第70話 【来訪】ゴロゴロ転がってきた岩の塊は、とんでもない職人だった
【現在:開業88日目】
小さな樹精型古代種のルウが、壁の穴を通って定期的にカフェを訪れるようになってから、数日が経っていた。
彼女が少しずつ岩を削り続けたおかげで、穴の大きさは以前よりも一回りほど広がり、彼女がスムーズに出入りできる「専用の勝手口」としてすっかり定着している。
今日は配信をオフにした、静かな営業日。
ルウは定位置となった丸太の椅子にちょこんと座り、両手で大事そうに抱えたマグカップから、はちみつラテをちびちびと飲んでいた。
頭頂部の花は、安心とリラックスを示す温かい『オレンジ色』に染まり、時折嬉しそうに揺れている。
平和な午後だ。
俺がカウンターを拭きながら、のんびりとその光景を眺めていた、その時だった。
ゴロ、ゴロゴロゴロ……!
壁の穴の奥、深淵へと続く暗闇の通路から、何か重いものが岩肌を転がってくる音が響いた。
ルウがビクッと肩を揺らし、花の色を警戒の青に変えかけたが、すぐに穴の方を見て好奇心の『黄色』へと変化させた。
どうやら、彼女にとって見知らぬ危険な存在ではないらしい。
「なんだ……?」
俺が身構えた直後。
ポーン、と。
壁の穴から、バスケットボールよりも一回りほど大きな「岩の塊」が飛び出してきた。
それは勢いよくカフェの床を転がり、石の炉のそばでゴツン!と鈍い音を立てて止まった。
俺は慎重に近づき、スキル『万獣統括』のチャンネルをその岩の塊へと向けた。
ルウから感じる「怖い」や「温かい」といった柔らかく純粋な波長とは全く違う、ひどく硬質で、端的な感情が流れ込んでくる。
――道具。見に来た。
「道具……?」
俺が訝しげに呟くと、丸まっていた岩の塊が、カシャ、カシャリと甲高い音を立てて展開し始めた。
現れたのは、亀とアルマジロを掛け合わせたような、奇妙な姿をした四足歩行の魔獣だった。
全身が、ダンジョンの奥深くで生成されたであろう、鈍い光沢を放つ分厚い鉱石の甲殻で覆われている。
甲殻の隙間から覗く小さな鋭い目が、店内をぐるりと見回し――やがて、一直線にある場所へと向かった。
カウンターの奥、グレイの定位置に置かれている「特大のコーヒーミル」だ。
岩の魔獣はミルの前に立つと、その形状、材質、そして刃の摩耗具合を、穴が空くほどじっと観察し始めた。
そして、俺の脳内に直接、硬くぶっきらぼうな字幕が落ちてきた。
──『ドル:……雑』
「っ……」
その瞬間、カウンターの奥で休んでいたグレイの耳が、ピクリと小さく動いた。
SSランクの大狼であり、誰よりもコーヒーと道具にこだわる極上のバリスタ。彼が、自分の商売道具に対して、面と向かって「ダメ出し」をされたのは、これが初めてのことだった。
グレイがゆっくりと顔を上げ、黄金の瞳で岩の魔獣を射抜く。
岩の魔獣も怯むことなく、小さな目でグレイを見返す。
二匹の間に、ビリビリとした無言の緊張感が走った。
だが、岩の魔獣――スキルが読み取った名前は『ドル』――は、グレイの威圧感を気にも留めない様子で、今度はカウンターの天板の作り、俺たちが座る椅子の仕上げ、さらにはポッカが住まう石の炉の構造まで、次々と観察して回った。
その目つきは、まるで熟練の親方が手抜き工事を査定しているかのようだ。
今にも『ここも雑』『甘い』とダメ出しの字幕が飛んできそうな気配に、俺はたまらず声をかけた。
「おい、お前。……いきなり転がり込んできて、何者だ?」
ドルは足を止め、俺を見上げた。
そして、短く、端的な字幕を返してきた。
──『ドル:……作る奴だ』
「作る奴?」
──『ルウ:ともだち。つれてきた』
ルウが、空になったマグカップを置きながら、補足するように感情を送ってきた。
どうやらこのドルも、ルウと同じく深淵に住む古代種らしい。
ダンジョン最深部の高密度な鉱物を食べ、自身の甲殻を素材にして「道具」を精製する能力を持つ、岩殻型古代種。
ルウが深淵に持ち帰った「温かいカフェ」の話。そこに「面白い道具」があるという噂を聞きつけて、この生粋の職人気質の魔獣は、わざわざ壁の穴を通って視察にやってきたのだ。
「きゅんっ」
張り詰めた空気の中、コハクが空気を読まずにトコトコと歩み寄り、俺の足元に体をすり寄せてきた。
──『コハク:てき、いない。かたいだけ』
安全判定を終えたらしいコハクに、俺は少しだけ緊張を解き、しゃがみこんでその背中を撫でた。
指先が、柔らかな冬毛の奥へとふわりと沈み込む。
手のひらにじんわりと伝わってくる、小さな命の確かな体温。
コハクは目を細め、喉の奥からゴロゴロという深い振動音を鳴らし始めた。さらさらと毛が擦れる音が、少しだけピリついていた店内の空気を柔らかく中和していく。
俺は撫でる手を止めず、再びドルと、そしてグレイを見た。
ドルの小さな目は、再びグレイのミルへと向けられている。
グレイもまた、無言でドルを見下ろしている。
字幕はどちらからも出ない。
だが、職人と職人。道具に並々ならぬ執着を持つ二匹の間に、言葉を持たない者同士の、奇妙な火花が散っていることだけは確かだった。




