第98話 【季節】深淵の奥から、ルウが『春の花』を持ってきた
【現在:開業200日目】
チリロ、チリリン。
天井のツタの上から、チルが今日という一日の始まりを告げる鈴の音を響かせた。
俺はエプロンの紐をしっかりと結び直し、カウンターの前に立って、魔石中継器のスイッチを入れた。
──────【LIVE】同接:62,400──────
※探索者協会認定・第五十階層特別安全区(特区)
: うぽつー!
: 今日も最下層は平和そうだね
: コハクたん、今日もモフモフで可愛い
: 店長! 今日でカフェ開業200日目だよ! おめでとう!
: 記念日おめ! 毎日癒やしをありがとう!
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「いらっしゃい。今日も最下層カフェは、のんびりと営業中ですよ」
カメラに向かって手を振りながら、俺はコメント欄を見て小さく笑った。
「ありがとうございます。……そっか、今日でちょうど二百日目なんですね。毎日コーヒーを淹れて、みんなと過ごしていたら、あっという間でした」
俺が感慨深く呟くと、石の炉からポッカが『おめでとー!』とパチパチと温かい火の粉を散らし、スミは『きれいにする!』と気合いを入れて床をつるんっ、と滑っていった。
丸太の椅子の上で丸くなっていたコハクも「きゅう?」と顔を上げ、嬉しそうな空気を察して尻尾をふりふりと揺らしている。
カウンターの奥では、SSランクの銀狼――グレイが、二百日目だろうと何だろうと全く変わらない完璧な所作で、静かにお湯を沸かしていた。
カチャリ。
ふいに、温泉エリアの奥に設置された「格子窓」の小さな扉が開く音がした。
古代種たちだけが通れる専用の出入り口。
そこから、トコトコと軽い足音を立ててカフェに入ってきたのは、樹精型古代種のルウだった。
「いらっしゃい、ルウ。……お?」
声をかけた俺は、ルウの姿を見て少しだけ目を丸くした。
いや、俺だけじゃない。配信を見ている視聴者たちも、一斉に驚きのコメントを流し始めた。
──────【LIVE】同接:65,100──────
: え、ルウちゃんが何か持ってる!
: なにあれ、花……?
: 地下のダンジョンに、あんな綺麗な花咲くの!?
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ルウの小さな両腕には、彼女の身体と同じくらい大きな、一本の「木の枝」が抱えられていた。
その枝には、ダンジョンの発光植物とは違う、まるで地上の春を思わせるような、可憐で純白の花が満開に咲き乱れていたのだ。
「きゅうっ!」
ルウは頭頂部の花を嬉しそうな『ピンク色』に輝かせながら、俺のいるカウンターの正面へとやってきた。
そして、その白い花の枝を、誇らしげにぐっと持ち上げて見せる。
「ルウ、その綺麗な花はどうしたんだ? 深淵の奥で見つけたのか?」
俺がカウンター越しにしゃがみこんで尋ねると。
ルウは大きく頷き、空いた片手を俺の方へと伸ばしてきた。
俺は、その小さな苔むした三本指に、そっと自分の手のひらを重ねる。
ルウの感情と記憶を直接受け取るために、俺はスキル【全声共鳴】の意識をほんの少しだけ深めた。
――ふわり、と。
俺の脳内に、静かで、ひどく温かい映像が流れ込んでくる。
そこは、光の届かない深淵の、さらに奥深く。
数千年の時をやり過ごすため、古代種たちが岩や苔に同化して深い休眠についている、永遠の暗闇の世界。
だが、その景色は、以前ルウの記憶で見た「冷たくて暗いだけの場所」から、確実に変化していた。
ルウが仲間たちのそばに作った、小さな「カフェ」。
そこでルウが灯した発光苔の淡い光と、不器用ながらも一生懸命に淹れ続けたコーヒーの温かな湯気。
その小さな熱量が、途方もない時間をかけて、少しずつ、少しずつ、凍りついていた深淵の岩肌を溶かしていたのだ。
ルウの小さな店の周囲にだけ、まるで魔法のように。
柔らかな緑の若草が芽吹き、暗闇の中で、この純白の花が一面に咲き誇っていた。
数千年もの間、完全に時間が止まっていた深淵の底に。
ルウが届けた温もりが、確かな『春』を呼び起こしたのだ。
「……すごいな」
俺は、あまりの美しさと感動に、小さく息を呑んだ。
そして、カメラに向き直り、今見たばかりの光景を、視聴者たちに向けてゆっくりと言葉で紡いでいった。
「皆さん、聞いてください。……ルウが、深淵の奥で作った小さなカフェの周りに。数千年ぶりに、植物が芽吹いたそうです。この花は、ルウの店から広まった温もりが咲かせた、深淵の『春の花』なんです」
──────【LIVE】同接:72,000──────
: えええええっ!?
