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名もなき英雄の残火 ~死者の技を継ぐたび、少年は強くなる~  作者: 冬月樹
第二部 灯火の町と二つの灯

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第八十話 送り残し

 背中の痣が、黄色くなっていた。


 朝の井戸端で肩を回してみる。背中を押せばまだ鈍く痛むけれど、腕を上げる途中で力が抜けることはもうなかった。


 巡診で村へ回ってきたテオさんは、荷を下ろすより先に僕の背中を見て、指の腹で二か所を押した。


「痛みますか」


「押されると、少しだけ」


「色が抜けてきています。灯籠の横木も荷も、担いでよろしい。ただし初日から、石台を全部回ろうとしないこと」


 言われたことを忘れないうちに、《灯名帳》の端へ書きつける。横木も荷も担いでよい。初日は石台の半分まで。


 それをのぞいたテオさんが、めずらしく笑った。


「あなたには薬より、その炭筆の方が効きそうですね」


 テオさんを見送って家へ戻ると、土間の壁に短槍が一本立てかけてあった。


 白っぽい木肌の握る所にだけ、革が巻いてある。新しい柄へ手を伸ばしてから、穂先に見覚えがあることに気づいた。谷で墓喰らいの爪を受けた時、折れた柄から外れて石の上を滑っていった穂先だ。刃の根元には、あの日の擦り傷が残っている。


「補修方が、鉄を拾った時に一緒に見つけてきた」


 父さんは鉤棒の手入れから目を上げずに言った。


「柄は村の樫だ。前のより少し長い。今のお前なら、それで振り遅れはせん」


 握ってみると、柄は手の中にすっと落ち着いた。前の槍より少し重い。その重さが、今は腕に心地よかった。


          ◇


 昼過ぎに、セラが家へ来た。


 包みから鐘は出さず、机の上へ紙を二枚並べて端を留める。報告の下書きに使っている紙だ。空いた面へ、セラは村と古戦場と町の位置を薄く引いていった。


「送っていない火を、一枚にまとめませんか。町の外も、村の側も」


「村の側って、古戦場も?」


「古戦場の火は北へ引かれています。何が引いているのか分からないので、今は外しましょう。人が通る道のそばに出ている分だけです」


 それなら拾える。灯籠を回る道から、毎晩見えていた火ばかりだ。


 帳面の日付と場所を読み上げると、セラが紙へ点を置いていく。僕が送った火を消し忘れたまま読み上げた所で、セラの炭筆が止まった。二人で帳面をさかのぼって確かめ、紙の点を消す。道沿いには、まだいくつも点が残っていた。


 村の側は、柵の外の道沿いと、畑の向こうの窪みと、墓地へ上がる道の脇。どれも灯籠を回るたびに目へ入っていた場所だ。書き留めてはいたのに、一つも送れていない。送れるのはセラだけで、そのセラの割り当ては町の外の火へ回されていた。


 町の側には、それより多く残っている。石列の根元と道の脇、畑の縁と石囲いの裏。壁の外に残された人たちの名簿へ、場所が重なったとだけ書き添えた火も、その中にある。


「ザハルさんの頼みですね」


「うん。急ぎじゃない、でも忘れないでくれって」


 ザハルさんは、町の外に残った火のことも覚えていてくれた。


 古戦場の中だけは、紙に点を打たなかった。村へ戻った時、北の柵から柱の向こうを見た。初めて見た日に数えようとして諦めた火は、あの頃よりずっと少なくなっていた。


 残った火も、北へ流れていた。どこまで運ばれるのか、僕たちはまだ知らない。


「順番は、村の側からでいい?」


「はい。村の側なら、すぐに回れます」


「それと、誰の火か分からないものには、触らずに送る」


 セラが顔を上げたが、理由は聞かなかった。柵の外で、知らない男の手の形のまま僕の指が開かなくなった日のことを、セラも隣で見ている。


「では、明日の朝、柵の外から」


 紙を畳んだセラは、借りている家へ戻っていった。


 夕方、灯籠を回す組が柵の外へ向かうのを、柵の内側から見送った。


 横木を担いでいるのはノアだ。前より肩の乗せ方がうまくなり、歩き出しでふらつかない。後ろに二人がつき、石台の順に火を入れていく。


「カイ兄、来ないの」


「見ている」


「担げるようになったって聞いたよ」


「初日は半分までって、テオさんが」


 ノアは疑わしそうな顔をしてから、横木を担ぎ直して行ってしまった。


 三番目の石台で芯を出しすぎたノアは、後ろの子に言われて押し戻した。次の台では初めから短く出し、背中で風を受けながら芯へ火を寄せる。僕が父さんに教わった時は風の向きも分からなかった。ノアは自分で風をよける場所を選んでいる。


