第17話 【音】掃除を任せてコーヒーに集中した結果、最高のASMRが撮れた
【現在:開業17日目】
ゴリ、ゴリ、ゴリ……。
静まり返った最下層のカフェに、硬いコーヒー豆が砕かれる深い音が響く。
一定のリズムで刻まれる、重厚で心地いい粉砕音。
特大のミルを回しているのは、銀色の巨体――グレイだ。
前足のスナップは今日も完璧で、均一な粒度に挽かれた粉から、華やかな香りがふわりと立ち上る。
画面の端に、短い字幕がひとつだけ出た。
同時に、脳内リンクにも同じ感情が落ちてくる。
──『グレイ:よし』
職人としての満足感。
俺はカウンターの中からその様子を眺め、息をひとつ吐いた。
「いやあ、朝から時間に余裕があるって素晴らしいな」
いつもならこの時間、床の掃き掃除や水汲みに追われている。
でも今日は違う。
すうっ。
足元を、黒いゼリー状の塊が滑っていく。
お掃除スライムのスミだ。
試用期間中なのに、働きぶりだけはもうベテランで、床の汚れを片端から吸い取っていく。
「せっかくだ。今日は少し趣向を変えてみよう」
俺は端末を操作し、配信タイトルを打ち込んだ。
『【ASMR】最下層で豆を挽く音。今日は静かに見てください』。
配信開始ボタンを押す。
──────【LIVE】同接:6,510──────
※指定危険区域です。絶対に真似しないでください(探索者協会・監査部 仮許可)
: うぽつ
: ASMR助かる
: 寝落ち用枠きた
: 音が良すぎる
: イヤホン推奨
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「いらっしゃい。今日は掃除を新人に任せたので、極上の音と時間をお届けします」
俺は声量を落として続ける。
「コメントも、のんびり……静かめでお願いしますね」
視聴者が空気を読んでくれた。
滝みたいに流れていたコメント速度が、ふっと緩む。画面の向こうにも、居心地のいい静けさが広がっていく。
グレイが特注の取っ手付きケトルを前足で支え、傾けた。
トトトトト……。
細い湯の線が落ちる音。
ぷく、ぽこ、とコーヒードームが膨らむ音。
鼻先をくすぐる香りに、喉の奥が勝手にほどけていく。
俺はカメラを固定したまま、カウンターの椅子に腰を下ろし、豆の選別作業を始めた。
チャッ、チャッ、と不良豆を弾く軽い音が混ざる。
「……すぅ、すぅ」
俺の膝の上では、いつの間にかコハクが丸まっていた。
朝ご飯を食べて、満足してしまったらしい。
俺は豆を弾く手を止めず、空いた片手でコハクの背中をそっと撫でた。
指先が、柔らかな冬毛の奥へふわりと沈み込む。
膝の上の確かな重み。
手のひらに伝わる、じんわりとした体温。
撫でるたび、さら、さら、と毛が擦れる音がマイクに乗る。
コハクは夢うつつのまま、ゴロゴロ……と深い喉鳴らしを返してきた。
その極上の癒し音の合間に、すうっ、つるん、という微かな音も混ざる。
スミが床を磨き上げる音だ。
──────【LIVE】同接:6,820──────
: スライムの掃除音もいいな
: ゴロゴロ音と豆の音のハーモニー
: ずっと聞いてられる
: 最高の環境音
: 画面が“静かでうまい”って初めての体験
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「……ん?」
空気が仕上がった、その時だった。
グレイのドリップを見つめていた俺は、小さな違和感に気づく。
立ち上る湯気の量が、昨日とほんの少しだけ違う。
「……やっぱり焚き火だと、お湯の温度が微妙に安定しないな」
俺は小声で呟いた。
ガスコンロも魔導具もない。薪の燃え具合と、ダンジョンの僅かな気流で、湯温にムラが出る。
抽出に集中できる環境になったからこそ、見えてきた課題。
最高の一杯を出すには、一定の火加減を保てる“安定した熱源”が欲しい。
俺はそっと立ち上がり、焚き火のそばにしゃがみこんだ。
「もう少し、安定して温度を保ってくれると助かるんだけどな……」
火ばさみで薪の位置を微調整する。
パチッ、と火の粉が爆ぜた。
その心地いい熱と、店のあたたかい空気に惹き寄せられたのだろうか。
ころん。
不意に、燃え盛る炎の中から、ピンポン玉くらいの小さな「火の玉」が転がり出てきた。
それは石の炉の縁にちょこんと乗ると、ぱちぱち、と瞬きをするみたいに炎を揺らした。
「……温かいお客様、かな?」
俺は目を丸くしながら、その小さな光の粒に、そっと語りかけた。
──────【LIVE】同接:7,110──────
: え、いま出てきた!?
: 火の玉かわいい
: ちっさ……尊い
: これ精霊? 火霊?
: ASMR枠で急に新キャラ来るの反則
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