第42話 【投票】楠木さんのリクエストで、新しいハーブティーを試作します
【現在:開業42日目】
特区療養枠を利用して、元調合師の楠木さんが二度目の来店を果たした日のこと。
今日は、彼女の提案で少し変わった試みをすることになっていた。
「店長さん、これ……本当にすごいです。地上では見たこともない成分のバランスですよ」
防毒マスクを外した楠木さんが、カウンターの上に広げた数種類の植物の葉を虫眼鏡で覗き込み、興奮した様子で声を弾ませた。
それは、この五十階層の奥深くに自生している野生のハーブだ。
以前から生えていることには気づいていたが、テイマーである俺にはただの雑草にしか見えず、使い道が分からずに放置していたものだった。
「この青い葉は、リラックス効果のある香気成分を桁違いに含んでいます。こちらの丸い葉には、神経の昂ぶりを抑える鎮静作用が……。これを適切にブレンドしてお湯で煮出せば、極上のハーブティーになりますよ!」
「なるほど、さすがはAランクの調合師だ。……よし、さっそく試作してみよう」
俺が頷き、ハーブの葉をいくつか手に取ろうとした、その時だった。
「きゅん?」
足元からトコトコとやってきたコハクが、カウンターの上の葉っぱに興味を示し、短い鼻先を近づけた。
ふんふんと、匂いを嗅ごうと息を吸い込んだ瞬間。
「……きゅ、きゅんっ!」
ハーブの刺激に鼻がムズムズしたのか、コハクが可愛らしいくしゃみを一つ、盛大に放った。
ふわり、と。
カウンターの上に広げてあったハーブの葉が、くしゃみの風圧で宙に舞い上がる。
──『コハク:……びっくりした』
耳をぺたんと伏せて申し訳なさそうにするコハクに、俺と楠木さんは思わず吹き出してしまった。
床に落ちた葉っぱは、すかさずスミが『きれい!』と滑りながら集めてくれたので、無駄にはならずに済んだ。
◇
その後、楠木さんの指示通りにハーブをブレンドし、ポッカの完璧な火加減で沸かした湧き水を使って、ポットでじっくりと抽出した。
俺はここで、配信のカメラをオンにした。
──────【LIVE】同接:12,400──────
※探索者協会認定・第50階層特別安全区(特区)
: うぽつ!
: お、今日はコーヒーじゃない?
: ポットの中身、なんか綺麗なお茶みたいな色してる
: 新作メニューか!?
──────────────────────
「いらっしゃい。今日は、常連さんの知見をお借りして、五十階層に自生するハーブを使った新作のお茶を試作しています」
俺がカメラに向かって琥珀色のハーブティーを注いだカップを見せると、画面越しにもその透き通った美しさが伝わったのか、コメント欄がわっと沸いた。
「ただ、まだ名前が決まっていなくて。せっかくなので、コメント欄のアンケート機能を使って、皆さんからの投票で決めたいと思います」
俺がアンケートを立ち上げると、様々な候補が飛び交い始めた。
『五十階層茶』『最下層ハーブティー』『スライムもとろけるお茶』など、個性的な名前が並ぶ中、圧倒的な票を集めて一位になったのは――。
「……なるほど。『深淵のやすらぎティー』。最下層の響きと、ハーブのリラックス効果が合わさって、すごくいい名前ですね」
名前が決まったところで、俺はカップを一つ、カウンターの奥にいるグレイの前にスッと押し出した。
「グレイ、味見を頼む」
深淵珈琲という絶対的な看板メニューを持つ店長が、果たしてこの新メニューを認めるかどうか。
グレイは黄金の瞳でカップを見つめ、長い鼻先を近づけて香りを嗅いだ。
そして、チロリと舌を伸ばし、一口だけ味わう。
静寂。
やがて、画面の端に短い字幕がぽつんと浮かんだ。
──『グレイ:……悪くない』
──────【LIVE】同接:15,200──────
: グレイ店長から『悪くない』出たー!!
: これは実質大絶賛だろww
: あのコーヒー原理主義の店長が認めるハーブティー、絶対美味いじゃん!
──────────────────────
「ははっ、店長の公認も出たな」
俺自身も飲んでみたが、ミントのような爽やかな香りと、体の芯から緊張が解けていくような深い旨味が同居する、素晴らしい味わいだった。
さらに、昨日仕込んでおいた『最下層プリン』と一緒に食べてみると、これが驚くほど合う。
プリンの濃厚な甘さとカラメルのほろ苦さを、ハーブティーの爽やかさがスッと洗い流し、無限に食べ進められそうな絶品の組み合わせだった。
◇
大盛況のまま配信を終え、滞在時間の終わりが近づいた頃。
楠木さんは、空になったハーブティーのカップを両手で包み込みながら、どこか夢見るような、キラキラとした瞳で口を開いた。
「店長さん。……私、確信しました」
「確信、ですか?」
「ええ。今日ここで一緒に見つけたハーブのブレンドと、この澄んだ空気のデータ。これを地上に持ち帰って研究すれば……間違いなく、探索者向けの『回復用アロマ』が作れます」
楠木さんの声は、少しだけ震えていた。
だがそれは、以前のような恐怖の震えではない。未来への期待と、調合師としての情熱から来る震えだった。
「私のようにダンジョンで傷つき、匂いに苦しんでいる人たちを、この香りで救えるかもしれない。……本当に、ありがとうございます」
深く頭を下げる彼女を見て、俺は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
俺がギルドを追放され、死に物狂いでたどり着いたこの場所。
ただコーヒーを淹れて、静かに生きていこうと決めただけの、小さな居場所。
それが今、こうして、誰かの人生を前へ進める力になろうとしている。
「……完成したら、ぜひうちの店にも置いてくださいね」
俺が微笑んで返すと、楠木さんは涙ぐみながら、何度も強く頷いた。




