黒翼の警告 ~清楚OLを射止めちゃえ!!~
1. 社会人スタートと居候のふたり
前回の甘酸っぱくも切ない失恋から数ヶ月。
長岡愁はオランダへ旅立った美月とロインでたまに連絡を取りつつ、無事に大学を卒業。都内の中堅IT企業にシステムエンジニアとして就職していた。
オタク趣味は完全に辞めたわけではないが、社会人らしく控えめに嗜む程度へ。
そして何より、あの破天荒な女神・アイテルのスパルタ指導のおかげで、外見は「清潔感のある若手社員」としてかなり見違えていた。
自分に多少の自信はついたものの、根っこにある奥手な性格と挙動不審癖は完全には抜け切っていない。
そんな愁のワンルームの新居に、休日になると当然のように「それ」がやってくる。
「前回の告白は本当に惜しかったわね! でも、あの時注がれた純粋な恋愛エネルギーのおかげで卵は孵化したし、まだ少し余裕はあるはずよ!」
勝手に部屋に入り込み、ソファーでかっぱえびせんをボリボリと貪っているのは、天界から来た女神・アイテルだ。
その横では、前回卵から生まれた白くてふわふわのクマの精霊が、愁が買い溜めておいた高級ドッグフードを無遠慮にガツガツと平らげている。
「お前ら……人の家を飯屋か何かと思ってないか……?」
愁のジト目にもどこ吹く風。エンジェルベアは口のまわりをベタベタにしながら「ふみゅ~♪」と幸せそうに鳴いた。
(はぁ……もう恋愛なんてこりごりだよ。俺は堅実に、静かに社会人生活を送るんだ……)
前回の失恋の傷が若干トラウマになっていた愁は、恋など二の次と決め込み、不安と緊張が入り混じる社会人生活をスタートさせたのだった。
2. 氷の女神・神無月玲菜
だが、運命は愁を静かに眠らせてはくれなかった。
配属された総務部で、愁はひとりの女性と出会う。
神無月玲菜、27歳。
腰まで届く艶やかな黒髪ストレート、知的な眼鏡の奥に宿る涼やかな瞳、そして仕立てのいいスーツを着こなすスタイル抜群の美貌。社内ではその妥協を許さない仕事ぶりから「氷の女神」と恐れられていたが、実際は後輩の面倒見がとても良い頼れる先輩だった。
(な、なんだこの綺麗すぎる人は……!?)
出会った瞬間、愁の胸は高鳴った。美月とはまた違う、大人の洗練された落ち着きと優しさに、愁は一瞬で心を奪われてしまったのだ。
「ふふん、ターゲット補獲完了ね!」
愁の背後で、目に見えない姿で付きまとっていたアイテルがビシッと玲菜を指さした。
「今度こそ絶対に成功させましょう! 今回のターゲットは神無月玲菜さんよ!」
エンジェルベアも愁の足元で「がんばって~!」と言うように「みゅみゅっ!」と拳を突き上げた。
3. オフィスでの波乱と隠された傷
こうして、玲菜が愁の指導係(教育係)となるオフィスライフが始まった。
最初の数週間、玲菜は非常に優しかった。
深夜まで及ぶ残業中には「長岡くん、温かいコーヒー淹れたわよ」と笑顔でカップを差し出してくれ、愁が資料で小さなミスをすれば「ここはこう直すと、もっと見やすくなるわ」と丁寧に教えてくれた。
「よし……! アイテルのアドバイス通り、地道に会話を増やしていこう!」
愁はアイテル直伝の「ランチに誘う」「仕事の悩みを相談する」といった作戦を実行に移した。
ある雨の日、会社の入り口で玲菜が「あっ……傘を忘れちゃった。どうしよう」と困っているのを見かけると、愁は勇気を振り絞って自分の折りたたみ傘を差し出した。
「俺のでよかったら……使ってください! 俺は走って帰りますから!」
「えっ……でも、長岡くんが……」
「大丈夫です! それじゃあ!」
濡れながら駅へ走る愁。
(よしっ! これで好感度アップは間違いなしだ!!)
