第60話 【来店】Sランクが風呂上がりに食べたプリンの感想がバズった
【現在:開業69日目】
温泉の運営が軌道に乗り、カフェに新しい「温もり」が定着し始めたある日のこと。
俺の端末に、見覚えのある名前から一通のダイレクトメッセージが届いた。
『灯店長、お久しぶりです……。あの、最下層に温泉ができたって本当ですか? もし本当なら、ぜひ入りたいです。……今すぐ!(切実)』
差出人は、トップ探索者であり人気配信者の蒼井ヒナさんだった。
文面からは、前回会った時以上の……いや、これまでにないほどの疲弊の色が滲み出ている。聞けば、高難易度ダンジョンの連続攻略で心身ともに限界ギリギリらしい。
俺はすぐに倉橋さんに連絡し、特区療養枠としての緊急利用を申請した。
「……許可が下りたぞ、ヒナさん。準備して待ってる」
◇
数時間後。
アーチをくぐって現れたヒナさんは、幽霊かと思うほど顔色が悪かった。
足取りは重く、トレードマークの明るい笑顔も影を潜めている。
「……こんにちは。……あ、グレイ店長……。今日は、本当にもうダメそうで……」
「いらっしゃい、ヒナさん。まずは何も言わずに、あっちへどうぞ。お湯、最高の温度で沸いてますから」
俺が温泉エリアを指差すと、ヒナさんの死んでいた瞳に、パッと火が灯った。
「温泉……! 本当にあるんですね、こんな場所に……。入っていいですか!? 今すぐ入っていいですか!?」
「ええ、もちろん。ゆっくり羽を伸ばしてください」
ヒナさんは吸い込まれるように、脱衣所の仕切りの奥へと消えていった。
──────【LIVE】同接:22,800──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: お、今日の療養枠はヒナちゃんか!
: 画面外からでも疲れが伝わってきたな……
: さあ、伝説のASMRタイムの始まりだ
: 温泉の入り口にカメラ固定たすかる
──────────────────────
配信のカメラは、プライバシーに配慮して温泉の入り口方向に固定してある。
映るのは、仕切りの上から溢れ出す真っ白な湯気だけだ。
だが、マイクは仕切りの向こう側の「音」を拾っていた。
――ザバァァァン……。
お湯が浴槽から溢れ出す、贅沢な音。
そして、数秒の静寂の後。
「……ふぁぁぁぁぁぁ~~~~~~……っ」
魂が抜けていくような、至福としか言いようのない長い、長い吐息。
骨の髄まで溜まった疲れが、最下層のミネラル湯に溶け出していくのが、その声だけで手に取るように分かった。
──────【LIVE】同接:25,400──────
: ヒナちゃんの吐息ASMRキター!!
: これは課金コンテンツ。スパチャ投げさせてくれ
: 声だけで「優勝」してるのが分かる
: 浄化される……視聴者の俺たちまで浄化される……
──────────────────────
◇
それから一時間ほどして。
温泉から上がってきたヒナさんは、さっきとは別人のような艶やかな顔色でカウンターに戻ってきた。
「……あぁ、生きてる。私、今、生きてます」
俺はそんな彼女の前に、あらかじめ準備しておいた「とっておき」を差し出した。
「お疲れ様でした。風呂上がりには、これが一番ですよ」
出したのは、ポッカの氷魔法でキンキンに冷やしておいた『濃厚深淵プリン』と、氷をたっぷり入れた『深淵アイスコーヒー』だ。
ヒナさんは、震える手でスプーンを握り、プリンを一口掬って口に運んだ。
……沈黙。
温泉で全身の細胞が開ききり、感覚が研ぎ澄まされた状態で受ける、強烈な甘みとコク。
「…………これ……っ」
ヒナさんは目を見開いたまま固まり、やがて絞り出すような声で呟いた。
「反則です。……店長さん、これは反則ですよ……」
それからは、もう言葉にならなかった。
ヒナさんは一口ごとに「……美味しい……」「……あぁ……」と呟きながら、幸せを噛みしめるように完食し、最後はアイスコーヒーで喉を潤して、大きく息を吐いた。
◇
帰り際。
ヒナさんはいつものようにカメラの前に立った。顔は映らない位置だが、その声には確かな力が宿っている。
「みんな、聞いて。ここの温泉はね……お湯に入った瞬間に、全部『下ろせる』の」
彼女は、自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「Sランクとか、人気配信者とか……そういう、ずっと背負わなきゃいけなかった重たい荷物を、全部。……だから、画面の向こうのみんなも、想像してて。ここには、本当の『休み場所』があるんだって。……最高だから」
その言葉は、切り抜き動画として瞬く間に拡散され、世界中の探索者たちの心を撃ち抜くことになる。
……その結果、翌日の俺の端末には、温泉目当ての療養枠申請が津波のように押し寄せた。
だが。
『通知:申請数 3,452件。……仕事を増やすな。以上』
倉橋さんからの事務的な通知が、俺を現実に引き戻した。
「……倉橋さん、ほんとごめんなさい」
俺が苦笑いしていると、ヒナさんが座っていた丸太の椅子に、コハクがトコトコと歩み寄っていった。
そして、自分の頬や背中を椅子にぐりぐりと擦り付け、必死に匂いを上書きし始める。
──『コハク:わたしのにおい、つける』
──『コハク:つぎのお客さん、あんしんする。……ここ、いいところ!』
「……ははっ、お前なりの接客か。ありがとうな、コハク」
俺はコハクの金色の頭を撫でながら、湯気とコーヒーの香りが混ざり合う店内の空気を目を閉じて吸い込んだ。




