第57話 【常連】温泉デビューした角鹿の毛が、ありえないツヤになった
【現在:開業62日目】
チリロ、チリリン。
天井のツタの上から、チルが開店を告げる澄んだ鈴の音を響かせた。
──────【LIVE】同接:23,500──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: うぽつ!
: 今日は最初から温泉の湯気見えてるな
: 音だけ配信もよかったけど、やっぱり魔獣たちの動く姿も見たい
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「いらっしゃい。今日も最下層は平和ですよ」
俺がカメラに向かって挨拶をした直後、入り口のアーチからひょっこりと顔を出したのは、うちの最古参の常連である角鹿だった。
その後ろから、斑点模様の子鹿もトコトコとついてくる。
いつもなら、コハクの案内で丸太の客席に座るはずの角鹿だが、今日はどうも様子が違った。
しきりに鼻をひくひくさせ、耳をパタパタと動かして、まっすぐに『奥』――新設された温泉エリアの方を見つめている。
「お、今日は温泉目当てか? 昨日から湯気が外に漏れてたもんな」
俺が笑いかけると、角鹿は嬉しそうに「プルーッ」と鼻を鳴らした。
「よし、こっちだ。魔獣用の浅い湯船があるから」
俺はカメラを持ったまま、角鹿親子を露天風呂へと案内した。
仕切りの向こう側に広がる湯気と、青や紫の発光結晶に照らされた岩の浴槽を見て、角鹿の目がキラリと輝く。
角鹿は恐る恐る前足をお湯に入れ、温度を確認すると――躊躇なく、ザブンと全身を沈めた。
首から上だけを湯面に出し、目を細め、長い息を吐き出す。
──『角鹿:……はぁ』
それだけで、どれほどの至福を感じているかが痛いほど伝わってきた。
一方、後ろからついてきた子鹿は、初めて見るお湯の溜まり場にオロオロと湯船の縁を行ったり来たりしていた。
だが、親がとても気持ちよさそうにしているのを見て、意を決したようにピョンッと跳ねた。
ザブンッ!!
盛大な水しぶきが上がり、親の角鹿が「ちょっと」という顔でブルブルと顔を振る。
飛び込んだ子鹿は、元気よく泳ぐのかと思いきや――様子がおかしかった。
バシャバシャと短い足を必死に動かすのだが、ダンジョンのミネラルが限界まで溶け込んだ高濃度の温泉水は、想像以上に『浮力』が高かったらしい。
ぽつん、と。
子鹿の体が、お腹を上にして、四本の足をピーンと伸ばした状態で、湯面に見事に浮き上がってしまった。
──『子鹿:……なにこれ????』
子鹿は目を見開き、自分がなぜ浮いているのか理解できないまま、ぽかーんと湯の流れに身を任せて漂っている。
──────【LIVE】同接:27,800──────
: wwwwwww
: ぷかぷかしてるwww
: 子鹿ラッコ爆誕
: 浮力高すぎだろw
: 保護したい、この世界遺産
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コメント欄が爆発的な勢いで流れていく。
すると、湯船の縁から、金色の小さな影が身を乗り出した。コハクだ。
──『コハク:だいじょうぶ?』
──『コハク:たすける?』
ぷかぷか流されている子鹿が心配になったらしい。一生懸命に短い前足を伸ばして、引き上げようとしている。
「ははっ、大丈夫だコハク。浮いてるだけだから」
俺は笑いながら、漂流していた子鹿の体を両手ですくい上げ、足の着く浅瀬にそっと降ろしてやった。
子鹿は「きゅっ」と短く鳴いて、ブルブルと体を震わせた。
◇
しばらく温泉を堪能し、湯から上がった角鹿親子。
俺は用意していた乾燥用のタオルで、彼らの体を丁寧に拭いてやった。
「よし、乾いたぞ。……って、うおっ」
完全に水分が飛んだ角鹿の姿を見て、俺は思わず声を漏らした。
普段の若草色の毛並みが、まるで別物のように変化していたのだ。
色が深みを増し、一本一本の毛に艶やかな光沢が宿っている。温泉の強力なミネラル成分が、毛の表面を完璧にコーティングした結果だ。
俺がカメラをズームにして映すと、視聴者もすぐに異変に気がついた。
──────【LIVE】同接:29,000──────
: え、めっちゃツヤツヤなんだけど!?
: トリートメントした?
: CGかよww
: 解像度バグってる
: ビフォーアフターえぐいな……俺の髪の毛も蘇るだろうか
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「すごいな、神獣みたいなオーラ出てるぞ」
俺が感心していると、足元で「きゅ!」という鳴き声がした。
見下ろすと、子鹿が信じられない姿になっていた。
まだ細く柔らかかった産毛が、温泉の成分で限界まで膨張し、まるでたんぽぽの綿毛のような『完全な球体』になっていたのだ。
「お前……丸くなったな……」
俺がツッコミを入れると、子鹿は不思議そうに自分の丸い体を見回し、コハクが「もふもふだ!」と飛びついて遊び始めた。
◇
その後。
温泉でポカポカになった体に、グレイの淹れたはちみつラテは格別だったらしく、角鹿は嬉しそうに二杯もおかわりを飲んでいった。
帰り際、まん丸になった子鹿がトテトテと戻ってきて、俺の右手を小さな舌でぺろりと一舐めし、そのまま親の後を追って五十階層の奥へと駆けていった。
「いやあ、いいお湯だったみたいですね。……ところで皆さんに質問なんですが」
俺はカメラに向かって、少し意地悪く笑いかけた。
「温泉上がりの魔獣のビフォーアフター、需要ありますかね?」
コメント欄は、一瞬の隙もなく『ある』『毎週やれ』『古竜のビフォーアフターも見たい』という圧倒的賛成の弾幕で埋め尽くされた。
「古竜さんはサイズ的に無理ですって」
俺は苦笑しながら、平和な空気に満ちた今日の配信を締めくくった。




