↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名もなき英雄の残火 ~死者の技を継ぐたび、少年は強くなる~  作者: 冬月樹
第一部 青い火の古戦場

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
72/80

第七十二話 待つ意味

 畑の縁にいた群れが動き出した。


 朝の前の斜面を、灰色の背が並んで下りてくる。走ってはいない。壁へぶつかりに来る時の勢いが無かった。


 先頭が壁の根元まで来て、線の手前で足を止めた。二体目も三体目も、同じ所でぴたりと止まる。


「効いとる」


 婆さんが胸壁の隙間から下を見て、石を一度たたいた。


「登れんのじゃなくて、触りたがらん。水路の時と同じじゃ」


 けれど、僕には同じに見えなかった。水路の白喰いは、石へ前脚を掛けようとして、届く手前で止まった。下の獣は、掛けようともしない。線の手前で足をそろえ、門の左右へ同じ幅で並んでいく。一体が止まると後ろも止まり、爪が壁へ届く距離なのに、打ち込んでくるものがいない。胸壁の下で、乾いた土をこする音だけが続いていた。


 並んだ腹の下を見て、息が詰まった。どの背からも黒いものが下りて、土の中へ消えている。昨日、柵の外で盾が消えるのを待っていた獣と同じだ。


「線に触りたがらないというより、ただ並んでいるように見えます」


 婆さんがこちらを向いた。


「……何のためにじゃ」


「分かりません。でも、獣が自分で選んだ行動ではないと思います」


 婆さんは黙って、下の列を見た。


 壁の内側では、荷を抱えた町の人が兵に導かれて広場へ向かっていた。門へ続く道を空けるためだ。子どもを抱き上げる人の姿が見えた。


 あの列が何を待っているのか分からないまま、僕たちは門の内側にいる。


 出ないといけない。あれが何かをするより先に。


          ◇


 並びの真ん中にいた、背の高いものが動いた。


 斜面の裾から、こちらへ下りてくる。近づくにつれて、隠れていた側の腕も見えた。左右に四本ずつ、八本ある。


 体は一回り大きくなっていた。背には曲がった板と古い鉄が何枚も重なっている。その肩がこちらを向いた時、二股に裂けた板の縁が見えた。根元には半分だけの留め具の穴がある。


 ガランさんの手が腰の袋へ動いた。中から出した小さな破片を握ったまま、肩の板を見ている。


「あの時のだ」


 喉が狭くなった。あの切り口を、僕も手の届く所で見た。砕いた核の手応えが指へ戻る。


 昨日の夜、倒したと書いた所に線を引いて、分からない、と書き直したばかりだ。それでも、次の朝にこれが下りてくるとは思っていなかった。


 折り重なった鉄の隙間から黒い糸が何本も下がり、地面を擦って、細い溝を残していた。布の下の土に残っていたのと同じ溝だ。そのうちの何本かは、溝の先で土の中へ潜っていく。門の前の獣の腹から下りていた黒いものも、同じように土へ消えていた。


