第21話 【定期監査】従業員が増えた最下層カフェ。倉橋さんに怒られるかと思ったら……
チリリーーーン!
入り口の植物アーチから、高く澄んだ銀の鈴のような音が響き渡った。
チルによる、完璧な来客の合図。
アーチの葉が揺れ、見慣れた厚手の防護コートが姿を現す。
探索者協会・監査部の倉橋だ。昨日の通知通り、特区への「格上げ審査」に向けた事前チェックにやってきたらしい。
「いらっしゃい、倉橋さん」
俺が声をかけると、倉橋は無言で短く頷いた。
その鋭い視線は、一歩踏み込んだ瞬間から、監査官としての厳しい光を帯びて店内を隈なくスキャンしている。
無理もない。
この数日で、カフェには三体もの魔獣が新しい「スタッフ」として居着いたのだ。ただでさえ危険な五十階層。魔獣が増えれば縄張り争いやパニックが起きるのが、ダンジョンの常識である。
「……随分と、大所帯になったな」
倉橋が低い声で呟きながら、いつもの丸太の椅子へと歩みを進めた。
すうっ、と。
その足元を、黒いゼリー状の塊が滑っていく。
お掃除スライムのスミだ。倉橋のブーツについていたわずかな外の泥汚れを、瞬時に吸い取って岩肌をピカピカに磨き上げる。
「ほう」
倉橋の片眉が、わずかにピクリと動いた。
その視線の先では、石の炉でポッカが『あったか』と揺れながら、ドリップ用のお湯を完璧な温度で保温している。
アーチの特等席では、チルが心地よい環境音のように、時折チロロと喉を鳴らしていた。
そして。
「きゅう」
俺の足元から飛び出したコハクが、倉橋の足元でふんふんと匂いを嗅ぐ。
監査官の防護コートから漂う、微かな薬品と鉄の匂い。
それでも、何度か通ってくれたこの男に敵意がないことを、コハクはちゃんと学習していた。
コハクはぽすん、と丸太の横でお腹を見せて転がった。
──『コハク:しってる』
──『コハク:あんしん』
脳内リンクに落ちてきたその感情を見て、俺は小さく笑った。
それらの連携を静かに見届けてから、カウンターの奥でグレイがゆっくりとケトルを傾ける。
ポッカがキープした極上のお湯が、均一に挽かれた粉を黄金色に膨らませていく。
「どうぞ。グレイの淹れた、いつものコーヒーです」
俺が湯気を立てるカップを差し出すと、倉橋は黙ってそれを受け取った。
──────【LIVE】同接:7,840──────
※指定危険区域です。絶対に真似しないでください(探索者協会・監査部 同行)
: 倉橋ニキきたー!
: 抜き打ちじゃなくて事前チェックか
: 監査官、店員増えすぎてて困惑してない?w
: いや、スミたちの完璧な動きに見惚れてるぞ
: ここだけダンジョンの法則が狂ってるからな……
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倉橋は一口ゆっくりとコーヒーを啜り、目を閉じて深く息を吐き出した。
張り詰めていた監査官としてのオーラが、コーヒーの香りと共にふわりと解けていく。
「……深山。正直に言おう」
カップを置いた倉橋が、真っ直ぐに俺を見た。
「君が次々と魔獣を保護したと報告を受けた時、私はすぐにでもここを閉鎖すべきかと考えた。統率の取れない魔獣の群れは、いずれ必ず崩壊し、最悪の被害を生むからだ」
倉橋の視線が、再び店内を巡る。
綺麗に磨かれた床。安定した熱。穏やかな音。客を迎え入れる狐。
そして、全てを束ねるように静かに佇む、銀色のボス魔獣。
「だが、どうだこの有様は。それぞれが自らの役割を理解し、この狭い空間で完璧な秩序を保っている。……いや、ただの秩序ではないな。『店』という一つのルールのもとで、見事に共生している」
倉橋はふっと口元を緩め、最大の賛辞を口にした。
「文句のつけようがない。これなら、特区格上げの『本審査』に自信を持って通せる。君たちがここで築き上げたものは、もはや奇跡に近い」
──────【LIVE】同接:8,920──────
: 倉橋さんがデレたあああ!
: 格上げ確定演出キター!
: 奇跡に近い(直球)
: 良かったな、主……!
: グレイ店長もドヤ顔
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コメント欄が祝福の嵐で埋め尽くされる。
俺も、胸の奥が熱くなるのを感じた。
無能だと追放された俺が、グレイたちと一緒に作った「ただの居場所」。それが今、確かな安全地帯として、公に認められようとしているのだ。
「ありがとうございます、倉橋さん」
「礼には及ばん。私は事実と、安全性を評価しただけだ」
倉橋は短く返し、カップの残りを飲み干して立ち上がった。
これで事前チェックはクリアだ。あとは、本部から来る本物の審査官を待つだけ。
だが、店を出る間際。
植物アーチをくぐろうとした倉橋が、ふと足を止め、ダンジョンのさらに奥――光の届かない深淵の方角へと視線を向けた。
「……深山。一つだけ、忠告しておく」
その声のトーンが、わずかに低く、事務的なものに戻る。
「最近、この五十階層の奥深くで、原因不明の『遠い反響音』が観測されているそうだ。地響きか、あるいは何かの鳴き声か……まだ詳細は分かっていない」
俺の脳裏に、昨日の夜に聞いた「カチ……」という結晶の音がよぎった。
「今のところ実害はない。だが、魔獣は音や振動に敏感だ。本審査の前に、変に刺激を与えないよう気をつけておけ」
「……分かりました。ありがとうございます」
ホラーじみた恐怖はない。ただの、ダンジョン管理者としてのマイルドな注意喚起だ。
倉橋が去った後、俺はグレイと視線を合わせた。
グレイは何も言わず、ただ静かにミルを撫でている。
遠くで何が鳴っていようと、俺たちがここで美味しいコーヒーを淹れるという事実は、何も変わらないのだ。




