたのか?
俺が警戒して入り口のアーチの外へ視線を向けると。
広大な五十階層の空間のど真ん中で、大地を枕にして寝ていた巨大な古竜が、仰向けからうつ伏せへと、ただ無防備に『寝返り』を打ったところだった。
「……心臓に悪いな、相変わらず」
ただの古竜の寝返りだったと分かり、俺はほうっと長く息を吐き出した。
ここは世界で一番危険なダンジョンの最下層なのだということを、こんな時に限って思い出させてくれる。
「まったく、落ち着かない大掃除だな」
俺がエプロンの埃を払いながら振り返ると。
カウンターの奥では、SSランクの銀狼――グレイが。
壁が抉れようが、コハクが絡まろうが、古竜の寝返りで地震が起きようが、一切の動揺を見せることなく。
ただ黙々と、明日からの営業で使うための特大のコーヒーミルを、布巾で丹念に磨き上げていた。
その黄金の瞳は、一切の曇りもない真剣そのものだ。
俺は、その頼もしい背中を見つめながら、改めて店の中をぐるりと見渡した。
壁の補修を終え、新しいカップをいくつも並べているドル。
飾り付けをやり直し、花の位置を微調整しているルウ。
ツタから解放され、今度はスミの真似をして床を尻尾で拭き掃除(?)しているコハク。
そして、黙々と道具を手入れし、静かにこの空間の要として存在してくれているグレイ。
一年前。
ギルドを追放され、たった一人でこの五十階層に落ちてきた時は。
まさか自分が、こんなにも温かい場所で、種族も生態も違う古代種や魔獣たちと一緒に『文化祭の準備』みたいなことをしているなんて、想像もしていなかった。
「……信じられないよな」
俺は、無意識のうちに口角を上げ、ぽつりと呟いていた。
「死にかけてたあの日から……もう一年経つんだな、グレイ」
俺の言葉に、ミルを磨いていたグレイの手がピタリと止まった。
彼はゆっくりと首だけをこちらに向け、静かな黄金の瞳で俺を真っ直ぐに見つめた。
そして、画面の端に、すっ、と短い字幕を落とす。
──『グレイ:……感慨に浸る暇があったら、手を動かせ。埃が落ちる』
「あははっ! 厳しいなぁ、店長は」
俺はたまらず笑い声を上げ、カウンターの上の布巾を手に取った。
相変わらず容赦のない、けれど誰よりも温かい字幕。
この不器用な相棒と、かけがえのない仲間たちがいてくれるなら。
きっと一周年の公開日も、どんな客が来ようとも。
俺たちはいつも通り、世界で一番温かいコーヒーを出せるはずだ。
最下層カフェのドタバタで騒がしい準備の日は、深い笑い声と共に、ゆっくりと夜へ向かって更けていった。




