第八話 退かぬ盾
本日3話目です。
地下道をふさぐ作業は、日が傾く前に始まった。
作業場所は、白喰いが墓石を押し上げて出てきた穴だ。最初は地面へまっすぐ落ち込む穴だったが、村人たちが墓道側の土を斜めに削り、歩いて地下道へ下りられる作業口に広げてある。
白喰いが通った道を、そのまま夜まで残しておくことはできない。村の男たちは斜面の下へ太い丸太を運び込み、石と土で地下道をふさぐ準備を進めていた。
「カイは中へ入るな」
父さんに言われて、僕は肩の痛みを確かめた。石を運ぶのは無理でも、外から作業を手伝うことはできる。
そこで、作業口から数歩離れた墓道の端に置かれた水桶のそばへ座った。誰かに頼まれたら水を渡すつもりだが、今はただ桶を眺めているだけだ。手伝っていると言えるかは分からないが、少なくとも作業口の中には入っていない。
「カイ兄、それ、どんな仕事なの?」
ノアが、母親のリサさんと一緒に水差しを持ってきた。
「水が勝手に逃げないように見てるんだ」
「逃げたことある?」
「一度もない」
「じゃあ、カイ兄はすごいね」
ノアは真面目な顔で言った。僕が笑うと背中の傷が少し引きつったが、白喰いに追われていた時のような痛みではない。
斜面の下から父さんが顔を出した。
「カイ、水が逃げる前に一杯くれ」
「水は逃げなかったよ」
「それはよかった」
父さんも真面目な顔で答える。僕が木の器へ水をくんで作業口の縁まで運ぶと、父さんは斜面を半分ほど上って器を受け取った。
父さんの目元が、ほんの少し緩んだ。白喰いの前へ飛び出した息子が、今は水桶のことで冗談を言って笑っている。まだそんな十二歳の子どもであることに、少し安心したように見えた。
斜面を下りた先には、天井を支える太い丸太が三本立てられている。その奥では父さんとダリオさん、大工を含む村の男三人が、地下道を横切るように石を積んでいた。地下に置いた二つの作業灯が作りかけの壁とその上の天井までを照らし、水桶のそばからでも中の様子が見える。
作りかけの壁より奥で、天井をふさぐ平たい石板の一枚に、斜めのひびが走っていた。白喰いが通った時に傷んだのかもしれない。父さんは作業を始める前に、ひびの少し先へ炭で印をつけている。ひびが印まで伸びたら、すぐ作業をやめて全員外へ出る。それが今日の決まりだった。
地下道そのものを、完全に埋めるわけではない。まず入口を丸太で補強し、その奥へ白喰いが通れない石の壁を作る。壁ができたら墓道側へ土を入れ、どこまで続いているか分からない奥は後で調べる。父さんから聞いた段取りだ。
僕はその順番を帳面へ書きながら、時々、炭の印とひびの先を見比べた。作業を始めた時より、ひびが長くなっている気がする。
「父さん。天井のひび、さっきより長くない?」
父さんが石を置く手を止め、奥の天井を見上げた。
「印をつけた場所までは来ていない。だが、急いだ方がいいな」
ひびの先は、まだ炭の線から指二本分ほど離れている。
その時、地下道の奥で何かが落ちた。
石が一つ転がるような音ではない。天井の石板が、奥から連なって割れていく低く長い音だ。
「みんな、出ろ!」
父さんが叫び、石を積んでいた男たちが斜面へ向かって走り出す。ダリオさんが一人目、村の男が二人続いた。
最後の男が、積みかけの石へ足を挟まれて倒れた。
父さんが引き返し、男の脇へ腕を入れる。その間にも、ひびの入った石板の隙間から土が落ち始め、小石が父さんの背中を打った。
天井のひびが、炭の線を越える。
「みんな離れて!」
リサさんがノアを抱え、墓道の曲がり角へ走る。僕も下がろうとした。けれど、父さんたちはまだ穴の中だ。
胸の奥で、二つ目の火が強く燃えた。十を数える間なら、正面を止められるかもしれない。そう思った瞬間、門番が最後に見た横倒しの荷車が浮かんだ。
(先に、後ろだ)
僕は振り返った。
ノアとリサさんは曲がり角の向こうで、そこまでの間に残っている人はいない。地下道には父さんと、足を挟まれた男の二人。作業口のそばでは、ダリオさんたち三人が助けへ戻ろうとしていた。
「中は二人! 出たら全員で僕を引っ張って!」
僕は斜面を駆け下りて地下道へ入り、父さんたちの横をすり抜けた。
「カイ、何を――」
返事をする余裕はない。二人を背中側に置き、崩れ始めた地下道の奥へ向き直り、両腕を正面へ突き出した。
「《退かぬ盾》!」
青い盾が、僕の正面で地下道いっぱいに広がった。十本の線が浮かび、一番上の線が光る。
「一つ!」
ひびの入った石板が割れ、その上の土が地下道へ崩れ落ちた。土と石が通路を埋めながら、崩れた勢いのまま正面から盾へ押し寄せる。
両肩に、重みがのしかかった。
