第94話 【卒業生】旅立った二人が、自分の居場所を作り上げた
【現在:開業155日目】
チリロ、チリリン。
天井に張り巡らされたツタの上から、チルが今日という一日の始まりを告げる鈴の音を落とした。
俺はエプロンの紐をしっかりと結び直し、カウンターの前に立って、魔石中継器のスイッチを入れた。
──────【LIVE】同接:48,200──────
※探索者協会認定・第五十階層特別安全区(特区)
: うぽつー!
: 今日も最下層は平和そうだ
: グレイ店長、今日も毛並みが最高ですね
: お、今日は灯さん、なんだか嬉しそう?
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「いらっしゃい。今日も最下層カフェは、のんびりと営業中ですよ」
カメラに向かって手を振る。
コメント欄の視聴者がすぐに気づいた通り、今日の俺は、朝からずっと顔が綻びっぱなしだった。
その理由は、今朝一番に俺の端末に届いた、一通のダイレクトメッセージにある。
「実は皆さんに、聞いてほしい嬉しい報告がありまして」
俺は、カウンターの上に自分の端末を置き、画面に表示された一枚の写真を開いた。
もちろん、プライバシーに配慮して配信画面には映らないようにしているが、俺の目にはその輝かしい光景がはっきりと見えている。
「以前、この店に療養枠で通ってくれていた二人のお客さんがいたのを、覚えていますか?」
俺が問いかけると、古参の視聴者たちからすぐに反応が返ってきた。
──────【LIVE】同接:51,000──────
: 最初の頃に来てた、魔獣恐怖症の澪ちゃん?
: あと、嗅覚過敏で防毒マスクしてた楠木さんだよね
: アロマ完成させて泣いてたの、もらい泣きしたわー
: その二人がどうしたの?
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「ええ、その二人です。……実はあの二人、地上で共同経営者として、小さなお店を開いたんです」
俺がそう告げると、コメント欄が「えっ!?」という驚きの声で一気に埋まった。
俺は端末の写真に目を落とす。
そこには、地上の陽の光が差し込む、明るくて木の温もりに溢れた小さな店舗の入り口が写っていた。
看板には『アロマカフェ・深淵の雫』と書かれている。
そして、その看板の前で、見違えるように元気な笑顔を向けている澪と、すっぴんで晴れやかな表情を浮かべる楠木さんが、肩を並べてピースサインをしていた。
「お店の名前は『アロマカフェ』。楠木さんが、うちのカフェの素材を使って完成させてくれた『究極の回復アロマ』と、特製の入浴剤を提供しながら、温かいハーブティーを出して一息つけるような、探索者専用の小さな癒やしの空間だそうです」
ダンジョンの過酷な探索で、心や神経をすり減らした探索者たち。
かつての彼女たち自身と同じように、見えない傷を抱えて苦しんでいる人たちのために、二人は自分たちの経験を活かせる『居場所』を、地上の探索者ギルドのすぐ近くに作り上げたのだ。
「楠木さんがアロマの調合と空間のプロデュースをして、澪ちゃんが持ち前の明るさで接客をして、傷ついた探索者たちの心をケアしているらしくて。……オープンしてすぐに口コミで広まって、今、ものすごく軌道に乗っているそうなんです」
俺は、誇らしさで胸がいっぱいになりながら、カメラに向かって胸を張った。
「どうですか。……うちの自慢の、卒業生です」
──────【LIVE】同接:55,400──────
: うわあああああ!!
: 鳥肌立った……! あの二人が、自分でお店を!?
: 灯さんの背中を見て育った二人だね
: 傷ついた人が、今度は誰かを癒やす側に回るなんて
: 最高の循環じゃん……っ!!
: 泣きそう。本気で嬉しいニュースだ
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コメント欄は、俺の報告を受けて、温かい祝福と感動の言葉で滝のように流れ始めた。
あの時、怯えて震えていた二人が。
今度は自分たちの足でしっかりと立ち上がり、誰かのために、自分たちの城を築いた。
これほど嬉しい報告は、他になかった。
「きゅうっ!」
俺が嬉しそうにしているのを見て、足元にいたコハクが「あかり、うれしい! わたしもうれしい!」とばかりに、ピョコンとカウンターに前足をかけてきた。
「ははっ、コハク。澪ちゃんから、お前によろしくってさ」
俺がコハクの頭を撫でてやると、彼女は目を細めて喉の奥からゴロゴロと幸せそうな音を鳴らした。
石の炉では、ポッカが『おめでとー!』とパチパチと明るい火の粉を散らし、スミは機嫌よく床をつるんと滑っている。
(……でも)
俺は、お祭り騒ぎになっているコメント欄を見つめながら、心の中で静かに独白した。
視聴者たちは『灯さんのおかげだ』『店長たちが救ったんだ』と言ってくれる。
けれど、俺自身は、自分が何か特別な魔法をかけたなんて、これっぽっちも思っていなかった。
俺がやったのは、ただ、目の前に来た疲れたお客さんに、温かいコーヒーを出しただけだ。
コハクが寄り添い、グレイが極上の一杯を淹れ、この地下五十階層の静寂が、彼女たちを少しだけ休ませた。ただそれだけ。
あの二人が立ち上がったのは、誰の力でもない。
間違いなく、二人が自分自身の力で、暗闇の中から光を見つけ出し、一歩を踏み出したからだ。
「…………」
スッ、と。
俺の目の前に、静かに湯気を立てるマグカップが押し出された。
振り返ると、カウンターの奥で、SSランクの銀狼――グレイが、いつものように完璧な所作でコーヒーを淹れ終えたところだった。
黄金の瞳が、俺を真っ直ぐに見つめている。
画面の端に、ぽつんと、短い字幕が落ちてきた。
──『グレイ:……誇れ』
「……っ」
俺は、目を見開いた。
お前がこの場所を作ったから、彼女たちは羽ばたけたのだ。
そう言ってくれているような、不器用で、けれど誰よりも温かい相棒からの労いの言葉。
「……かなわないな、本当に」
俺は小さく笑い、グレイが淹れてくれたまかないのコーヒーを両手で包み込んだ。
一口飲むと、深淵珈琲の澄み切った苦味と、深く透き通るような甘みが、胸の奥までじんわりと染み渡っていく。
地上へと旅立っていった、大切な卒業生たち。
彼女たちの新しい居場所にも、きっと今頃、このコーヒーと同じような、優しくて温かい時間が流れているはずだ。
俺は、遠く離れた地上で奮闘する二人に心からのエールを送りながら、残りのコーヒーをゆっくりと味わった。




