第51話 【日常】常連の角鹿が子鹿を連れてきた。店が保育園になりかけた
【現在:開業59日目】
特区療養枠の稼働によって、人間のお客さんが来る日も増えたが、今日は久しぶりの完全な通常営業――魔獣たちのための、穏やかな癒やし配信の日だ。
──────【LIVE】同接:23,200──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: うぽつー!
: 今日も平和だなぁ
: お、角鹿さんだ。……ん?
: 待って、なんか後ろからちっちゃいのが出てきた!?
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「いらっしゃい、……おや。今日は連れがいるんだね」
俺がカメラに向かって微笑むと、常連の角鹿が、誇らしげに鼻を鳴らした。
その足元から、おぼつかない足取りでひょっこりと顔を出したのは、生まれたばかりと思われる小さな子鹿だった。
まだ斑点模様が鮮やかなその子鹿は、初めて見るカフェの光景に興味津々なようで、大きな瞳をキラキラと輝かせている。
「きゅうっ!」
子鹿は、親の制止も聞かずに店の中へと猛ダッシュした。
最初に向かったのは、床をピカピカに磨いていたスミのところだ。
ぽよんっ、つるんっ!
「わわっ」
子鹿はスミの柔らかな体の上に勢いよく飛び乗ると、そのまま氷の上を行くようにつるつると滑り、楽しそうに鳴き声を上げた。
スミは『きれい!』と字幕を出しながら、驚く様子もなく子鹿を優しく受け止めて運んでいく。
次に子鹿が興味を示したのは、石の炉で揺れるポッカの炎だった。
「あ、危ないぞ」
俺が声をかけるより早く、子鹿はポッカの温かな熱に吸い寄せられるように鼻先を近づけた。
パチッ。
薪が爆ぜる音と、鼻先をくすぐる温風。
「……くちゅんっ!」
子鹿は盛大にくしゃみをして、自分の鼻の感触に驚いたように飛び上がった。
ポッカは『あったか!』と炎を丸くして、からかうように揺れている。
さらに子鹿の冒険は止まらない。
今度は、ツタの上で静かに休んでいたチルの、長く美しい尾羽を見つけたらしい。
チリリン!
チルが『やめて』と鈴を鳴らして逃げるが、子鹿は「遊んで!」とばかりにピョンピョンと跳ねながら、チルの尻尾を追いかけ回して店内を走り回った。
「コハク、ちょっと助けてやってくれ」
俺が苦笑しながら頼むと、コハクが「任せて!」と言わんばかりに胸を張って、子鹿の前へと立ちはだかった。
コハクは少しだけ背伸びをして、先輩スタッフとしての威厳を見せようと、子鹿を客席の方へと誘導しようとする。
──『コハク:こっち、おいで』
──『コハク:せき、すわる』
しかし、元気いっぱいの子鹿にとって、小さなコハクは格好の遊び相手にしか見えなかったらしい。
子鹿はコハクの周りをぐるぐると回り、隙を見てはその柔らかな冬毛に顔を突っ込んで甘え始めた。
──『コハク:……ちがう』
──『コハク:きいて』
全く言うことを聞いてもらえず、コハクは耳をぺたんと伏せ、助けて欲しそうに俺の方を振り返った。
「ははっ、完全に遊ばれてるな」
──────【LIVE】同接:25,800──────
: カオスwww
: 完全に保育園状態
: 託鹿所オープンですね分かります
: コハクの先輩面が通用してなくて草
: みんな可愛い、語彙力が死ぬ
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店の中が賑やかすぎるほどに活気づいていた、その時だった。
カウンターの奥で静かに豆を挽いていたグレイが、ゆっくりと顔を上げた。
黄金の瞳が、店内を走り回る子鹿を静かに捉える。
──『グレイ:……静かに』
脳内リンクに落ちてきた、短くも絶対的な一言。
その瞬間、まるで時間が止まったかのように、子鹿がピタッと動きを止めた。
SSランクの威圧感ではない。ただの、厳格な店長としての重み。
子鹿は「しゅん」とした様子で、親である角鹿の足元へとトコトコと戻っていった。
「さすがグレイ店長。……よし、いい子にしてたご褒美だ」
俺は最下層の樹液を極上の湧き水で薄め、飲みやすい温度に温めた『特製ミルク』を小さな木の器に入れた。
「どうぞ。お口に合うかな」
子鹿の前に置くと、彼は尻尾をちぎれんばかりに振って、夢中でミルクを舐め始めた。
よほど美味しかったのか、最後の一滴まで綺麗に飲み干すと――。
「ぷくっ……げぷっ」
子鹿は、満足げに小さなゲップを一つ。
そのあまりに人間味のある仕草に、コメント欄は「可愛い」「おっさんかw」「幸せそう」という言葉で埋め尽くされた。
◇
ひとしきり遊んでお腹も満たされた子鹿は、親の背中に寄り添うようにして帰路につく。
帰り際、俺が入り口で見送っていると。
子鹿はふと足を止め、俺のところまで戻ってきた。
そして、俺の差し出した手を、温かくて小さな舌でぺろりと一舐めした。
「……っ」
ザラリとした感触。
親愛と感謝が伝わってくるような、混じりけのない温もり。
「……やばい、こっちが癒やされてる」
俺が照れ笑いを浮かべながら手を振ると、子鹿はもう一度元気に鳴いて、五十階層の奥へと消えていった。
騒がしい一日だったけれど、俺の心はいつになく穏やかだった。
魔獣も、人間も、そして子供も。
ここは、誰にとっても優しい場所であり続けたい。そう強く思った一日だった。
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【あとがき】
お読みいただきありがとうございます!
