第48話 【新メニュー】楠木さんのアロマ研究のおかげで、最高のハーブブレンドができた
【現在:開業53日目】
特区療養枠の制度が完全に軌道に乗り始めた、ある日の午後。
元調合師の楠木さんが、防毒マスクを外した明るい笑顔で、カウンターに小さなガラス瓶をコトリと置いた。
「店長さん、ついに完成しました!」
瓶の中に入っているのは、細かく砕かれた乾燥葉っぱと、微細な紫色の粉末が混ざり合ったものだった。
「これは、この前スミが見つけた紫水鉱と、五十階層のハーブですね?」
「はい。地上に持ち帰って、成分を限界まで濃縮・調整しました。これを、グレイさんの淹れるコーヒーに少しだけ混ぜてみてください」
楠木さんの自信に満ちた言葉に、俺とグレイは顔を見合わせた。
ゴリ、ゴリ、ゴリ……。
グレイが特大のミルを回し、深淵珈琲の豆を挽く。
そこに、楠木さんが持参したハーブブレンドをひとつまみだけ加え、極上の湧き水でゆっくりとドリップしていった。
トトトトト……。
水音が響くと同時に、店内に立ち上ったのは、いつもの芳醇な焙煎香に、森の奥深くで深呼吸をしたような清涼感が合わさった、信じられないほど澄み切った香りだった。
「すごいな、これ。香りを嗅いだだけで、肩の重さがスッと抜けていくみたいだ」
俺は驚きと共に、配信のカメラをオンにした。
──────【LIVE】同接:16,800──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: うぽつ!
: おっ、今日はなんか新しいことやってる?
: コーヒーに何か混ぜた? 色は普通だけど
: 主さんの顔がマジでリラックスしてて草
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「いらっしゃい。今日は、療養枠の常連さんと共同開発した、新しいコーヒーの試飲をしています。ハーブの香りが加わって、リラックス効果が桁違いなんですよ」
俺が説明すると、コメント欄がわっと盛り上がった。
せっかくなので、以前のお茶の時と同じように、視聴者アンケートで名前を決めることにする。
いくつか候補を出した結果、一番票を集めたのは――。
「よし、決まりですね。名前は『深淵のやすらぎブレンド』にしましょう」
名前が決まったところで、俺は淹れたての一杯を、グレイの前にそっと押し出した。
コーヒーの味には絶対のこだわりを持つSSランク魔獣の店長が、果たしてハーブとのブレンドをどう評価するのか。
グレイは黄金の瞳でカップを見つめ、鼻を近づけて香りを確かめた。
そして、チロリと舌を伸ばし、一口味わう。
静寂。
やがて、画面の端に短い字幕がぽつんと浮かんだ。
──『グレイ:……これも良い』
──────【LIVE】同接:19,500──────
: グレイ店長公認キターーー!!
: 新レギュラーメニュー爆誕の瞬間である
: 店長が「これも」って言うの、なんか器がデカくて好き
──────────────────────
こうして、最下層のカフェに二種類目のレギュラーメニューが誕生した。
◇
配信を終えた後の、穏やかな時間。
今日、楠木さんと同じ時間帯に療養枠を利用していた鷹村さんの前にも、新メニューである『深淵のやすらぎブレンド』が置かれていた。
「……はぁ」
一口飲んだ鷹村さんは、全身の力が完全に抜けきったように、深く、長い息を吐き出した。
楠木さんの調合したハーブが痛んだ神経を優しく鎮め、グレイのコーヒーが冷えた体を芯から温める。
二つの才能が融合したその一杯は、心身を壊した元Sランク剣士に、かつてないほどの深い安らぎを与えていた。
鷹村さんは、トロンとした目で店内を見回し。
ふと、カウンターの横で前足を畳んで休んでいる、グレイの巨大な背中を見つめた。
かつては、グレイの放つSSランクの威圧感に硬直していた彼だが。
今はもう、そこに「敵意」がないことを痛いほど理解している。
すっ、と。
鷹村さんは、微かに震える右手を伸ばした。
そして、おそるおそる、グレイの首筋のあたりにある、分厚い銀色の毛並みにそっと触れた。
ビクッ、と鷹村さんの肩が揺れる。
だが、グレイは威嚇するでもなく、避けるでもなく、ただ静かに目を閉じたまま、脳内リンクに一言だけ字幕を落とした。
──『グレイ:好きにしろ』
「……っ」
その絶対的な許容に触れた瞬間。
鷹村さんの震える手が、柔らかな銀色の冬毛の奥深くへと、ゆっくりと沈み込んでいった。
トクトクと伝わってくる、巨大で力強い命の鼓動。
まるで上質な羽毛布団のように温かく、包み込むような毛並みの感触。
俺はカウンターを拭きながら、その光景を静かに見守っていた。
グレイの毛並みに埋もれた鷹村さんの手は――撫でている間、完全に震えを止めていた。
「……温かいな」
ぽつりとこぼれた鷹村さんの掠れた声は、薪が爆ぜる音とチルのさえずりに溶けて、静かに消えていった。




