第62話 【発見】スミが掘り出した石板に、見たことのない文字が刻まれていた
【現在:開業72日目】
──────【LIVE】同接:21,200──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: うぽつ!
: 今日も最下層は平和だな
: お、主さん今日は土木作業?
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「いらっしゃい。今日はちょっと、温泉の排水路のメンテナンスをしてるんですよ」
俺はカメラに向かって挨拶をしながら、泥だらけの手をひらひらと振った。
温泉の稼働からしばらく経ち、湯船からオーバーフローしたお湯の排水処理が少し追いつかなくなってきたのだ。
カフェの方に水が流れてくると困るので、今日はスミと一緒に水路の拡張作業を行っている。
「スミ、そっちの壁際の泥はどうだ? 吸い取れそうか?」
──『スミ:……とれない!』
──『スミ:ここ、よごれてる? きれいにならない……!』
見ると、スミが岩肌と地面の境目あたりにべったりと張り付き、ぽよんぽよんと跳ねながら何度も同じ場所を舐めていた。
あらゆる汚れや苔を分解するスミが、ここまで苦戦するのは珍しい。
俺は不思議に思い、スコップを置いてスミのそばにしゃがみ込んだ。
「どれ、ちょっと見せてみろ」
スミが退いた後の地面をよく見ると、ただの岩盤ではなく、人工的に平らに削られたような「硬い何か」が埋まっていた。
スミは、その表面に刻まれた細い溝を「取れない汚れ」だと認識して、一生懸命に吸い取ろうとしていたらしい。
「なんだこれ……石、か?」
俺が周りの土を素手で払い除け、少しずつ掘り起こしていくと、それは縦横三十センチほどの平たい『石板』だった。
表面の泥を五十階層の湧き水で洗い流すと、そこには精緻な幾何学模様と、見たことのない文字列がびっしりと刻み込まれていた。
人間の使う言語ではない。かといって、ダンジョンの中で自然に形成された模様とも思えない。
明らかに「知性を持つ存在」が、明確な意図を持って刻み込んだものだ。
──────【LIVE】同接:25,400──────
: え、なにそれ
: 石板……? 遺跡の欠片みたいな
: 未知の言語? 学者が泣いて喜ぶやつじゃん!
: 主さん、またとんでもないもの掘り当てたな
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コメント欄がざわめき始める。
俺は石板の表面の文字を指でなぞりながら、無意識のうちにスキル『万獣統括』の感覚を少しだけ研ぎ澄ませていた。
すると、指先から微かな「思念」のようなものが流れ込んでくるのを感じた。
「…………」
それは、怒りや悲しみといった激しい感情ではない。
もっと静かで、深く、気の遠くなるような時間を経てなお消えない『記録』としての意思。
誰かが、何かを『残しておきたかった』。
それだけが、確かな感情の残滓として俺の心に触れた。
「……皆さん、すみません。ちょっとこれは、これ以上配信に乗せない方がいいかもしれない。協会に確認を取ります」
俺は直感に従い、すぐに配信のカメラをオフにした。
ダンジョン内で見つかった未知の遺物は、不用意に情報を拡散させると余計なトラブルを生む。
俺は端末を取り出し、石板の写真を撮って、いつものように倉橋さんへダイレクトメッセージを送った。
返信は、数十秒で返ってきた。
『未知の文字体系だ。即座に学術部門の専門チームに画像を回すが、現物はそのまま特区内で保管しておけ。不用意に地上へ持ち出すな。以上』
「相変わらず決断が早いな……」
俺はホッと息を吐き、石板を小脇に抱えてカウンターへと戻った。
◇
俺が石板をカウンターの上に置いた時だった。
いつもなら、俺が持ち帰るものなどコーヒー豆以外には大して興味を示さないグレイが、ゆっくりと顔を上げた。
黄金の瞳が、カウンターの上の石板をじっと、射抜くように見つめている。
「……グレイ? どうした?」
俺は声をかけながら、自然な流れでグレイの感情を拾おうとした。
だが。
「……えっ?」
読めない。
いつもなら、不器用で温かい本音が脳内リンクに落ちてくるはずなのに。今のグレイの心は、分厚い氷の壁で覆われているかのように、一切の感情をこちらに伝えてこなかった。
SSランクの魔獣が『意図的に心を閉ざした』のだ。
「店長……あんた、これのこと、何か知ってるのか?」
俺が真剣な声で問いかけると。
グレイは石板から目を逸らし、再びコーヒーミルへと長い鼻先を向けた。
──『グレイ:……知らん』
画面端に短く落ちた字幕。
明らかに嘘だ。グレイは何かを知っているか、あるいはこの石板に「何かを感じている」。
だが、俺はそれ以上追及しなかった。
彼が話したくないなら、無理に暴く必要はない。この店はそういう場所だ。彼が話したくなった時に、いつでも聞けるように、美味しいコーヒーを淹れて待っていればいい。
「……そっか。まあ、倉橋さんに預かってろって言われたし、しばらく店に置いとくよ」
俺が石板をカウンターの裏の棚にしまい込もうとすると、足元をコハクがトコトコと通り過ぎていった。
コハクは石板の匂いをふんふんと嗅いだが、食べ物でも温泉でもないと分かると、全く興味をなくして丸太の椅子へと飛び乗ってしまった。
ポッカは石板が通った時だけ、石の炉の炎を「パチッ」と少しだけ高く揺らした。何かの魔力に反応したのかもしれない。
そして、天井のツタの上から。
いつも陽気にさえずるチルが、石板がしまわれた方角をじっと見つめて。
「……チリ……」
小さく、とても不思議そうに、一度だけ鳴いた。
◇
石板をしまい終えると、俺は手を洗い、エプロンを着け直した。
ポッカが湯を沸かし、グレイが豆を挽き、コハクが丸太の上で欠伸をする。
何事もなかったかのように、最下層カフェの平和な日常が再開する。
ただ、カウンターの裏に「まだ読めない謎」が一つ、静かに眠っているだけだ。
「まあ、急ぐ話じゃない」
俺はコーヒーの香りを深く吸い込みながら、ぽつりと呟いた。
「この店は、いつだって『向こうから来る』のを待つ場所だからな」