「来るぞ」


 誰かがそう言った。東側を守る兵が胸壁へ身を寄せ、一斉に弓を構えた。


 墓喰らいは坂の途中で向きを変えた。


 壁の方へは来ない。線の手前へも近づかない。町の壁と斜面のあいだを、そのまま横切っていく。


 八本のうち前へ伸ばした二本を地面へ置き、残りを体の脇へたたんでいる。急ぐ様子もなかった。


 東へ歩いていた。


 横を向いて歩いていく巨体へ、胸壁の兵たちが矢をつがえ、弦を引き絞った。


「まだ射るな」


 弓を引き絞った兵へ、ザハルさんが低く言った。


「こっちへ向かせるな。壁の内には、まだ町の者がおる」


 兵たちが弦を戻した。墓喰らいは一度も壁を見上げず、門の前に並んだ群れの後ろを、ゆっくり横切っていく。そのあいだ、並んだ獣は一体残らず、同じ向きへ首を回していた。


 切り落とした腕のそばから、新しい腕が二本伸びていた。あの時に開けた肩の隙間も、別の鉄で埋められている。僕たちが帰ってからも、あれは体を作り直していた。


「門を開けますか」


 ニルスさんが階段の下から叫んだ。


 ザハルさんの返事はすぐには来なかった。


 門の外の線の際には、灰の獣が隙間なく並んでいる。開ければ、その線が一か所だけ切れる。


「開けられん」


 ザハルさんは門の前の群れを指し、階段の下まで届く声で続けた。


「一か所切れば、あの群れがそこへなだれ込む。町の中で受けることになる」


 僕は壁の縁を握ったまま、東へ動いていく背を見ていた。


 あれは町を襲いに来たのではない。灰の獣を壁の前へ残して僕たちを出られなくし、その横を通っていく。


 群れが門の前にいるかぎり、僕たちは戦わなければ外へ出られない。そのあいだに、あの大きな体だけが先へ進める。


 どこかで見た形だ、と思ってすぐに分かった。


 置き刃だ。ガランさんが短剣を置いていって、後続をそこへ詰まらせた日と同じことを、あれは獣でやっている。


 あれは、ガランさんのやり方まで覚えている。


          ◇


 評定は日が昇りきる前に始まった。


「なぜやつは東へ進んでいる」


 ザハルさんが聞いたのは、部屋の中で東の道をいちばんよく知っている人だった。ニルスさんが図の上で、合流点から東の橋へ指を進める。橋の壊れた所には印が残り、補修中の足場がその手前まで描き足されていた。


「橋の向こうは、山の外側を回る道です。その先がルカ村です」


 父さんの手が図の端で止まった。僕の隣で、指の関節の色が抜けている。僕も、図の東の端から目を離せなくなった。


「なぜ村へ行く」


 ガランさんが図の上で、東へ進む道をたどった。


 答えを考えるより先に、口が開いていた。村へ向かう理由を、村の外に見つけたかったのだと思う。


「村が目的ではなく、火を探しているのかもしれません。墓喰らいは残火を取り込みます。村の北の古戦場には、まだ大量の火が残っています」


 部屋の顔が一度にこちらへ向いた。


「火なら、石列から古戦場へ入れば済む。なぜ橋の道へ回る」


 ザハルさんが炭筆の尻で、図の石列から北の縁をなぞった。古戦場は、そこから村の北の柵までひと続きだ。火を集めるだけなら、あれは道へ下りる必要が無い。


「……分かりません。そこだけが合いません」


 言いながら、自分がいちばんその答えにすがっていたのが分かった。火が目当てなら、村はただの通り道で済む。そうではない理由を、僕はまだ一つも打ち消せていない。


 父さんが、橋の先の道を村まで指でたどった。


「あの道から古戦場へ行くなら、先に村を通る。北の柵の手前が墓地で、その手前が……」


 父さんはそこで止めた。図から手を離して、一度握り直している。


 言わなくても、この部屋の全員が同じ図を見ている。


 ノアがいる。母さんがいる。ユハンさんは座って短い見張りへ入れるようになったと、前の便りに書いてあった。座って見張るのは、立って戦えないからだ。


 柵は木で、術式の線は引かれていない。白喰いに壊されたこともある。


「村には、あれを崩せる者がおらん」


 ガランさんが短く言った。


「灰をはがす鐘も、核へ届くお前の刃も無い。灯籠と柵で灰の獣を防げても、あれを止めたことはない」


「だが、橋は落ちている。誰も何も通れん」


 ザハルさんが言った。


「……人だけなら、渡れるようになっています」


 言ったのはニルスさんで、図の谷へ指を置いていた。


「正確には、渡れる見込みがある、です。補修の組が、残った橋脚まで足場を延ばしました。板を渡せば、人は一人ずつ渡れるそうです。荷を通す橋にするには、町から回すはずだった鉄が必要です」