 新しく置いた台が間に入ったぶん、灯の間隔が前より詰まっている。僕が回していた頃より、明るい道になっていた。


 僕がいなくても、あの道に灯りが並ぶ。ノアたちの背中が次の石台へ向かうまで、柵に手を掛けたまま見ていた。


          ◇


 灯が並び終わった後、短槍を提げたセラに家の裏へ呼ばれた。


 稽古を見てほしいという。槍のことならガランさんの方が詳しいが、ガランさんは橋が通った日に荷と一緒に町へ戻っている。墓喰らいに持っていかれた大盾の代わりを、町の職人へ頼んであるらしい。


「見ていてもらうなら、カイがいいです。人の手元を、いちばんよく見ている人なので」


「そうかな」


「私が鐘を鳴らす所を、町でずっと見ていたでしょう。どこで手が止まったかを後から言い当てたのは、カイだけです」


「分かった。何の稽古?」


「石突きの銀へ落とした魔力を、柄を通して穂先まで届かせる稽古です」


 セラの短槍には、握りの所から石突きまで、柄の中に細い銀の筋が通してある。鳴らすための道具だから、下へ落とす道だけが初めから用意されているのだ。穂先の側に筋は無い。銀は魔力を通すが、木は通しにくい。


「穂先まで銀が通っている槍は無いの?」


「院では作りません。灯葬士の役目は死者の火を鎮め、あるべき場所へ返すことです。槍は道中で身を守るために持ちます」


 セラは石突きへ目を落とした。


「つまり、灯葬士は戦う者ではない、というのが院の考え方です。でも私は、鐘を鳴らせない場所で倒れたくありません。師も、鐘がなくても身を守れるように、槍に魔力を通す稽古をしておけと教えてくれました」


