第23話 【極上の一杯】最下層の湧き水コーヒー。香りが画面越しに伝わりそうだと同接が跳ねた
【現在:開業23日目】
チリリーーーン!
入り口の植物アーチから、チルの高く澄んだ声が響き渡る。
それを合図に、今日も最下層カフェの営業が始まった。
俺は端末を操作し、配信のスイッチを入れる。
──────【LIVE】同接:7,310──────
※指定危険区域です。絶対に真似しないでください(探索者協会・監査部 仮許可)
: うぽつ!
: チリン待機完了
: ん? 今日のタイトル『極上の一杯』?
: アンケート(新メニュー)はないの?
: 昨日の水使うのかな
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「いらっしゃい。今日はアンケートはお休みです」
俺はカメラに向かって、木桶にたっぷりと張られた澄んだ水を見せた。
昨日、スミの掃除のおかげで発見した『地下の湧き水』だ。
「昨日見つけたこの湧き水を使って、今日は純粋な『ブラックコーヒーの完成形』をお見せしようと思います」
俺が宣言すると、カウンターの奥でグレイが「フン」と短く鼻を鳴らした。
特大のミルに深淵珈琲の豆を投入し、ゆっくりと、力強く回し始める。
ゴリ、ゴリ、ゴリ。
静かな店内に、重厚な粉砕音が響き渡る。
それだけで、空気が香ばしい匂いで満たされていくのが分かった。
「きゅう」
足元で、コハクが俺のズボンをちょいちょいと引っ張った。
しゃがみこむと、前足を俺の膝に乗せて、甘えるようにすり寄ってくる。
俺は空いている手で、その背中をゆっくりと撫でた。
指先が、柔らかな冬毛の奥へとふわりと沈み込む。
手のひらに伝わってくる、じんわりとした確かな体温。
撫でるたびに、コハクの喉の奥からゴロゴロという深い音が鳴り、さらさらと毛が擦れる音がマイクに乗る。
──『コハク:あかり、いいにおい』
──『コハク:わたしも、のむ』
「ははっ、お前には苦すぎるって。後でミルクな」
俺が笑って答えると、コハクは不満そうに耳をぱたぱたさせた。
そんなやり取りの間にも、カフェの機能は完璧に連携して動いている。
ポッカが石の炉でぱちぱちと瞬き、湧き水を完璧な温度まで温める。
──『ポッカ:あったか』
──『ポッカ:きれいなみず』
不純物が一切ない水は、沸き立つ湯気すらも透き通って見えた。
グレイがそのお湯をケトルに移し、挽きたての粉が入ったドリッパーへと、静かに、細く注いでいく。
トトトトト……。
小気味よい水音とともに、黄金色のコーヒードームがふわりと膨らむ。
──『グレイ:……待て』
画面に、いつもの短い字幕(BeastCaption)が浮かぶ。
数十秒の蒸らし時間。この静寂が、コーヒーの旨味を極限まで引き出す。
やがて、黒褐色の液体がサーバーへと落ちていく。
だが、昨日までの色とは明らかに違った。
黒いのに、どこか澄んでいる。まるで、深い夜空をそのまま液体にしたような透明感があった。
グレイはカップにコーヒーを注ぐと、長い鼻先でそれをカメラの前に押し出した。
──『グレイ:飲め』
湯気と共に、凄まじく芳醇で、それでいてスッと鼻を抜けるようなクリアな香りが立ち上った。
──────【LIVE】同接:8,940──────
: !?
: なんだこれ、色が全然違うぞ!
: 画面越しなのに、いい匂いが伝わってくる気がする……
: 水からこだわるのか。もうプロの店じゃん
: グレイ店長の所作が美しすぎる
: ASMRとしても最高峰だわ
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コメントの流速が跳ね上がり、同接が一気に九千人に迫る。
俺はカメラの前で、カップを手に取った。
「いただきます」
一口、口に含む。
……美味い。
深淵珈琲の持つ深いコクと苦味。その奥から、湧き水の清涼感が、果実のような甘みを引き連れて広がっていく。
雑味が一切ない、まさに「極上」のブラックコーヒーだった。
「……最高です。これなら、どんな人が来ても自信を持って出せますね」
俺が心からの感想を伝えると、画面の向こうの視聴者たちも「飲みたい!」「特区になったら絶対行く!」と大いに盛り上がってくれた。
俺たちの居場所のクオリティが、また一つ上がった。
そんな確かな手応えを感じながら、俺は温かい空気のまま配信を締めくくった。
◇
配信を切り、ほっと一息ついてカップを洗おうとした、その時だった。
ピロン、と。
俺の端末に、探索者協会・監査部の倉橋から通知が割り込んだ。
『通知:先ほどの配信を確認した。自前のクリーンな水源確保は、拠点(特区)としての価値を非常に高く押し上げる』
珍しく、少しだけ熱を帯びた文面だった。
だが、その後に続く言葉を見て、俺は目を瞬かせた。
『明日の本審査を前に、水のサンプル採取と下見を兼ねて、今日これから審査官の随行員(人間)を向かわせる。彼らは敵ではない。通してやってくれ。以上』
「……随行員?」
俺は思わず声に出した。
明日は特区格上げをかけた、本部からの本審査。その先遣隊として、人間の探索者が今日、この五十階層まで降りてくるらしい。
「きゅう?」
コハクが首を傾げ、俺の顔を見上げてくる。
「大丈夫だ。協会から、人間のお客さんが来るらしい」
俺はコハクの頭を撫でながら、カウンターの奥で静かにグラスを拭いているグレイに笑いかけた。
「どうやら今日は、水をもらいに来る『お客さん』を接待することになりそうだな」
特区審査という大一番に向けた、前哨戦。
俺はエプロンの紐を締め直し、客を迎え入れる準備を始めた。




