第72話 【投票】深淵のお隣さん、うちの店にどう迎える?
【現在:開業90日目】
チリロ、チリリン。
天井のツタの上から、チルが開店を告げる澄んだ鈴の音を落とした。
俺はカウンターの前に立ち、魔石中継器のスイッチを入れて配信用のカメラを起動した。
──────【LIVE】同接:28,500──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: うぽつー!
: 今日も最下層は平和だな
: お、今日は最初から主さんがカメラの前にいる
: 新しいお知らせか?
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「いらっしゃい。今日も五十階層は平和ですよ」
俺はカメラに向かって軽く手を挙げ、挨拶をした。
「今日は皆さんにお話ししておきたいことがあって、こうしてカメラを回しています。……うちのカフェに新しくやってきた、二匹の『古代種』についてです」
俺がそう切り出すと、コメント欄の流れる速度が一段と速くなった。
「ここ数日、断片的に配信に映っていたので、気になっていた方も多いと思います。改めて、これまでの経緯を丁寧に説明させてください」
俺は、壁の奥の空洞から聞こえた規則的なノックの音から始まり、小さな穴から差し出された一輪の花の贈り物、そのお礼のシロップのやり取りについて語った。
そして、その穴を広げてやってきた樹精型古代種のルウと、彼女が壁に生やした銀色の苔から作った『深淵の森茶』のこと。
さらに昨日、ゴロゴロと転がり込んできた岩殻型古代種のドルが、一晩でグレイの特大ミルを、超高密度の鉱石を使って作り直してしまったことまで。
嘘偽りなく、全てを視聴者に報告した。
──────【LIVE】同接:31,200──────
: 凄い……絵本みたいな話だ
: 深淵の奥に、そんな知的な魔獣たちが生きてたのか
: 花の贈り物とか尊すぎるだろ
: ドルさんのミルの精度、画面越しでもヤバいのが分かる
: カフェがどんどん異世界交流の拠点になっていくw
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「俺も驚いてるんですよ。まさか、壁の向こう側にこんなご近所さんがいたなんてね」
俺は苦笑しながら、店の隅で丸くなっているドルと、俺の足元でコハクと一緒に遊んでいるルウの姿を、カメラでそっと映した。
「そこで今日は、配信アプリの機能を使って、視聴者の皆さんにアンケートを取りたいと思います」
俺は端末を操作し、画面上にアンケートの選択肢を表示させた。
『質問:この二匹の古代種を、うちの店にどう迎える?』
1.正式なカフェのスタッフとして迎える
2.まずは試用期間として様子を見る
3.ご近所さんとして、行き来自由にする
「さあ、皆さんの意見を聞かせてください」
俺がそう呼びかけると、リアルタイムで投票のゲージが凄まじい勢いで動き始めた。
「きゅんっ」
アンケートの結果を待っている間、足元で遊んでいたコハクが、ピョンと俺の膝の上によじ登ってきた。
──『コハク:あかり、なでて』
甘えん坊な琥珀キツネの要求に応え、俺はしゃがみこむようにしてコハクの背中を両手で優しく撫でた。
指先が、柔らかな冬毛の奥へとふわりと沈み込んでいく。
手のひらを通じてじんわりと伝わってくる、小さな命の確かな体温。
コハクは目を細め、喉の奥からゴロゴロという深い振動音を鳴らし始めた。
俺が撫でるたびに、さらさらと毛が擦れる音がマイクに乗って店内に響き、アンケートの集計を待つ間の心地よいBGMになってくれる。
数分後。
投票が締め切られ、結果が画面に表示された。
「なるほど。一番多かったのは……ダントツで『1.正式なカフェのスタッフとして迎える』ですね」
視聴者のみんなは、ルウやドルの持つ特異な能力と愛らしさに惹かれ、このカフェの新しい仲間として迎え入れることを強く望んでくれたようだ。
「たくさんの投票、本当にありがとうございました。……ただ」
俺は膝の上のコハクを撫でる手を止め、カメラに向かって、少しだけ真剣な声で語りかけた。
「アンケートを取っておいて申し訳ないんですが、結果に関わらず、俺の答えは最初から決まっていたんです」
コメント欄に驚きと疑問符が並ぶ。
俺は、壁の奥へと続く穴を見つめながら、言葉を続けた。
「じゃあなんでアンケートなんか取ったんだって思われますよね。……皆さんに、彼らのことを『未知の脅威』じゃなくて、このカフェに関わる『親しい存在』として、一緒に歓迎してほしかったんです。だから、あえて皆さんの意見を聞かせてもらいました」
ただの報告で終わらせるより、こうして巻き込んだ方が、視聴者も彼らに愛着を持ってくれる。
それは、彼らの安全を守るための、配信者としての俺なりのやり方だった。
「その上で。俺は彼らを、店のスタッフにはしません。あくまで『奥のご近所さん』として、行き来自由のままにしておこうと思います」
──────【LIVE】同接:32,500──────
: なるほど、そういうことか
: 主さんらしい優しいやり方だ
: でも、なんでスタッフにしないの?
: 行き来自由だと、管理できなくない?
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「彼らには彼らの、深淵での暮らしと『世界』があるんです」
俺は静かに説明を続けた。
「このカフェのスタッフとして枠に嵌めてしまうことは、彼らの世界をこちら側のルールで過度に管理することになってしまう。それは、店の秩序を守る上でも、彼らの生き方を尊重する上でも、少し違う気がするんです」
近すぎず、遠すぎず。
美味しいコーヒーが飲みたくなった時や、少し温まりたくなった時に、ふらっと立ち寄れる場所。
それが「カフェ」というものの本来のあり方だ。
俺がそう締めくくると、カウンターの奥で新しいミルを使って豆を挽いていたグレイが、ゆっくりと顔を上げた。
黄金の瞳が、俺と、そしてルウやドルを静かに見渡す。
──『グレイ:……客だ。客は客席に座る。それだけだ』
画面端に落ちてきた、短くも絶対的な字幕。
どんな種族であろうと、どんな背景を持っていようと、この店に足を踏み入れたからには「客」として対等にもてなす。
SSランクのバリスタが放つその揺るぎない哲学に、コメント欄は一瞬の静寂の後、爆発的な賛同の嵐に包まれた。
「……だそうです。俺の長々とした説明より、店長の一言の方がずっと説得力がありますね」
俺は苦笑いしながら、深く頷いた。
◇
配信を終えた後、俺は端末を開き、探索者協会の倉橋さんに詳細な報告書を送信した。
『深淵側の知的魔獣との共存事例』として、協会に正式な記録を残しておくためだ。
これも、特区の管理者としての俺の義務である。
数分後、倉橋さんから短い返信が届いた。
『お前はいつも想定外のことを持ってくるな。だが、前例のない貴重な事例だ。記録と安全管理への協力はする。以上』
「相変わらず、堅物だけど頼りになる人だ」
俺はホッと息を吐き、端末をポケットにしまった。
振り返ると、ルウが丸太の椅子で美味しそうにはちみつラテを飲み、ドルが店の隅で自分の甲殻を削って何かを作っている。
少しだけ賑やかになったけれど、やっぱりここは、いつも通りの「最下層カフェ」のままだった。




