第39話 【準備】人間用の席を作ったら、コハクが独占した
【現在:開業34日目】
今日は、入り口の営業札を裏返したままだ。
カメラの電源も入れず、配信はお休み。明日から始まる「特区療養枠」による、人間のお客さんを迎える準備に専念するためだ。
「よし、こんなもんかな」
俺は木槌を下ろし、額の汗を拭った。
完成したのは、新しい丸太の椅子。魔獣サイズの低めの椅子とは違い、人間がゆったりと座れるように高さを調整し、背もたれまで付けた特注品だ。
そして、その座面には、とっておきのアイテムを敷いてある。
コハクの冬毛をたっぷりと詰めた、特製のふかふかクッションだ。
日々のブラッシングで抜け落ちた毛を、スミに洗ってもらい、ポッカに乾かしてもらって集めた、最高級の癒やし素材である。
俺が満足げに頷いた、その時だった。
「きゅう!」
ぽふっ!
横から金色の毛玉が飛んできて、完成したばかりのクッションのど真ん中に陣取った。
コハクだ。
自分の匂いがするふかふかの座り心地に目を細め、その場でくるくると回ってから、丸くなって座り込んでしまった。
──『コハク:ここ、わたしの』
脳内リンクに、所有権を主張する字幕が落ちてくる。
「いやいやコハク、お前はうちのスタッフ側だろ。接客する方が座ってどうするんだよ」
俺が苦笑しながら手を伸ばすと、コハクは「きゅう〜」と不満そうな声を出し、さらに体を丸めて絶対に動かないという意志を示した。
自分の毛で作ったクッションだから、愛着が湧いてしまったのだろう。
そこへ。
カウンターの奥で新しい豆のブレンドを試していたグレイが、長い鼻先をこちらへ向けた。
──『グレイ:客の席だ』
最下層のボスであり、カフェの店長でもある銀狼からの、短くも絶対的な一言。
コハクはビクッと耳を立て、しょぼんと尻尾を垂らした。
──『コハク:……わかった』
店長の指示には逆らえないらしい。
コハクはしぶしぶクッションから降りたが、最後に「これでもか」というほど、自分の頬や体をクッションにすりすりと擦り付けた。
──『コハク:わたしのにおい、つける』
──『コハク:お客さん、あんしんする』
「ははっ、なるほど。お前なりの接客準備だったのか。偉いぞ」
俺が頭を撫でてやると、コハクは誇らしげに胸を張り、トコトコと定位置へ戻っていった。
クッションからは、お日様のような、コハクの温かくて優しい匂いがふんわりと漂っている。これなら、心身を壊した人間でも、絶対にリラックスできるはずだ。
俺が椅子作りで散らかした木屑は、スミが『きれい!』と滑りながら一瞬で吸い取ってくれた。
石の炉ではポッカが『あったか!』と心地よい温度を保ち、ツタの上ではチルが『おつかれ』と言わんばかりに、静かで穏やかな鈴の音を鳴らしている。
うちのスタッフたちは、今日も完璧だった。
◇
「さて、次は外の掃除だな」
俺は大きなブラシを手に取り、アーチの外へ出た。
そこには、昨夜からずっと同じ姿勢で、山のような巨体を丸めて眠っている古竜の姿があった。
スースー、と。
五十階層の空気を揺らすほどの巨大な寝息。
俺は古竜の首元に近づき、岩のように硬く、分厚い鱗の隙間にブラシを差し込んだ。
長い間、深淵の底で誰にも手入れされなかった鱗の隙間には、ダンジョンの埃や魔力溜まりの汚れがこびりついている。
「少し痛いかもしれないけど、我慢してくれよ」
ゴシゴシ、と力を入れてブラッシングしていく。
ズゥゥゥン……。
古竜の巨体が、微かに震えた。
怒っているわけじゃない。
──『古竜:……きもちいい』
脳内リンクに、幼児のように純粋な感情が落ちてくる。
古竜は目を閉じたまま、もっと掻いてくれとばかりに首の角度を少しだけ変えた。
喉の奥から鳴る深い音は、まさに地鳴りそのものだが、そこに含まれているのは完全な「安心感」だ。
「よしよし、綺麗になったぞ。これで特区の門番としても完璧だな」
俺が鱗を磨き終えると、古竜は満足そうに再び深い眠りへと落ちていった。
これで、店の中も外も、準備は万端だ。
俺はカフェの中へ戻り、コハクの匂いが染み込んだ人間用の椅子を見つめた。
深層の事故で心身を壊したという、元Sランクの探索者。
「明日、最初の療養枠のお客さんが来る」
相手が誰であれ、俺たちがやることは変わらない。
極上のコーヒーと、この温かい空間で、ただ迎え入れるだけだ。




