第71話 【道具】岩の職人が一晩で作ったミルが、店長を黙らせた
【現在:開業89日目】
昨日の午後、壁の穴からゴロゴロと転がり込んできた岩殻型古代種のドル。
俺たちの店の設備、特にグレイの愛用する特大ミルに対して『雑』と言い放った彼は、昨晩はずっとカフェの隅に陣取っていた。カシャ、カシャリと甲高い音を立てて自分の鉱石の甲殻を削り出し、何かを器用に成形し続けていたのだ。
そして今朝。俺が開店の準備のためにカウンターへ向かうと、そこに見慣れないものが置かれていた。
深淵の超高密度鉱石で精製された、新しい「コーヒーミル」だ。
鈍い光沢を放つそれは、機能美の極致のような洗練されたフォルムをしており、ハンドルに軽く触れてみただけで、刃の精度が今までのものとは次元が違うことが素人目にも分かった。
「ふぁぁ……きゅぅ」
丸太の椅子で丸くなっていたコハクが、大きな欠伸をしながら起きてきた。
俺はしゃがみこみ、「おはよう」と声をかけながらコハクの背中を両手で優しく撫でた。
指先が、柔らかな冬毛の奥へとふわりと沈み込んでいく。
手のひらを通じてじんわりと伝わってくる、小さな命の確かな体温。
コハクは気持ちよさそうに目を細め、喉の奥からゴロゴロという深い振動音を鳴らし始めた。俺が撫でるたびに、さらさらと毛が擦れる音が静かな店内に響き、寝起きの少しぼんやりとした頭を優しくほぐしてくれる。
さて、今日は少し特別な日になりそうだ。
俺は魔石中継器のスイッチを入れ、配信用のカメラを起動した。
──────【LIVE】同接:27,400──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: おはよう!
: うぽつー! 今日も朝から癒やしを求めてきた
: あれ、主さんの前にあるの、新しいミル?
: っていうか、店の隅にいる岩の塊は何!?
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「いらっしゃい。皆さん、お目が高いですね。……今日はまず、新しいご近所さんを紹介させてください」
俺はカメラを、店の隅で丸まっているドルに向けた。
カメラを向けられても、ドルは甲殻の隙間から小さな目を覗かせているだけで、特に愛想を振りまくわけでもない。
「彼の名前は『ドル』。壁の穴の向こう、深淵の奥から来てくれたご近所さんです。……実は彼、とんでもない腕を持つ『職人』なんですよ」
俺がそう紹介しながら、カウンターの上の新しいミルを映すと、コメント欄がざわめき始めた。
「ドルが、一晩で自分の甲殻から作ってくれたんです。……店長、これで挽いてみてくれませんか?」
俺はカメラを回したまま、カウンターの奥にいるグレイに向かって新しいミルをスッと押し出した。
グレイは黄金の瞳で新しいミルをじっと見つめた後、無言でハンドルに長い鼻先を添え、ゆっくりと回し始めた。
ゴリ……ゴリ……ゴリ……。
音からして、完全に違った。
今までのような豆が砕ける荒々しい破砕音ではなく、まるで新雪を踏みしめるような、滑らかで均等な音が店内に響き渡る。
挽き終わった粉を見ると、粒の大きさがミクロン単位で揃っているかのように均一だった。
ポッカが完璧な温度で沸かしたお湯を注ぎ、抽出していく。
サーバーに落ちてくる液体の『透明感』が、段違いに跳ね上がっていた。立ち上る深淵珈琲の香りも、今までよりはるかに輪郭が鋭く、研ぎ澄まされている。
グレイは、抽出されたばかりのコーヒーを自分のカップに移し、長い舌でぺろりと一口、味を確かめた。
「…………」
長い、長い沈黙が落ちた。
グレイは静かに目を閉じ、その風味を脳に刻み込むように味わっている。
やがて目を開けると、黄金の瞳が、手元の新しいミルと、隅で丸まっているドルを交互に見つめた。
字幕は、何も出ない。
だが、次の瞬間。
バフッ!
グレイの巨大な尻尾が、一度だけ、力強く床を叩いた。
それが、不器用でプライドの高いSSランクのバリスタが、ドルの作った道具の精度を完全に「認めた」という、最大級の賛辞のサインだった。
その様子を見ていたドルから、俺の脳内に短い字幕が落ちてきた。
──『ドル:……まあいい』
画面端に表示されたそのぶっきらぼうな字幕に、俺は思わず吹き出してしまった。
──────【LIVE】同接:29,800──────
: wwwwwww
: どっちも不器用すぎだろ!!
: グレイ店長が新しい道具に乗り換えた歴史的瞬間
: ドルさんすげえええええ!
: 言葉はないけど、職人同士通じ合ってる感たまらん
: 最高のコンビ誕生の予感
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「ははっ、二人とも口数は少ないですけどね。道具と味へのこだわりっていう、最強の共通言語があるみたいです」
俺が笑いながら言うと、グレイは『うるさい』とばかりに鼻を鳴らし、ドルは甲殻にスッポリと頭を隠してしまった。
壁の穴の向こう側からやってきた、少し頑固な岩の職人。
彼が加わったことで、俺たちのカフェが提供する「癒やし」の質は、また一段階上のレベルへと引き上げられた。
透明感を増したコーヒーの香りが、今日も最下層の空気を優しく包み込んでいた。




