第7話 【協会査察】最下層に店を作ったら怒られる?
【過去:2日前】
その男は、最下層の空気には似つかわしくない、パリッとしたスーツ姿で現れた。
ただし、その上から最高等級の防護コートを羽織り、背中には大剣を背負っている。
探索者協会・監査部の倉橋。
「歩く六法全書」と恐れられる、凄腕の監査官だ。
俺は冷や汗を拭いながら、手元の端末を操作した。
配信ボタンを押す。
「……配信、つけるのか?」
倉橋が眼鏡の奥の瞳を細めた。
「はい。密室で揉めるより、全て公開した方がお互いのためかと。俺には隠すような後ろ暗いことはないので」
半分はハッタリだ。
でも、視聴者を証人にすれば、理不尽に消されることはないはずだ。
──────【LIVE】同接:1,250──────
: え、緊急配信?
: 誰このスーツのおっさん
: 装備ガチ勢じゃん
: うわ、監査部の倉橋だ。これ詰んだんじゃね?
: 逃げてー!
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同接はすでに千人を超えている。
昨日のバズりから、通知を待機している層が一気に増えた。
倉橋は端末を一瞥すると、ため息をついて手帳を開いた。
「深山灯。元Aランクテイマー。……単刀直入に言おう。君のやっていることは、現行法で言うとグレーゾーンを通り越して真っ黒だ」
淡々とした口調。
感情ではなく、事実として突きつけてくる。
「第一に、指定危険区域での無許可営業。第二に、SSランク相当の魔獣との接触および誘引行為。第三に、未認可周波数帯の占有」
ぐうの音も出ない。
全部事実だ。
「特に魔獣の件だ。君は懐いていると言うが、それはいつ暴走するか分からない爆弾を抱えているのと同じだ。協会としては、即時の活動停止と退去を命じざるを得ない」
正論だ。
探索者の安全を守るための、正しい論理。
俺は唇を噛んだ。
反論できない。
でも、ここは俺たちの──。
ドン。
重い音が響いた。
倉橋が肩を震わせ、反射的に背中の大剣に手を伸ばす。
だが、そこには殺気はなかった。
あったのは、湯気だ。
グレイが、カウンター越しにカップを置いた音だった。
「……なんだ、これは」
倉橋が警戒を解かずに問う。
グレイは無言で、長い鼻先でカップを押し出した。
黒褐色の液体から、芳醇な香りが立ち上る。
そして、画面に字幕(BeastCaption)が出る。
──『グレイ:客、座れ。冷める』
短い命令形。
だが、そこには不思議と威圧感はなかった。
ただの、頑固な店主の言葉だ。
──────【LIVE】同接:1,988──────
: www
: 監査官に座れってwww
: 最強かよ
: 飲ませる気だ
: まあ飲んで落ち着けよ的な?
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倉橋は呆気に取られた顔で、グレイとカップを交互に見た。
やがて、毒気を抜かれたように、剣から手を離した。
「……毒見は?」
「俺がしました。最高の出来です」
「……ふん」
倉橋は躊躇いながらも、用意された丸太の椅子に腰を下ろした。
カップを口に運ぶ。
一口。
その眉間の皺が、すぅっ、と消えた。
「……美味い」
小さな声だった。
グレイが満足げに喉を鳴らす。
グルルゥ……という低い重低音が、BGMのように心地よく響く。
足元では、コハクがおずおずと倉橋の革靴の匂いを嗅いでいた。
安全だと判断したのか、その足首に身体を擦り付ける。
スーツの生地と毛が擦れる、さらさらという音。
体温の温かさが、張り詰めた空気を溶かしていく。
倉橋は二口目を飲み、深く息を吐いた。
「……深山君。協会の役目は、危険を排除することだけじゃない。有益なリソースを管理し、運用することも仕事だ」
空気が変わった。
敵対から、交渉へ。
「この場所と、君のスキル。そして彼ら(魔獣)との関係性……これは、特異点だ。潰すには惜しい」
倉橋は手帳を取り出し、ペンを走らせた。
「『条件付き仮許可』を出そう。ただし、ルールは守ってもらう」
提示されたのは、徹底した管理条項だった。
・配信画面への『危険・真似禁止』常時表示
・協会への月次報告と安全監査
・緊急時の避難ルート確保
・魔獣サンプルの提供(毛一本でいいらしい)
「その代わり、私が窓口になる。君が勝手に潰されないように、手続きはこっちで整える」
「……いいんですか?」
「君に何かあれば、このコーヒーが飲めなくなるからな」
倉橋は微かに口角を上げ、カップを空にした。
──────【LIVE】同接:2,800──────
: 解決したー!
: 監査官チョロいwww
: いやコーヒーが美味すぎるんだろ
: まさかの仮許可
: バックに協会がついたぞ!
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こうして。
俺たちの店は、“潰されないためのルール”を手に入れた。
安堵したのも束の間。
配信を切った俺の端末に、信じられない相手からの連絡が入った。
『はじめまして、深山さん。DungeonLiveの蒼井ヒナです』
蒼井ヒナ。
登録者数三十万人超。国内トップクラスの探索者配信者。
『あなたの配信、見させてもらいました。──今からそちらへ伺ってもいいですか?』
……は?
今から? ここ、最下層だぞ?