「魔力を通す…。穂先まで届いたら、どうなるの?」


「穂先から響きを伝えられれば、鐘がなくても灰を崩せるそうです。でも、火を送るには鐘が要ります」


「鐘を鳴らせない時でも、灰を崩せるんだ」


「はい。それに、もっと上手く魔力を扱えれば、穂先から刃の形に伸ばすこともできるそうです」


 セラは槍の柄を握り、穂先の先へ目を向けた。


「私には無理だと諦めていました。でも、カイが何度も立ち上がるのを見ていたら、私もできる所から始めたくなったんです」


「僕を見て?」


「はい。カイが自分にできることを探していたから、私も探したいと思いました」


「師は槍も魔力の扱いも上手な人でした。銀を通した魔力を穂先から伸ばして、離れた所を突いて見せてくれたんです」


「銀は魔力を通しやすいから、この槍で稽古するんだね」


「はい。でも、穂先へ届いただけでは刃になりません。形を保って、狙った所へ届かせる稽古も必要です。私も師のように、鐘に頼れない時は槍で戦えるようになりたいんです」


「本来は師に聞くべきだと思うんです。でも、今はどこにいるのかも分かりません。覚えている所から試してみますから、見ていてくれますか」


 師の行方を尋ねても、院からは答えが来なかった。セラは穂先を見つめたまま、僕の返答を待っている。


「うん。どこで途切れるか、僕が見る」


 セラが石突きを土へ突き立て、柄を両手で握った。息を吸い、止める。


 銀の巻いてある所が、うっすら白く曇った。霜のような曇りが柄の下へ広がり、そこから上へ細い筋が伸びていく。


 筋は、柄の半ばで消えた。


「握った手から、指三本ぶん先」


「やっぱり、同じ所です」


 二度目も、三度目も、白い筋は同じあたりで散った。そのたびにセラの握る手が、柄へ食い込むように固くなる。


「最後に、手がぎゅっと締まっている。そこで止まっているように見える」


「……息を止めているからかもしれません」


 四度目は、セラが握り直す前に一度息を吐いた。白い筋が柄の半ばを越え、指二本ぶん先まで進んでから消える。


「今、越えましたね」


 セラは穂先を見たまま笑った。消えた筋の先へ指を伸ばし、今度は届くかもしれないというように柄を見つめている。


 セラは短槍を土から抜き、その場に腰を下ろして膝の上へ置いた。強く握っていた指先が白い。


「自分では、手に力が入っているのが分かりませんでした」


「僕も盾を出す時、肩が上がっているのを父さんに言われるまで気づかなかった」


 セラは柄の銀を撫でてから、前を向いた。


「私は、鐘を預けた日に何もできませんでした。響きの輪が使えるようになっても、獣の足を止めるのが精一杯です」


 短槍の石突きが、土を軽く突いた。


「カイの隣に立って戦える一人になりたいです」


「僕一人でも核は割れる。でも、セラが灰をはがしてくれたら、皆の槍も届く。火を送れるのはセラだけだよ」


 セラはまだ槍の穂先を見ていた。僕はその隣に腰を下ろした。


「それでも強くなりたいなら、手伝う。どこで散ったかを言うくらいなら、僕にもできる」


 セラの手元を見ているうちに、ガランさんに教わった時の自分の手を思い出した。


「僕も同じなんだ。火の方は形を変えてくれたけど、僕が自分で覚えたことは少ない。借りた武器の握り方も、退く合図も、ガランさんに教わりかけたまま止まってる」


 北で何が待っているかは分からない。灰の獣ばかりとは限らない。火の効かない相手に当たったら、今の僕は立っているだけになる。


「一緒に強くなろう」


 セラは目を丸くしてから、短く笑った。


「はい。一緒に」


 セラは膝の上の槍を脇へ置き、白くなった指を一本ずつ曲げ伸ばしした。僕もその隣に座ったまま、しばらく休む。


 ガランさんが戻ったら、セラの槍を見てもらおう。そう考えて、初めて会った日のことを思い出した。


「最初に会った日、名前を聞いただけで、ガランさんが誰か分かったよね」


「北の詰め所で、何度か聞いた名前でした」


 セラは柄の銀へ目を落とした。


「北の街道の戦で、大きな盾一枚を構えて敵の列へ踏み込み、押し寄せた相手を盾ごと押し返した騎士がいた、と。騎馬の突撃を正面から受け止めて、馬の方が止まったとか、剣を抜く前に盾だけで三人を倒したとか。話す人ごとに少しずつ違いましたが、最後はみんな盾の話をしていました」


「盾撃のガラン、だっけ」


「兵の人たちは、そう呼んでいました。その後、騎士団を離れたそうです。理由は、誰も知りませんでした」


 削られた胸当ての印が目に浮かんだ。町の門の脇で、ガランさんはその跡を親指でなぞりながら、火を入れられた者の話をした。


 ――昔、火を入れられた奴を戦場へ出した。


 ――誰の火だったかは、聞かなかったな。


「盾で人を守り抜いた騎士の話と、あの時の言葉が、どうしても重ならないんだ」


「私も、ずっと引っかかっていました」


「町で会ったら、少しだけ聞いてみよう。話したくないことは話さなくていいって、先に言ってから」


「はい。話してくださる時に」


 セラはそこで、ニルスさんの名前も出した。昔は王国の軍で槍の隊を長く任され、ガランさんとは町で会う前から顔見知りだったらしい。言われてみれば、ガランさんは僕やセラの手元にはすぐ口を出すのに、ニルスさんの槍について何か言ったことは一度もない。


          ◇


 家へ戻ると、母さんが土間で袋の口を縫っていた。父さんの狩りの袋ではない。肩から掛ける、旅の袋だ。


「それ、誰の」


「誰のだと思う?」


 母さんは糸を歯で切り、袋をひっくり返した。口の縫い目が二重になっている。


「まだ行くって言っていないよ」


「顔に書いてあるわ。昔から、隠すのが下手なのよ」


 言い返す言葉が出てこなかった。


「持っていく物は、自分で決めなさい。」


 夕飯の時、父さんが僕の椀へ肉を一切れ寄せた。


「槍は、手に合ったか」


「うん。前より少し重いけど、振り遅れない」


「なら、いい」


 止めもしないし、気をつけろとも言わない。村の男が村を出る前に、こういう言い方をされているのを何度か見たことがある。子どもを見送る時の言い方とは違っていた。


 片づけが済んでから、《灯名帳》を開いた。セラと決めた送りの順番を書き、知らない火には触れないことを、その下へ添える。


 稽古で白い筋が散った場所も書いておこう。柄の半ば、握った手から指三本ぶん先。息を吐いたら、そこから指二本ぶん進んだ。


 セラが明日も続きを試せるように、その行の頭へ小さな点を打った。


 墓地にいる斥候のお母さんの火は、この中に入れなかった。あの火は送り残しではない。許しをもらって戻る日まで、約束して置いてある火だ。


 炭筆を置こうとして、手が止まった。


 町の外柵には、送らないと決めた火が一つ残っている。柵の戸の前で人を刺した男の火だ。帳面の数からは外したが、あの柵の根元で、今も揺れているはずだった。


 村を出る前に、あれをどうするのか。僕はまだ、決断を出せていない。

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