今回は久々の純粋な癒やし回として、角鹿さんの子鹿ちゃんが登場しました。
スミの上で滑ったり、ポッカに驚いたりと大はしゃぎの子鹿ちゃん。
最後には灯の手を舐めて、極上の癒やしを置いていってくれました。
たまにはこういう、何気ないけど温かい日常もいいですよね。
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番外編 【記念配信】第3部完結! カフェの皆で小さなお祝いパーティー
【現在:営業終了後、深夜】
今日は入り口の営業札を「準備中」の裏側に返し、防犯用のアーチも下ろした完全な閉店後。
だが、カウンターの上には配信用カメラが置かれ、静かに赤いランプを点滅させている。
──────【Secret LIVE】──────
: なんだなんだ、深夜のゲリラ配信!?
: 誰もいない……と思ったら主さんと魔獣たちだ!
: 営業終了後のオフショット助かる
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「こんばんは。こんな深夜にゲリラ配信を開いてすみません。……いえ、今日はダンジョンの視聴者さんに向けた配信じゃなくて、次元の壁の向こう側で俺たちの物語を読んでくれている『読者』の皆さんへ向けた、特別な通信です」
俺がカメラに向かって手を振ると、画面の向こう側の空気が一気に湧き上がったのが分かった。
「おかげさまで、うちのカフェの『療養枠編(第3部)』が無事に完結しました。最後まで温かく見守っていただき、本当にありがとうございます」
俺が深く頭を下げると、足元からトコトコとコハクがやってきて、カメラのレンズを不思議そうに覗き込んだ。
──『コハク:だれ、みてるの?』
──『コハク:……ありがとう!』
コハクはよく分かっていないようだが、俺が感謝しているのを見て、一緒になってふわりと尻尾を振ってくれた。
すうっ、つるんっ。
スミが床を滑りながら『おつかれさま!』と字幕を出し、ポッカは石の炉の中でパチパチと小さな花火のような火花を散らして『お祝い!』と炎を揺らしている。
天井のツタでは、チルがチリロ、チリリンと、いつもより少し華やかなメロディを奏でていた。
「療養枠が始まってから、色んなお客さんが来ましたね。鷹村さんに楠木さん、そして澪にヒナさん。……最初は皆ボロボロでしたけど、帰る時は少しだけ前を向いてくれて、俺としても店長としても、本当に嬉しい期間でした」
俺がそう言ってカウンターの奥を振り返ると、SSランクの銀狼――グレイ店長が、いつもと変わらぬ重厚な動作で特大のミルを回していた。
ゴリ、ゴリ、ゴリ……。
深夜の静寂に響く、腹の底に響くような音。
やがてグレイは、極上の湧き水でドリップしたコーヒーに、たっぷりのスチームミルクを注いだ。
器用にカップを揺らし、表面に浮かび上がらせたのは――『祝』という、見事すぎる漢字のラテアートだった。
「……店長、いつの間に漢字なんて覚えたんですか」
──『グレイ:……飲め』
少しだけそっぽを向きながら、グレイが俺の前にカップを押し出す。
相変わらずの不器用な優しさに、俺は思わず吹き出してしまった。
「いただきます。……そうだ、完結記念といえば」
俺はコーヒーを一口飲み、その完璧な美味しさに息を吐き出してから、カメラの前に一枚の『絵』を取り出した。
「バナナさんという方が、俺たちの店を描いてくれたらしいんです。キービジュアルっていうんですかね? これ、すごくないですか?」
https://kakuyomu.jp/users/AI_Stroy_mania/news/2912051597817228633
画面の前に掲げたのは、ゴツゴツとした岩壁、発光結晶の神秘的な光、そして温かい暖炉の前でコーヒーを飲む俺たちと療養枠のお客さんたちを描いた一枚の絵だ。
──『コハク:あかり、いる! コハクもいる!』
──『コハク:ふかふか!』
コハクが自分の姿を見つけて飛び跳ねる。
グレイも黄金の瞳を細め、絵の中に描かれた、カウンターの奥を埋め尽くすような巨大な自分の姿をじっと見つめた。
──『グレイ:……悪くない』
「ははっ、店長公認が出ましたね。すごくモフモフに描いてもらえて、俺も嬉しいです」
温かいコーヒーの香りと、魔獣たちの息遣い。
そして、画面の向こうから送られてくる、無数の温かいコメントたち。
「このカフェは、俺とグレイと、この子たちだけの場所じゃない。画面越しに見守ってくれている皆さんのおかげで、今日もここに存在できています」
俺はカメラに向かって、コーヒーの入ったカップを軽く掲げた。
「明日からは、また新しい日常が始まります。……どうやらスミが、とんでもないものを掘り当ててしまったみたいで、うちの店、少し改装することになりそうなんですよね」
俺が苦笑すると、スミが『?』とぽよんと跳ねた。
「これからも、世界一安全で、最高に温かいコーヒーをご用意してお待ちしています。どうか、引き続き画面の向こうから、俺たちの日常を覗きに来てください」
チリリン、とチルの鈴の音が響く。
俺と魔獣たちは並んでカメラを見つめ、最後にもう一度、深く感謝の意を込めてお辞儀をした。
「それじゃあ、また明日。……おやすみなさい」