実際に石を受けたわけではないのに、腕の骨がきしむほど痛い。それだけの土砂を受けても、青い盾はわずかにも押し戻されなかった。
「二つ!」
背後で、石を引きずる音がした。
「外れた。立てるか!」
「三つ!」
「足に力が入らない」
「俺につかまれ!」
服がこすれ、二人分の足音が重なる。片方は土を引きずっていた。
盾の端から、細かな土がこぼれる。正面は止められても、左右の壁まで強くなるわけではない。
「四つ! 壁から離れて!」
二人分の足音が斜面へ向かい、少しずつ遠ざかっていく。
五本目の線が光った時、盾の向こうで別の石板が割れ、重みが倍になった。
踏ん張り直したいのに、足は地面へ縫い留められたように動かない。《退かぬ盾》を出している間は、自分の力では一歩も動けない。それが、この力の制限らしかった。
「五つ! 僕はここから動けない! 能力の制限かもしれない!」
重さは増したのに、声はさっきより大きく出た。
「分かった! 動けないなら、お前は俺が引き戻す!」
父さんの声が背後から届く。
「六つ! みんなが外へ出るまで、ここで止める!」
口に出すと、動けないことが、ここに残る理由に変わった。
斜面を上る足音が続く。
「七つ!」
足音が作業口の外へ抜けた。
「こっちへ!」
「受け取った!」
「負傷者は離れた!」
父さんが叫んだ。
けれど、負傷者を運ぶ足音は、まだ作業口のすぐそばから聞こえている。ここで盾が消えれば、押し寄せる土砂が全員へ届いてしまう。
八本目の線が光った。
「まだ土砂が来る! けが人を曲がり角まで!」
男二人の掛け声が重なり、急ぐ足音が墓道の曲がり角へ遠ざかっていく。
「ダリオ、縄を持て! 俺の腰に結んで、あとで引っ張ってくれ! カイは俺が抱える!」
「分かった!」
背後で縄が土をこする音がした。二人分の足音が斜面を下り、僕のすぐ後ろで止まる。
父さんたちが来ても、僕の足は動かない。自分では、ここから下がれないのだ。
「十本目で盾が消えるかもしれない! その瞬間に引っ張って!」
父さんの腰の辺りで縄がこすれ、結び目を締める音がする。続いて銅札が小さく鳴り、足元へ淡い光が差してすぐに消えた。ダリオさんが、腰袋に残していた最後の補強札を使ったのだ。
父さんが僕の両脇へ腕を入れ、背後から抱え込んだ。命綱は自分の腰にだけ結び、僕の体には縄を巻かない。
「ダリオ、俺が合図するまで引くな。カイが動かなければ、俺が何とかする」
ダリオさんの足音が斜面を駆け上がる。その向こうから、遠ざかっていた二人分の足音が戻ってきた。
「俺たちも縄を持つ!」
「後ろへ並べ!」
縄が張り、父さんの体がわずかに後ろへ引かれる。三人が命綱を握ったことが、父さんの腕越しに伝わってきた。
「九つ!」
青い盾に大きな割れ目が走り、最後の一本が光る。
「十!」
盾が砕けた。
青い破片は地面へ落ちる前に消え、止められていた土砂が一気に押し寄せる。同時に、縫い留められていた両足が自由になった。
「動けるようになった!」
僕は右足を後ろへ引いた。
「今だ、みんな! 引っ張ってくれ!」
父さんは僕の右足が下がったのを見て、抱えていた腕に力を込める。背後で三人の掛け声が重なり、父さんの腰につながる縄が一気に張った。
僕も、動くようになった足で斜面を蹴った。父さんの腕と、背後から縄を引く力で、体が斜面の上へ引っ張り出される。靴の先を土砂がかすめ、僕たちは重なって墓道へ倒れた。
地下道の入口は、土と石で半分以上埋まっていた。さっきまで僕が立っていた場所にも、頭ほどの石が転がっている。
父さんが起き上がり、まずダリオさんと村の男三人を確かめる。足を傷めた男にも意識はあり、曲がり角の向こうではリサさんがノアを抱いていた。
「全員いるか?」
父さんが周りを見回した。
「いるよ。僕と父さんを入れて、八人」
父さんがこちらを見た。
「数えてたのか?」
「うん。盾を出す前に、誰がどこにいるか確かめてたんだ。ノアとリサさんは曲がり角の向こう。作業口のそばに三人、地下道の中に二人。土砂の前に残っていたのは、父さんたち二人だけだった。だから、二人が外へ出るまで止めればいいって分かった」
父さんは短く息を吐き、土で汚れた僕の頭をなでた。
「それなら、あの門番より一つ先へ進めたな」
父さんは、半分埋まった地下道を振り返った。
「俺たち五人では逃げるしかなかった崩れを、お前は全員が安全な場所へ離れるまで、一人で食い止めた」
それから、僕の額を指先で軽く弾いた。
「また無茶はしたがな」
両腕はしびれ、肩もずっしりと痛む。けれど、守るはずだった人は全員、僕の後ろにいる。
退かなかったからではない。退く人を先に確かめたから、守れたのだ。




