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第91話 【開店】深淵に灯った、もう一つの温かい光

【現在:開業140日目】





今日は魔石中継器の電源を入れていない、静かな営業日。





俺はカウンターの内側で、抽出が終わったコーヒーの器具をゆっくりと水洗いしていた。

石の炉ではポッカが小さくパチパチと爆ぜ、スミが床をつるんと滑って磨き上げている。





カチャリ。





ふいに、温泉エリアの奥に設置された「格子窓」の小さな扉が開く音がした。





ドルが作ってくれた、古代種たちだけが通れる専用の出入り口。

そこから、トコトコと軽い足音を立ててカフェに入ってきたのは、樹精型古代種じゅせいけいこだいしゅのルウだった。





「いらっしゃい、ルウ。……お?」





俺は布巾で手を拭きながら声をかけ、そして、少しだけ目を丸くした。





いつもなら、カフェに入ってきた時のルウの頭頂部の花は、安心を告げる『オレンジ色』か、嬉しい時の『ピンク色』に染まっていることが多い。

だが、今日の彼女の花は違った。





花弁の先まで、まるで自ら発光しているかのように、眩しいほどの『黄金色』に輝いていたのだ。





俺がスキル全声共鳴ユニバーサル・レゾナンスを向けるまでもない。

それは、何かを成し遂げたという強い『達成感』と、ほんの少しの『誇り』を示す、美しく力強い波長だった。





「きゅうっ!」





ルウは、いつも座る丸太の椅子には向かわず、まっすぐに俺のいるカウンターの正面へとやってきた。

そして、胸を張るようにして、両手をピンと上に伸ばす。





「どうした? 何か、すごくいいことでもあったのか?」





俺がカウンター越しにしゃがみこみ、彼女と目線を合わせると。

ルウの小さな両手から、言葉の代わりに、鮮明なイメージの映像が俺の脳内へと直接流れ込んできた。





――それは、光の届かない深淵(アビス)の、さらに奥深くの光景だった。





数千年の時をやり過ごすため、岩や苔、結晶に同化して深い休眠についている古代種たち。

彼らが眠る静かで冷たい暗闇の広場に、今は、ぽつりと小さな「光」が灯っていた。





ルウ自身が育てた、淡く温かい光を放つ発光苔はっこうごけの照明。

平らな岩を削って作られた、小さなカウンターのような台。

その上には、ドルが彼女のためだけに鍛造してくれた、純度の高い紫水鉱しすいこうの小型ミルとドリップケトルが、苔の光を反射して美しく輝いている。





ルウはその小さな台の前に立ち、俺が分けてやった深淵珈琲アビス・コーヒーの豆を挽き、お湯を沸かしていた。





あの厳しいグレイ店長から『まあいい』という合格点をもぎ取った、完璧な温度。

ツタの微小な震えすら抑え込んだ、極細で均一な湯の軌道。





こんもりとドーム状に膨らむコーヒーの粉から、立ち上る白い湯気。

その映像からだけでも、芳醇で深い香りが、数千年間停滞していた深淵の冷たい空気を塗り替えていくのが分かった。





――小さな、小さな『カフェ』だった。





ルウは、眠っている仲間たちのすぐそばで、自分だけの「お店」を開いたのだ。





もちろん、そこにまだ客はいない。

休眠中の仲間たちは、今日も深い眠りの中に沈んだままだ。





だけど。

ルウの小さなカフェから漏れる光と、温もりと、極上のコーヒーの匂いは。

真っ暗だった深淵の底に、間違いなく、優しく広がっていた。





「……すごいな、ルウ」





俺は、あまりの感動に、思わず小さく息を吐き出した。





「お前、もう立派な店主じゃないか」





俺が心からの称賛を送ると、ルウの頭の花が、誇らしい黄金色から、恥ずかしそうな満開の『ピンク色』へと爆発するように変わった。





彼女は、もじもじと小さな三本指を合わせながら、嬉しそうに身体を揺らしている。

そして、俺の脳内に、たどたどしくも真っ直ぐな字幕を落とした。





──『ルウ:あかりが、おしえてくれた。……おもてなし』





温かいものは、温かいうちに。

来た客は、誰であろうと拒まずに迎え入れる。





俺がこの店でずっとやってきたことを、ルウはしっかりと見て、学んでくれていたのだ。





「ははっ。師匠としては、本気(まじ)で鼻が高いよ」





俺が笑って、ルウの苔むした頭を優しく撫でてやると。

彼女は嬉しそうに目を細め、俺の手のひらにすりすりと頬を擦り付けてきた。





コハクも「るう、すごい! すごい!」とばかりに、彼女の周りをぴょんぴょんと跳ね回っている。





「お前は最高の弟子だ。……なぁ、グレイ」





俺が、カウンターの奥で黙々とカップを拭いていた銀狼に同意を求めると。





グレイは手を止め、黄金の瞳でこちらをチラリと見た。

そして、画面の端に、すっ、と短い字幕を落とした。





──『グレイ:俺が教えた』





「ははっ! はいはい、そうです。グレイ先生のおかげです」





俺がたまらず吹き出すと、グレイは「フン」と短く鼻を鳴らし、再びカップ磨きへと戻っていった。

まったく、SSランクの魔獣のくせに、自分の弟子が褒められてしっかり対抗心を燃やしているのだから、可愛げがあるというものだ。





俺は、もう一度ルウに向き直り、その目を見て言った。





「ルウ。……いつか、お前の仲間たちが目を覚ました時。一番最初に出迎えてくれるのが、お前の淹れた温かいコーヒーなら、あいつらもきっと安心するよ」





「きゅうっ!」





ルウは、大きく力強く頷いた。





俺が教えた『おもてなし』が、壁を越え、深淵の暗闇の中でしっかりと根づき始めている。





いつか来る、目覚めの時。

その日を待つ彼女の小さな店は、俺たちの最下層カフェと同じように、世界で一番温かい光を放ち続けているはずだ。




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