自分でも驚くほどのイケメンムーブが決まり、愁は達成感に満ち溢れていた。
——だが、翌日から事態は明らかな異常事態へと突入した。
なぜか玲菜の雰囲気が一変し、以前のような柔らかい笑みが完全に消え去ったのだ。代わりに愁を待っていたのは、山のような書類と過酷な雑用の嵐だった。
「長岡くん、これお願い♪」
バサッとデスクに置かれた膨大な量のファイル。
「えええっ!? この量を今日中にですか!?」
「長岡くんなら出来る出来る♪ 頑張って!!」
愁が死に物狂いで終わらせると、玲菜は冷淡に「ああ、助かった~♪」とだけ言って次の外回り業務を押し付けてくる。
「どうして……? 急にあんなに冷たくなって、仕事を押し付けてくるなんて……」
愁は途方に暮れ、連日の過労で衰弱していった。
物陰から見ていたアイテルも顔を青ざめさせる。
「このままじゃ愁さんがブラック上司にこき使われて干からびる未来になってしまいます~!」
「うりゅ~……」とエンジェルベアも心配そうに顔を曇らせた。
◇
それから数日後。接待や外回りを押し付けられ、誰もいない真っ暗なオフィス。
深夜ゼロ時を回った頃、デスクに突っ伏した愁は限界を迎えていた。
「も……もうダメ……ちょっとだけ休もう……」
意識が遠のく愁。
どれくらい時間が経っただろうか。ふっと肩に温かいぬくもりを感じて、愁は目を覚ました。
見上げると、そこには自分の肩にそっと毛布をかけてくれている玲菜の姿があった。
「あ……神無月さん……?」
玲菜は驚いたように手を引っ込め、自嘲気味に寂しく微笑んだ。
「ごめんね……いつもこき使っちゃって。私……男の人が苦手で、こういう接し方しか出来ないの……」
「え……?」
夜のオフィスに、玲菜の静かな独白が響き始めた。
「2年前のことよ……」
——回想。
当時の玲菜には、可愛がっていたモブ部下の男性がいた。
『玲菜さんみたいな素敵な上司の下で働けて幸せです! 俺にできることなら何でも手伝いますよ!』
まっすぐな瞳でそう言ってくれる彼に、玲菜はいつしか心を許し、恋心を抱くようになった。そして勇気を振り絞って告白したのだ。
『……好きです。付き合ってくれませんか?』
『すみません……俺、まだ玲菜さんに恋愛感情は持てなくて……』
振られたショックはあったが、「それなら仕方ない」と自分を納得させようとした。
しかし数日後、資料室の前を通りかかった玲菜は、偶然彼の電話を聞いてしまった。
『いやー、あの女上司のおかげで本社に行けることになったわ。祝いに今度奢るよ』
『年上の人間は対象外って、あの人最後まで知らなかったのね。可哀そうに』
『いや、玲菜さんには本当に世話になったから感謝してるんだけどね? 仕事相手としては尊敬してるし。でも恋愛相手として見れるかと言うとちょっと……』
彼は玲菜を騙していたわけではなかった。
仕事相手として心から感謝し、尊敬もしていた。ただ、そこに「恋愛感情」がなかっただけなのだ。
だが、自分だけがその善意を特別なものだと勘違いし、勝手に期待して傷ついていたという事実が、玲菜の心を深く、決定的に打ち砕いた。
——回想終了。
「……それ以来、男の人を信じられなくなっちゃって。距離を置くようになって、気づいたらこんな意地悪な性格になっていたの」
寂しそうに視線を落とす玲菜。
「だから……長岡くんみたいな誠実で優しい子を見ると、つい試したくなっちゃうのよね。……最低でしょう? ごめんね」
「神無月さん……」
愁は胸が締め付けられる思いだった。
玲菜が自分に厳しい仕事を押し付けていたのは、愁を壊すためでも、嫌っていたからでもない。自分の心をこれ以上傷つけないための、あまりにも不器用な「防衛本能」だったのだ。
◇
それ以来、過剰にこき使われることはなくなった。だが、玲菜はふとした瞬間にどこか遠くを見るような、寂しげな表情を浮かべるようになった。
(この人は手ごわい……外見や上辺のテクニックだけじゃダメだ。俺が本気で彼女を想っていることを、行動で伝えなきゃ)
愁のギアが切り替わった。
残業で疲れている玲菜にそっと温かいお茶とお菓子を差し入れ、彼女が苦手だと言っていたエクセルの複雑なマクロを影で徹底的に調べて教えた。さらに、玲菜が「昼ドラ」好きだと知ると、深夜に過去作を予習し、「今やってるあのドラマ、展開が凄く面白いですよね!」と共通の話題で盛り上がれるよう努力した。
しかし、玲菜は「あくまで有能で頼れる部下」という線を崩そうとしなかった。
「このまま守りに入っているだけじゃ、絶対に彼女の心の壁は崩せない……!」
悩んだ末、愁は日曜日、決死の覚悟で玲菜を水族館デートに誘い出した。
プライベートのカジュアルな服を着た玲菜は、相変わらずハッとするほど綺麗だった。
「あっ、あのイルカ、可愛いですね!」
「私は……アザラシのほうが好きだけどな」
ふと見せる子供のような笑顔に、愁の胸が躍る。(神無月さん、案外動物が好きんだな……)
昼食は愁が奢った。玲菜は「私が払うわ」と言ったが、ここで引くわけにはいかない。「今日は俺に奢らせてください!」と力強くリードした。
夕方、巨大な観覧車に二人で乗り込む。
茜色に染まる街並みが眼下に広がり、ゴンドラ内が良いムードに包まれた。
「あの……実は以前の残業の時……神無月さんが男の人が苦手だって話、聞いてしまったんです」
「ああ、あれね……聞かれてたのね。恥ずかしいわ」
恥ずかしそうに外を眺める玲菜に、愁はまっすぐな視線を向けた。
「神無月さんは何も悪くないですよ! ただ、運とタイミングが合わなかっただけです……!」
「お世辞でもそう言ってくれると嬉しいわ」
「だ……だから……その……っ!」
心臓が早鐘のように打つ。ゴンドラがもうすぐ終点に差し掛かろうとしていた。
(今だ……今逃したら、俺は一生後悔する……!!)
