第20話 【店回】従業員が揃った最下層カフェ、完璧に回り出す
【現在:開業20日目】
カフェの朝は、完璧な静寂と心地よい音の調和から始まる。
スミが床の泥汚れを滑るように吸い取り、岩肌の床をピカピカに磨き上げる。
石の炉ではポッカがぱちぱちと瞬き、特注ケトルの真下で均一な熱を放っている。細く真っ白な湯気が、一寸の乱れもなく真っ直ぐに立ち上る。
その心地よい熱のそばで、コハクが準備運動みたいに背伸びをし、「きゅっ」と気合の入った短い声を上げた。
そしてカウンターの奥。
銀色の巨体を誇る店長、グレイが特大のミルをゆっくりと回し始めた。
ゴリ、ゴリ、という重厚な音が、最下層の空気を香ばしい匂いで満たしていく。
「みんな、今日も準備は完璧みたいだな」
俺が声をかけると、スタッフたちがそれぞれの方法で返事をした。
スミがつるんと震え、ポッカが小さく火の粉を散らし、コハクが尻尾を振る。
グレイは手を止めず、ただ一度だけ、短く鼻を鳴らした。
「よし。それじゃあ、今日も開けるか」
俺は端末を操作し、配信のスイッチを入れる。
──────【LIVE】同接:7,210──────
※指定危険区域です。絶対に真似しないでください(探索者協会・監査部 仮許可)
: 待機!
: うぽつ!
: 今日も癒されに来た
: チリン待機
: 店回きたな
──────────────────────
画面が繋がったのを合図に、入り口の植物アーチの特等席に止まっていたチルが、胸を張った。
チリリーーーン!
高く澄んだ、上質な銀の鈴を転がしたみたいな声が響き渡る。
配信画面の端に、短い字幕が浮かび上がった。
──『チル:いらっしゃい』
完璧な開店の合図だ。
その音が響いてから十秒も経たないうちに、アーチがカサリと揺れ、見慣れた若草色の毛並みが顔を覗かせた。
常連の角鹿だ。
チルが鳴くのを、入り口のすぐ外で今か今かと待っていたらしい。
迷うことなく丸太の椅子へと進み、ちょこんと行儀よく座り込む。
画面に、角鹿の短い字幕が出た。
──『角鹿:あまい?』
「いらっしゃい。ああ、いつものやつな」
俺が微笑むと、カフェの完璧なルーティンが動き出した。
まず、コハクが角鹿の足元に駆け寄り、ふんふんと匂いを嗅ぐ。
そして、客に危険がないことを確認すると、丸太の横でお腹を見せてごろんと転がった。
──『コハク:あんしん』
──『コハク:なでて』
角鹿は嬉しそうに鼻先をすり寄せ、コハクの冬毛を堪能する。極上の『もふもふ接待』だ。
角鹿の足元に落ちた泥は、すかさずスミが音もなく滑り寄って吸い込む。
──『スミ:きれい』
その間にも、グレイが手際よくコーヒーを抽出していく。
ポッカがキープした完璧な温度のお湯が、コーヒーの粉を黄金色のドームへと膨らませる。
──『ポッカ:あったか』
そして、甘実のシロップを垂らしたカップに、グレイがミルクを注ぎ込む。
繊細な前足のスナップが描いたのは、芸術的な葉のラテアートだ。
グレイはカップを鼻先でそっと角鹿の前に押し出し、短く、確信に満ちた字幕を出した。
──『グレイ:飲め』
角鹿の目がぱあっと輝き、夢中で甘いラテを舐め始める。
──────【LIVE】同接:8,640──────
: 完璧すぎる連携
: なんだこの最高の店
: コハクの接待受けたい
: チルの呼び込み→スミの清掃→ポッカの保温→コハクの接待→グレイの一杯
: 無駄が一切ない。プロのカフェだわ
: ずっとここに入り浸っていたい……
──────────────────────
俺はただ、その光景をカウンターの中から見守るだけだ。
俺が手を出さなくても、店は完全に――ひとつの生き物みたいに機能している。
みんながそれぞれの役割を果たし、客が癒され、画面の向こうの数千人がそれを見て安らぎを得ている。
誰一人欠けても成立しない、俺たちの「居場所」。
それが、五十階層というダンジョンの最下層に、間違いなく形になっていた。
「……うん。いい店になったな」
俺はコーヒーの香りと温かな空気の中で、深く満ち足りた息を吐いた。
◇
大盛況のまま配信を終え、店じまいをした夜。
スタッフたちはそれぞれの定位置で心地よい寝息を立てている。
俺が今日の配信データを振り返ろうと端末を開いた、その時だった。
ピロン、と。
一件のシステム通知が画面上部に割り込んできた。
差出人は、探索者協会・監査部の倉橋だ。
『通知:最近の配信および、店としての運営状況を確認した。
スタッフの役割分担も機能し、店としての体裁が完璧に整ったな』
珍しく、評価するような文面だった。
だが、その後に続く一文を見て、俺の背筋が少しだけ伸びた。
『明日、特区への「格上げ審査」に向けた事前チェックに行く。
本部からの本審査に通すための最終確認だ。気を抜くな。以上』
ついに来たか。
ただの『仮許可』から、協会公認の絶対的な居場所である『特区』へ。
「……よし」
俺は小さく頷き、眠る仲間たちを見渡した。
大丈夫だ。今の俺たちなら、どんな厳しいチェックだって、きっと乗り越えられる。
明日は、大事な一日になりそうだった。




