第45話 【来店】ヒナさんが二度目の来店。今度は「客」として、静かに泣いた
【現在:開業48日目】
今日は、少し特別な配信日だ。
カメラの画角を調整し、カウンターの席に座るお客さんの「首から下」だけが映るようにセッティングを固定する。
特区療養枠を利用して、あのトップ配信者でありSランク探索者の蒼井ヒナが来店するからだ。
──────【LIVE】同接:18,500──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: 今日ヒナちゃんが来るってマジ!?
: ヒナちゃんの枠は今日お休みらしい。こっちで見る!
: 顔出しNGなんだな。療養枠だもんね
: ワクワクするけど、静かに見守ろうぜ
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ヒナが来るとあって、配信の同接数は開始早々から跳ね上がっていた。
だが、事前の注意喚起が効いているのか、コメント欄の空気は落ち着いており、皆が静かにその時を待っている。
チリリン。
チルの澄んだ鈴の音が、入り口のアーチで鳴った。
Aランクの護衛職員に付き添われて入ってきたのは、見慣れた軽装の装備を身に纏った小柄な少女。
蒼井ヒナだ。
しかし、その足取りは以前五十階層へ強行突破してきた時のような軽快さはなく、どこか鉛のように重かった。
肩の力は抜け落ち、漂うオーラはひどく疲弊している。
ダンジョンの最前線で命を削り続ける、トップ探索者の生々しい姿だった。
「いらっしゃい、ヒナさん。空いている席へどうぞ」
俺が普段通りに声をかけると、ヒナは小さく頷き、指定された丸太の椅子へと腰を下ろした。
「きゅんっ!」
すかさず、コハクがトコトコとヒナの足元へ駆け寄る。
ふんふんと匂いを嗅ぎ、『しってる!』と短い字幕を浮かべると、嬉しそうに彼女の足に金色の冬毛をすりすりと押し付けた。
「あ……」
ヒナが、そっと手を伸ばしてコハクの頭を撫でる。
「私のこと……覚えていてくれたんだね。ありがとう」
ヒナの口元が、わずかに緩む。
スミが足元の汚れを音もなく吸い取り、ポッカが石の炉でパチパチと乾いた薪を爆ぜさせて、店内の空気を春の陽だまりのように温めていく。
ゴリ、ゴリ、ゴリ……。
カウンターの奥では、グレイがヒナのために特大のミルを回し始めた。
腹の底に響くような重厚な音と、立ち上る深淵珈琲の芳醇な香り。
「どうぞ。淹れたてです」
俺が湯気を立てるカップをヒナの前に置くと、彼女は微かに震える両手でそれを包み込んだ。
そして、ゆっくりと目を閉じ、一口飲む。
「……っ」
その瞬間だった。
彼女の全身を覆っていた、Sランク探索者としての「鉄壁の鎧」のようなオーラが、ふっと霧散して消えた。
「ああ……」
ただの、疲弊しきった等身大の少女に戻ったヒナの瞳から、ぽろり、と。
大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……ここの空気、やっぱり本物です」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、ヒナは両手で大切そうにカップを握りしめていた。
カメラは彼女の首から下しか映していないが、その声の震えと、カップに落ちる雫だけで、彼女がどれほど限界まで張り詰めていたかが伝わってくる。
──────【LIVE】同接:21,000──────
: ヒナちゃん……
: そりゃ疲れるよな。ずっと最前線だもん
: 泣いていいんだよ、ここは安全なんだから
: 魔獣カフェ、マジで最高の駆け込み寺じゃん
: コーヒーの湯気見てるだけでこっちも泣きそう
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同接はついに二万を超えたが、コメント欄は荒れるどころか、誰もが彼女を優しく見守る温かい空気に包まれていた。
俺は何も言わず、ただ静かに、空になった彼女のカップに新しいコーヒーを注ぎ足した。
言葉で励ます必要はない。この温かい空間とコーヒーこそが、俺たちからの唯一の返答だ。
しばらくして落ち着きを取り戻したヒナに、俺は木製の皿に乗せた『最下層プリン』を出した。
「わぁ……。これ、配信で見てずっと食べたかったんです」
ヒナは木のスプーンで琥珀色のカラメルを絡め、嬉しそうにプリンを頬張った。
甘いものを食べている時の彼女は、年相応の無邪気な女の子そのものだ。
「ふふっ。あの子も、常連なんですね」
ヒナがふと視線を向けた先、入り口のアーチの外では、超巨大な古竜が山のように丸まって、スースーと平和な寝息を立てていた。
五十階層の主すらも野生を忘れて眠る場所。
その光景に、ヒナは心底おかしそうに笑った。
◇
滞在時間が終わり、ヒナが帰る時のこと。
彼女は席を立ち、帰還の準備を整えると、カウンターの上に置かれた配信用のカメラに向かって真っ直ぐに向き直った。
顔は映っていないが、その声には、トップ配信者としての確かな芯が戻っていた。
「みんな、見てくれてありがとう。……ここは、世界で一番安全で、温かい場所です」
ヒナの声が、静かな店内に響く。
「でも、どうかお願い。画面の向こうで見ていてください。ここに来るまでの道は地獄だし、ここは……静かにコーヒーを飲むための場所だから」
彼女は深くお辞儀をした。
「画面の向こうから、この優しい空間を見守る。……それが、一番正しい楽しみ方です」
トップ配信者からの、この上なく誠実で重いメッセージだった。
俺は小さく微笑み、「またいつでも来てください」と彼女を見送った。
――そして、数時間後。
ヒナが残したその一言の切り抜き動画は、SNSで爆発的な勢いで拡散された。
『最前線のSランクを泣かせた、究極の癒やしカフェ』。
その噂は瞬く間に広がり、俺たちの最下層カフェの認知度は、これまでにない新たな段階へと突入していくのだった。




