第35話 【接待】泣き虫な古代魔獣に、極上のコーヒーとプリンを出してみた
【現在:開業31日目(夜)】
「……よし。みんな、特区としての初仕事だ。最高の接待をするぞ」
俺の宣言に、凍りついていた店内の空気が一気に解けた。
グレイはスッと牙を収め、古竜から視線を外してカウンターの奥へと戻っていく。
威嚇をやめ、いつも通りの「店長」の顔になったのだ。
足元で震えていたコハクも、俺の言葉を聞いて恐る恐る顔を上げた。
そして、古竜が怒っているのではなく、ただ震えているだけなのだと気付いたのだろう。
──『コハク:……てき、じゃない?』
「ああ。暗くて寒いところで、ずっと一人ぼっちで迷子になってただけのお客さんだ」
俺が優しく頭を撫でると、コハクは「きゅっ」と短く鳴き、いつもの接客モードへと切り替わった。
とはいえ、相手は入り口を塞ぐほどの超巨大な古竜だ。コハクの小さな体で毛布代わりになるのは難しい。
ここは、店全体の『空間』で癒やすしかない。
「ポッカ、全力で頼む。この店を、とびきり温かくしてくれ」
──『ポッカ:まかせて!』
石の炉で燃えるポッカが、ぼわっ!と大きく炎を揺らした。
火傷するような熱さじゃない。まるで春の陽だまりのような、優しくて絶対的な温もりが、吹き込んでいた深淵の冷気を完全に押し返していく。
「チル、一番優しい声で歌ってやってくれ」
入り口のツタに止まったチルが、小さく羽ばたいて胸を張った。
チリロ、チリリーーーン……。
静かな夜の森に響くような、ゆっくりとした子守唄。
銀の鈴を転がすようなその音色は、古竜の耳にも優しく届き、地鳴りのような震えを少しずつ和らげていく。
そして、カウンターの奥。
ゴリ、ゴリ、ゴリ……。
グレイが、特大のミルで深淵珈琲の豆を挽き始めた。
極上の湧き水をポッカが完璧な温度に沸かし、グレイが丁寧にドリップしていく。
トトトトト……という小気味よい水音とともに、芳醇な香りが古竜の鼻先へと漂っていった。
古竜の巨大な双眸が、うっとりとしたように細められる。
俺はインベントリを開き、とっておきの「奥の手」を取り出した。
昨日、角鹿たちからもらった巨大な野鳥の卵と甘い樹液。それを使って作った『最下層プリン』だ。
予備として作っておいた特大サイズを、木製の大きな桶の真ん中に鎮座させる。
ぷるんっ。
琥珀色のカラメルソースが滴る黄金色のプリンが、魅惑的な動きで揺れた。
その隣に、グレイが淹れた巨大なピッチャー並の量のコーヒーを並べる。
甘い匂いと、ほろ苦い香りの完璧なハーモニー。
「お待たせしました。うちの自慢のコーヒーとプリンです」
俺は木桶を抱え、古竜の巨大な鼻先のすぐ近く、崩れたアーチの前にそっと置いた。
古竜は、ビクッと身をすくませたが、漂ってくる極上の匂いには勝てなかったらしい。
恐る恐る、巨大な舌が伸びてくる。
まずは、湧き水で淹れた温かいコーヒーをひと舐め。
そして、カラメルのかかった特大プリンを、ぱくりと一口で飲み込んだ。
その瞬間。
古竜の全身を覆っていた、岩のような硬い鱗が、ふわりと柔らかく逆立った。
巨大な瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出す。
地面を濡らすほどの涙。
俺の脳内リンクに、さっきまでのノイズが完全に消え去り、純粋で、ひたすらに幸せな感情だけが、はっきりとした字幕となって流れ込んできた。
──『……あまい』
──『……あったかい』
それは、長い長い孤独の闇の中で、彼がずっと求めていたもの。
敵意も、恐怖もない。
ただ美味しいものを食べて、温かい場所で安心したいという、生き物としての根源的な願いだった。
──『……おいしい』
──『……ここ、すき』
古竜は、涙をこぼしながら、満足そうに喉の奥でゴロゴロと深い音を鳴らした。
それはもう、地鳴りというより、巨大な猫の喉鳴らしに近い。
「ははっ。お気に召したみたいで何よりだ」
俺は緊張の糸を解き、古竜の鼻先にそっと手を伸ばして撫でた。
五十階層の底で、長い間誰も触れることのなかった、主の鱗。
最強の脅威が、最下層カフェの癒やしに完全にオチた瞬間だった。
こうして、特区前夜。
俺たちの小さな店に、とんでもなく巨大で、泣き虫な「最強の常連客」が誕生したのだった。




