第14話 【新メニュー】もらった実で「はちみつラテ」を作ったら、匂いが外へ漏れすぎた
【現在:開業14日目】
ぽた、ぽた、ぽた。
静かな店内に、黒褐色の液体がサーバーへと落ちる音が響く。
挽きたての深淵珈琲の粉にお湯を含ませると、ふわりと黄金色のドームが膨らんだ。
お湯を注ぐケトルを持っているのは、俺ではない。
銀色の巨体を持つボス魔獣、グレイだ。
俺が次のお湯を注ぐタイミングを口にするより早く、グレイがピタリと動きを止めた。
視界の端に、短く太い字幕(BeastCaption)が浮かぶ。
──『グレイ:待て』
ドリップにおける「蒸らし」の工程。
この数十秒の待ち時間が、コーヒーの旨味を最大限に引き出す。
完全にバリスタとしての勘を掴んでいる彼に、俺は苦笑して頷いた。
「ああ、いい香りだ。じゃあグレイ、コーヒーの抽出は任せた。俺はこっちの仕込みを終わらせるよ」
俺はカウンターの端で、昨日保護した迷子が置いていってくれた実――甘実の処理に取り掛かった。
ルビーのように透き通ったその実を潰すと、蜂蜜のようなとろみのある甘い樹液が採れる。
貴重な糖分源だ。
「よし、これで特製シロップは完成、と。あとは器に移して……」
「きゅうっ!」
足元から、元気な鳴き声が聞こえた。
見下ろすと、コハクが「私が運ぶ!」と言わんばかりに、尻尾をぶんぶんと振っている。
「お、手伝ってくれるのか? じゃあ、この木皿をあっちのテーブルまで頼む」
俺がシロップの入った木皿を差し出すと、コハクは得意げにそれを口にくわえた。
トコトコと、軽快な足取りで歩き出す。
――が。
やる気が空回りしたのか、自分の前足に躓いて、派手につんのめった。
「きゅあっ!?」
木皿が宙を舞い、琥珀色のシロップがこぼれ落ちそうになる。
「っと!」
俺は咄嗟に手を伸ばし、片手で木皿を水平に受け止めながら、もう片方の腕でコハクの小さな身体をふわりと抱き止めた。
「危なかったな。怪我はないか?」
俺の腕の中で、コハクは「きゅうぅ……」と情けない声を出しながら、ぺたんと耳を伏せた。
失敗してひどく落ち込んでいるらしい。
──『コハク:ごめん』
──『コハク:ほめて』
相反する二つの感情が、素直な字幕となって現れる。
失敗したのは申し訳ないけど、頑張ったから慰めてほしいのだ。
「ははっ、偉い偉い。落とさなかったからセーフだ」
俺は笑いながら、コハクの背中を優しく撫でた。
指先が、柔らかな冬毛の奥へとふわりと沈み込む。
抱き止めた腕に伝わってくる、確かな熱。
撫でられているうちに安心したのか、コハクは目を細め、ゴロゴロと小さな喉鳴らしの音を立て始めた。
「さて、準備もできたし。繋ぐか」
俺はコハクをそっと床に下ろし、端末の配信ボタンを押した。
──────【LIVE】同接:6,012──────
※指定危険区域です。絶対に真似しないでください(探索者協会・監査部 仮許可)
: うぽつー!
: 開店待機してた
: お、今日はなんかタイトルが違うぞ
: 新メニュー?
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配信枠のタイトルは、『【投票】今日の甘いやつ、どれがいい?』。
同接はすでに六千人を超えている。すっかり定着した常連たちだ。
「いらっしゃい。今日は昨日もらった甘実を使って、新メニューの試作をやろうと思うんですが……せっかくなんで、皆さんに決めてもらおうかと」
俺はカメラに向かって、先ほど絞った琥珀色のシロップを見せた。
「選択肢は三つ」
俺は指を立てていく。
「1.甘実のはちみつラテ。グレイの特製ラテアート付き」
「2.甘実のシロップソーダ。インベントリにある炭酸水で割ります。見た目よし」
「3.特製プリン。……ただし、これは冷やす時間がいるから明日の仕込みになります」
さあ、コメント欄に番号を書いてくれ、と促す。
──────【LIVE】同接:6,850──────
: 111111
: プリン食いたいけど明日かー! じゃあ1!
: ソーダも捨てがたいが、やっぱりグレイ店長のラテアートが見たい。1で
: 3って言ったら今日はコーヒーだけになるんか?w
: 圧倒的1
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「はい、ストップ。圧倒的に『1』ですね。……というわけでグレイ、ラテの準備を頼めるか?」
俺が声をかけると、グレイは「フン」と短く鼻を鳴らした。
そして、先ほど蒸らして抽出した濃厚なコーヒーに、俺が渡した甘実のシロップをたっぷりと落とし込む。
丸太のような太い前足で、小さなミルクピッチャーを器用に傾ける。
白いミルクが、褐色のキャンバスに注がれていく。
繊細なスナップ。
あっという間に、見事な「葉」の形をしたラテアートが浮かび上がった。
──『グレイ:できた』
──────【LIVE】同接:7,420──────
: きたあああああ!
: 芸術的すぎる
: 画面越しでも甘いいい匂いがしそう……
: 飲みたい、マジで飲みたい!
: 住所どこ! 絶対行くわ!
──────────────────────
「絶対に来ないでくださいね。ここは五十階層です」
俺は、少しだけ声を低くしてピシャリと釘を刺した。
遊び半分で来られる場所じゃない。店主としての線引きは、どれだけ空気が和んでも徹底しなければならない。
「……でも、味の感想はちゃんと伝えますね」
俺が一口飲むと、シロップの濃厚な甘さと、コーヒーの深い苦味が絶妙に絡み合い、極上の味わいが口の中に広がった。
甘くて香ばしい匂いが、湯気とともにカフェの空間を満たしていく。
「うん、これはレギュラーメニュー入りだな。美味い」
俺が配信の締めくくりに入ろうとした、その時だった。
ぴく、と。
俺の足元にいたコハクの耳が動いた。
入り口の植物アーチ――つまり、ダンジョンの外側の方へ、すっと鼻先を向ける。
──『コハク:だれ?』
コハクの字幕が浮かぶ。
威嚇するような敵意はない。
ただ、見知らぬ「新しい足音」が近づいてくる気配。
カサ……。
静かな最下層に、植物アーチが遠慮がちに揺れる音が小さく響いた。
どうやら、外にまで漏れすぎたこの甘い匂いに釣られて、誰かがやってきたらしい。
「ふふっ。新しいお客さんが来そうだな」
俺は小さく笑って、配信をそっと終了した。




