第49話 【記念】同接2万、安定して超えた日。俺たちは何も変わらない
【現在:開業55日目】
配信のスイッチを入れると、画面の隅にある視聴者数のカウンターが、瞬く間に跳ね上がっていった。
一万、一万五千、そして――。
──────【LIVE】同接:21,400──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: うぽつ!
: 今日もあっさり2万超えか。すごいな
: ヒナちゃんの切り抜きから毎日来てるけど、本当にずっと平和
: 開店前のこの静かな時間がたまらん
──────────────────────
ここ数日、うちの配信の同時接続数は、安定して二万人を超えるようになっていた。
トップ配信者の蒼井ヒナさんが残した言葉の影響が一番大きいが、それ以降も定着してくれている視聴者が多いのは、本当にありがたいことだ。
だが、見られている人数がどれだけ増えようと、特区であるこの店がやるべきことは、何一つ変わらない。
「いらっしゃい。今日も最下層は平和ですよ」
俺がカメラに向かって微笑んだのを合図に、いつもの愛おしいルーティンが始まった。
チリロ、チリリン。
ツタの上で、チルが澄んだ声で『いらっしゃい』の歌を歌い始める。
すうっ、つるんっ。
スミが床を滑り、空気中の埃から足元の泥までを『きれい!』と吸い尽くし、完璧な無菌空間を作り上げる。
ぽわんっ、パチパチ……。
石の炉ではポッカが『あったか!』と揺れ、乾いた薪を爆ぜさせて、極上の湧き水を完璧な温度へと導いていく。
トコトコトコ。
コハクが短い尻尾を振りながら、一番乗りの常連客である角鹿たちを『どうぞ!』と空いている席へ誘導する。
そして。
カウンターの奥では、SSランクの銀狼――グレイが、特大のミルを回し始める。
ゴリ、ゴリ、ゴリ……。
腹の底に響くような重厚な音と共に、深淵珈琲の豆が挽かれ、芳醇な香りが店内に満ちていく。
外のアーチでは、超巨大な古竜が山のように丸まって、スースーと平和な寝息を立てている。
「同接が二万を超えて、何か特別な企画をやらないのかって声もいただきますが」
俺は、グレイが淹れてくれたコーヒーを一口飲み、ふぅっと息を吐き出して言葉を続けた。
「俺たちは、何も特別なことはしていません。ただ、毎日同じことを、丁寧にやっているだけです」
俺がそう言うと、画面の端に、グレイの短い字幕がぽつんと浮かんだ。
──『グレイ:いつも通り』
──────【LIVE】同接:23,100──────
: グレイ店長ww
: 『いつも通り』。それが一番難しいんだよなぁ
: 毎日の積み重ねが最強ってことだ
: この変わらない安心感を求めて来てるんだから、これでいいんだよ
: むしろ変な企画とかやらないでくれw ずっとこのままでいて
──────────────────────
視聴者の温かいコメントが滝のように流れていく。
俺がそれに目を細めていると、「きゅんっ」と短い鳴き声と共に、コハクがぴょんと俺の膝の上に飛び乗ってきた。
くるくると二回ほど回ってポジションを決めると、俺の太ももの上で丸く丸まって、目を閉じる。
俺はそっと、その金色の背中に手を伸ばした。
指先が、お日様の匂いがする柔らかな冬毛の奥深くへと沈み込んでいく。
絹のようになめらかな触覚。
膝を通してじんわりと伝わってくる、湯たんぽのような命の温かさ。
そして、撫でるたびに喉の奥から鳴る、ゴロゴロ、トクトクという、低い振動音。
──『コハク:……きもちいい』
もふもふの三要素――極上の触覚、温かい体温、安心する振動音。
それらが三位一体となって、俺の神経を芯から解きほぐしていく。
「……あー、やっぱりコハクの毛並みは最高だな」
俺がだらしない顔で撫で続けていると、コメント欄も「主さんが一番癒やされてる」「その毛玉もふりたい」「ASMR助かる」と平和な声で埋め尽くされていった。
◇
同接二万超えの記念日も、こうして何事もなく、穏やかな日常回として幕を閉じた。
配信のカメラを切り、魔獣たちと店内の片付けを終えた夜のこと。
俺の端末に、一件のダイレクトメッセージが届いた。
差出人は、療養枠の最初の常連客である、元Sランク剣士の鷹村さんだった。
『夜分遅くに申し訳ありません。店長、来週の療養枠ですが……申請しなくて大丈夫です』
「おや……?」
俺は少し驚き、メッセージの続きに目を落とした。
何か不都合でもあったのだろうか。そう思った俺の目に飛び込んできたのは、予想を遥かに超える、力強い一文だった。
『……明日、久しぶりに、剣を握ってみようと思います』
「……っ」
深層の事故で心身を壊し、剣の柄に触れることすら恐れて、ただ震える手を抱えていた男。
彼が今、再び前を向いて歩き出そうとしている。
『店長。グレイさん。コハクちゃん。スミちゃん、ポッカちゃん、チルちゃん。……あのカフェが、俺の凍っていた時間を溶かしてくれました。本当に、ありがとうございました』
俺は、端末の画面を見つめたまま、自然と笑みをこぼしていた。
「……グレイ」
俺が声をかけると、カウンターの奥で前足を畳んでいたグレイが、静かにこちらを見た。
「どうやら、鷹村さんは『卒業』みたいだ」
──『グレイ:……そうか』
グレイの短い字幕には、誇るような色も、寂しがるような色もない。
ただ、去っていく客の背中を静かに見送るような、穏やかな響きがあった。
俺たちの居場所は、何も変わらない。
だけど、ここで温まった誰かの人生は、確かに変わり始めている。
ダンジョン最下層のカフェは、明日もまた、いつも通りに店を開ける。