: 嘘でしょ……深淵の底に春が来たの!?
: 鳥肌立った。ルウちゃん、凄すぎる……っ!
: あの暗闇の中で一人で頑張ってたルウちゃんの努力が(号泣)
: コーヒーの温もりが、本当に奇跡を起こしたんだな
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コメント欄が、驚きと感動の嵐で埋め尽くされていく。
「きゅうっ!」
ルウは嬉しそうに胸を張り、自分が育てたその花を、俺たちに自慢するように揺らしてみせた。
「ああ、本当に綺麗な花だ。……これならきっと、眠っているお前の仲間たちにも、春の温かさが届いているはずだよ」
俺がそう言うと、コメント欄には「古代種たちも、もうすぐ目を覚ますんじゃないか!?」「ついに深淵の封印が解ける!?」といった、期待に満ちた声が溢れ始めた。
だが、俺は静かに首を振り、微笑みながら言葉を続けた。
「いつか、目を覚ます兆候かもしれませんね。……でも、急かす必要はありません」
俺は、白い花びらをそっと指先で撫でた。
「彼らは、数千年も眠っていたんです。無理に起こさなくても、温かい春が来れば、きっと自然に背伸びをして起きてきますよ。俺たちは、彼らがいつ起きてきてもいいように、変わらずにここでコーヒーを淹れて待つだけです」
焦ることはない。
俺たちには、急いで世界を変えるような大層な使命などないのだ。
ただ、目の前の温もりを絶やさずに、来るべき日を静かに待てばいい。
──────【LIVE】同接:75,300──────
: ……だね。灯さんの言う通りだ。
: 無理やり起こすんじゃなくて、自然に目覚めるのを待つ。それが一番良い。
: 最高のおもてなしの準備だな。
: その日が来るまで、俺たちもずっとこの配信を見守るよ。
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俺の言葉に、視聴者たちも深く共感してくれたようだった。
「きゅんっ! きゅんっ!」
その時、足元から元気な鳴き声が弾けた。
待ちきれなくなったコハクが、丸太の椅子からピョコンと飛び降り、ルウの足元にすりすりと身体を擦り寄せていたのだ。
その金色の瞳は、ルウが持っている白い花に釘付けになっている。
──『コハク:るう! おはな、きれい!』
──『コハク:わたしも、ほしい!』
コハクの無邪気な波長を受け取ったルウは、嬉しそうに目を細めると。
苔むした腕からスルスルと鮮緑色の『ツタ』を伸ばし、枝から白い花をいくつか器用に摘み取った。
そして、ツタを素早く編み込むように動かして、あっという間に小さな『花冠』を作り上げた。
「きゅう!」
ルウは、完成した純白の花冠を、コハクの頭の上にちょこんと乗せてやった。
金色の柔らかな冬毛に、白い花が驚くほどよく似合っている。
「きゅんっ!!」
コハクは嬉しさのあまり、店の中を弾丸のようにぴょんぴょんと跳ね回り始めた。
──『コハク:あかり、みて! わたし、おはな!』
──『コハク:ぐれいも、みて! かわいいでしょ!』
コハクは俺の足元をくるくると回った後、勢いよくカウンターの奥へと飛び込み、グレイの巨大な前足に前足をかけてアピールした。
グレイは、コーヒー豆を選別していた手を止め、足元で跳ね回る花冠の毛玉を見下ろした。
「…………」
長い沈黙。
グレイは鼻先を近づけ、ふん、と春の花の匂いを一度だけ嗅ぐと。
──『グレイ:……やかましい』
画面の端に、呆れたような短い字幕を落とした。
だが、その声なき字幕とは裏腹に。
グレイはコハクを追い払うことはせず、そのまま彼女が満足するまで足元で跳ね回るのを、静かに、そしてどこか優しげな黄金の瞳で見守っていた。
「ははっ、似合ってるぞ、コハク。グレイも、本当は可愛いって思ってるさ」
俺が笑いながら言うと、グレイは「フン」と短く鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
地下五十階層の、静かな最下層カフェ。
二百日目の記念すべき日は、深淵の底から届いた小さな春の匂いと、変わらない温かい笑顔に包まれながら、ゆっくりと過ぎていく。




