第33話 【定休日】特区前夜の店員会議。そして、字幕が“勝手に”出た
【現在:開業31日目(夜)】
カフェの営業を終え、配信の電源を落とした夜。
俺はカウンターの奥に飾った、協会の印章が押された特区認定証を、一人静かに眺めていた。
「明日から、ここが正式に俺たちの『特区』になるんだな」
改めて声に出してみると、不思議な感慨が込み上げてきた。
無能だとギルドを追放され、ダンジョンの底で死にかけていた俺が、こんなにも温かい居場所を手に入れることができた。
すべては、ここにいる仲間たちのおかげだ。
「きゅう」
ぽふっ、と。
俺の膝の上に、金色の毛玉が勢いよく飛び乗ってきた。
コハクだ。
鼻をヒクつかせ、俺の胸元に顔をぐりぐりと押し付けてくる。
それに釣られるように、スミが『きれい!』と足元を滑り、ポッカが『あったか』と炉で揺れ、チルが『おやすみ』と優しい鈴の音を鳴らした。
俺は両手で、コハクの背中を深く抱きしめた。
指先が柔らかな冬毛の奥へと沈み込み、小さな体温が胸からじんわりと広がっていく。
「みんな、ありがとうな」
撫でるたびに、コハクの喉の奥からゴロゴロという深い音が鳴る。
──『コハク:あかり、ずっと、いる』
俺は、コハクの温もりに顔を埋めながら、ポツリと本音をこぼした。
「実は……ちょっとだけ怖かったんだ。特区になって店が大きくなったら、俺たちの関係が変わっちゃうかもしれないって」
ただの仮拠点だった場所が、正式な公的拠点になる。
責任も大きくなるし、何より「日常」が壊れてしまうような気がして、少しだけ不安だったのだ。
コトリ。
俺の目の前に、湯気を立てる木製のカップが置かれた。
グレイだ。
閉店後だというのに、わざわざ極上の湧き水でコーヒーを淹れてくれたのだ。
芳醇な香りが、鼻腔をくすぐる。
俺が顔を上げると、グレイの黄金の瞳が、俺を真っ直ぐに見据えていた。
そして、脳内リンクに、短く深い字幕が落ちてきた。
──『グレイ:変えるな』
「……っ」
どんなに店が大きくなろうと、周りの環境が変わろうと。
俺たちがここで、一緒に美味しいコーヒーを淹れるという事実は、何も変わらない。変えなくていい。
店長からの、不器用で絶対的な安心感の提示だった。
「……ははっ。そうだな。何も変わらないし、変えないよ」
俺は深く息を吸い込み、コーヒーを一口飲んだ。
胸の奥のつかえが、完全に消え去っていく。
これ以上ないくらい、最高の店員会議(もふもふ付き)だった。
◇
俺たちの揺るぎない絆を確かめ合い、静かな夜が更けていく。
……はずだった。
チリーン……!!
入り口のアーチで、チルがかつてないほど鋭く、警告の鈴の音を鳴らした。
コハクの全身の毛が逆立ち、スミが俺の足元に隠れ、ポッカの炎が一瞬にして蒼白く変色する。
ズゥゥゥゥンッ!!
床の底が抜けたかと思うほどの、強烈な地鳴り。
棚の上のカップがガチャガチャと音を立てて揺れ、俺は咄嗟にカウンターにしがみついた。
「な、なんだ!?」
今までの「遠い反響音」とは違う。
明確に、すぐ近く。
そして、配信のスイッチなど入れていないのに、俺の脳内リンクに、激しいノイズ混じりの「感情」が無理やり押し込まれてきた。
──『……■■……クラ……イ……』
──『……ココ……ドコ……?』
──『……コワ……イ……!』
数十日前に観測した、あの文字化けしたような短い字幕(BeastCaption)。
それが、直接脳内を揺さぶるほどの強烈な思念となって叩きつけられる。
「くっ……!」
俺が頭を押さえて蹲る中、グレイが低く危険な唸り声を上げ、俺を庇うようにして入り口のアーチへと立ちはだかった。
SSランク魔獣の、本気の臨戦態勢。
アーチの向こう側。
俺たちが安全ラインとして引いた、そのすぐ外側。
光の届かない深淵の暗闇から、五十階層の空間そのものを圧迫するような、超巨大な「何か」の気配が、ついにその姿を現そうとしていた。