愁は今まで生きてきた中で一番の勇気を振り絞り、声を張り上げた。
「神無月さん! 俺……最初は綺麗な人だなって思ってました!」
「ふふ、正直ね」
「でも、今は違うんです! 弱いところも、寂しそうなところも知って……それでも、神無月さんのことが好きなんです!! 神無月さんを、俺が幸せにしたいです!!」
観覧車の中に、愁のまっすぐな叫びが響いた。
玲菜は目を見開き、驚いたように愁を見つめた。やがて、その瞳にじんわりと温かい光が宿り、優しく微笑んだ。
「……長岡くんの気持ち、すごく嬉しいわ。ここまで誠実に想ってくれた人は初めてで……正直、ちょっと心が揺れた」
「神無月さん……っ!」
「でもね……私、まだ過去のトラウマを完全に乗り越えられていないの。だから……今は『友達以上、恋人未満』として、少しずつお互いを知っていきませんか?」
観覧車のドアが開く。
告白は完全な失敗ではなかった。しかし、「一人の男」としてはまだ見てもらえていないという、なんとも言えない切ない保留の結果となった。
4. 黒翼の警告
「はぁ……振られなかっただけマシ……なのかなぁ」
自宅へ帰った愁は、ベッドに倒れ込みながらため息をついた。
「でも、前よりはちゃんと自分の気持ちを伝えられたぞ」と自分を慰めていたその時——。
ゴオオオオオッ……!!
部屋の隅に置かれていた卵が、見たこともない禍々しい漆黒の光を放ち始めた。
「うわっ!? なんだなにが起きてんだ!?」
飛び起きた愁の目の前で、エンジェルベアが苦しそうにうめき声を上げる。
なんと、エンジェルベアの背中から、神聖な白い羽とは真逆の『漆黒の悪魔の翼』が生え始めていたのだ。
「ふみゅ……ふみゅぅぅ……っ!」
愛くるしかった精霊の表情が、重苦しく深刻なものへと変わっていく。
「愁さん……っ! 大変よ!!」
部屋のPCデスクで勝手にUber Eatsを頼み、ビッグマックを頬張っていたアイテルが(天界の女神はどれだけ食べてもカロリーが蓄積されないらしい)、口元を拭いながら青ざめた顔で叫んだ。
「前回の告白はギリギリセーフだったけど、今回は告白が保留になったことで、卵の恋愛エネルギー消費が激しすぎるの……! このままだと卵が邪悪化して……次こそ本当に世界が滅亡しちゃうわよ!!」
「みゅみゅ……愁さん、次こそ成功させないと……世界が滅んじゃうの……」
黒い翼をプルプルと震わせながら、エンジェルベアが切実な声で訴えてくる。
「愁さん……もう本気で覚悟を決めて! 次が本当に、ラストチャンスになるかもしれないわ……!」
口元にソースをつけたまま真剣な顔で迫ってくるアイテルを見て、愁は青ざめた。
(いや……世界の危機もそうだけど……)
愁はデスクの上に転がる、カラになった自分の財布を見つめた。
水族館のチケット代、昼食代、観覧車代、そしてこの女神が勝手に頼んだUber Eatsの請求額……。
(世界の危機より先に……俺の家計が本気で滅亡するんだがーーーーっ!!!)
愁が二重の意味で絶望し、真っ白になって立ち尽くす中、黒い翼を生やしたエンジェルベアがカラ元気いっぱいに叫んだ。
「大丈夫大丈夫!! なんとかなるなる!! ふみゅーっ♪」
画面は暗転し、重厚なナレーションが響き渡る。
——世界の命運と長岡愁の財布の残高を賭けた奇妙な恋愛劇は、ついに最終章へと突入するのだった!!




