第25話 【定休日】明日の「大一番」に備えて、配信を切って店員会議(もふもふ)をした
【現在:開業25日目】
今日は、入り口の「営業札」を裏返したままだ。
配信用の端末も、電源を切って岩の上に置いている。
昨日の人間のお客さん――協会監査部の随行員が言っていた、「明日は本部の厳しい審査官が来る」という言葉。
特区への格上げを賭けた、本当の大一番だ。
だからこそ、今日はあえて店を閉め、明日に向けて英気を養う「定休日」にすることにした。
静寂に包まれた最下層。
チルの「いらっしゃい」の鈴の音もない、穏やかなプライベート空間だ。
「……ふぅ」
俺は丸太の椅子に深く腰掛け、大きく息を吐き出した。
明日の審査に通れば、ここは誰にも文句を言われない、俺たちの正式な「居場所」になる。
落ちれば、また追われる身になるかもしれない。
そう考えると、どうしても肩に力が入ってしまっていた。
「きゅう」
ぽふっ、と。
俺の膝の上に、金色の毛玉が勢いよく飛び乗ってきた。
コハクだ。
俺が緊張しているのを察したのか、心配そうに鼻をヒクつかせ、俺の胸元に顔をぐりぐりと押し付けてくる。
配信中はお客さんの「接待」で忙しいコハクも、今日は俺の専属セラピストらしい。
俺は両手で、コハクの背中を深く抱きしめた。
指先が、柔らかな冬毛の奥へとふわりと沈み込む。
ひんやりとしたダンジョンの空気を遮るように、小さな命の確かな体温が、俺の胸からじんわりと全身へ広がっていく。
さら、さら、と。
撫でるたびに毛が擦れる心地よい音。
コハクは目を細め、喉の奥でゴロゴロと深い音を鳴らし始めた。
──『コハク:あかり、だいじょうぶ』
──『コハク:ここ、いる』
配信画面には出ない、俺の脳内リンクにだけ直接落ちてくる感情の字幕。
その純粋な温かさに、俺の張り詰めていた心が少しずつ解れていく。
足元では、スミが『きれい』と床をのんびり滑り、石の炉ではポッカが『あったか』と揺れながら、今日飲むためのお湯を保温してくれている。
アーチのツタの上では、チルが『しずか』と羽を休めていた。
「……そうだな。みんな、ここにいるもんな」
俺はコハクの温もりに顔を埋めながら、小さく呟いた。
「でも、明日で俺たちの居場所が正式に決まる。……やっぱり、少し怖いな」
弱音だった。
ギルドを追放された時の、あの冷たい会議室の記憶が、無意識にフラッシュバックする。
また、理不尽に居場所を奪われるんじゃないかという恐怖。
コトリ。
その時、俺の目の前に、一杯のコーヒーが置かれた。
グレイだ。
彼は定休日だというのに、わざわざ俺のためだけに豆を挽き、最高の一杯を淹れてくれたのだ。
芳醇な香りが、鼻腔をくすぐる。
俺が顔を上げると、グレイの黄金の瞳が、俺を真っ直ぐに見据えていた。
そして、脳内リンクに、短く、だが岩のように重い字幕が落ちてきた。
──『グレイ:いつも通りにしろ』
「……グレイ」
背伸びをするな。怯えるな。
俺たちはただ、ここで美味いコーヒーを淹れるだけだ。
その短い言葉には、店長としての絶対的な自信と、俺への不器用な励ましが詰まっていた。
「……ははっ。そうだな、その通りだ」
俺は深く息を吸い込み、コーヒーを一口飲んだ。
昨日見つけた湧き水のおかげで、信じられないほどクリアで、深い味がする。
「よし。明日は最高の店を見せてやろう。俺たちの、いつもの日常をな」
俺の言葉に、グレイが満足そうに「フン」と鼻を鳴らした。
最高の店員会議(もふもふ付き)だった。
これなら、明日は絶対に大丈夫だ。
◇
それから数時間後。
カフェの明かりを落とし、みんなが静かに眠りについた頃。
俺は一人、明日の仕込みの最終確認をしていた。
カチ……。
ふと、店の奥の暗闇から、微かな音が響いた。
「ん……?」
俺は手を止め、深淵の方角へ耳を澄ませた。
カチ、カチカチ。
「結晶が鳴く音だ。前からたまにある」
俺は小さく呟いて、すぐに意識を切り替えた。
ダンジョンの環境音。特区の審査には関係ない、ただの自然現象だ。
「……でも、今日は少し近い気がするな」
俺は暗闇を一度だけ見つめ返し、それから、カウンターの「営業札」の埃を丁寧に払い落とした。
明日の大一番に向けて、今はただ、目の前のことに集中するだけだ。