 僕は図から目を上げた。鉄なら、さっき見た。


「その鉄なら、あれが背負っています。枝道に置いていた板です。さっき、背に重なっているのを見ました」


 部屋の目が、またこちらへ集まった。


「あの腕で鉄を谷へ差し渡せば、あれは自分で橋を作れます」


「橋が落ちとっても、あれは渡れるということか」


 ザハルさんの炭筆が、図の谷の上で止まった。


「……はい」


 村の柵に、線は無い。それに、あれは元々あのあたりにいた。北の灯籠を引いていったのもあれだ。あの柵の外に何が残っているかは、とっくに見ている。


「何を狙っとるのかは、分からん」


 ガランさんが図から顔を上げた。


「だが、渡れるなら村までたどり着ける。理由が分かるのを待っとる暇は無い。追うしかない」


 分からない、という言葉が、どんな答えより重く聞こえた。


「門は開けられん。壁の前の数が減るまでは、一人も出せん」


「なら、減らします」


 僕の声が思ったより先に出た。


「門の前へ寄った獣の灰を、セラの響きではがします。脚が鈍って灰も戻らない間に、兵の人たちが崩す。核は僕が断ちます」


「セラ。門を開けずに、内側から届くのか」


 セラは短槍の石突きを床へ下ろし、柄の下へ手を添えた。


「門の扉の下には、開け閉めのための隙間があります。そこから石突きを外の土へ差し入れれば、届くはずです」


「昨日も外へ出たな。腕はどうだ」


「今は上がります。ただ、何十体も一つずつ送るのはできません」


「動きを鈍らせてくれればいい。崩すのは俺たちだ」


 ガランさんが答えるとセラもうなずいた。


「出る前に、隙間から一度短く通してみます。それで届かなければ、外へ出るための別の手が必要です」


 ザハルさんは割り当ての紙のセラの名前の横へ、印をもう一つ足した。


 決まったのは、まず門の前の数を減らし、減ったら東の道へ組を出すことだった。その組は村まで行く。先に橋の補修方へ矢文を出し、対岸から村へ警告を届けてもらう。


「誰が行く」


 ガランさんが聞いた時、父さんはもう立っていた。


「俺と、カイだ」


「僕とセラです」


 同時に言ってしまって、父さんがこちらを見た。


 父さんはセラを見てから、図の横へ紙を引き寄せた。僕を残す話はしなかった。


「ガランさんも必要です。ニルスさんも、兵も」


 僕は図の谷を指した。


「細い足場では、一斉に戻れません。渡る人は村を守るつもりで行くことになります」


 ザハルさんが炭筆を置いた。


「町を空にはできん」


「町に残す兵も必要です。何人までなら出せますか」


 ザハルさんは壁の見張りと門の守りを先に数え、残った名前へ印を付けていった。


          ◇


 出るのは七人と決まった。ガランさん、ニルスさんと長槍の兵二人、父さん、セラ、僕だ。町の兵を出す代わりに、残る組は門と壁へ集める。


「橋の板と縄は、向こうの補修方に借りる。持つのは水と武器だ」


 ニルスさんが荷を分け始めた。ガランさんは剣帯を締め直し、父さんは鉤棒の先へ布を巻いて袋へ固定した。


 支度をしているあいだ、僕は寝台の脇の袋から布の包みを出した。


 中には右の縁が欠けた標章がある。門付きの使者の火が残った方だ。


 送らないでください、とアルドさんは言った。理由は、最後まで言わなかった。


 送れば、僕の体に何か残るかもしれない。あの人は走って報せを届けた人だ。


 でもそうすれば、アルドさんとの約束は守れない。


 僕は包みを結び直して、荷のいちばん内側へ入れた。今はまだ送らない、と決めた。


 《灯名帳》の最後のページへ、出る前に二行足した。


 ――七人で東の橋を渡り、村を守る。


 ――どうしても今の自分で勝てない時は、標章の火を送る。


 帳面を閉じると、門の方から兵を呼ぶ声がした。


 門へ向かいながら、胸の奥の灯皿を確かめた。乗っているのは門番の火だ。眠る前に選ぶのは、たいてい門番の火だった。外で最初に要るのは、誰かの前に立つことだから。ゆうべも、そうして眠った。


 門の内側で、セラが扉の際に片膝をついていた。短槍を斜めに構え、開け閉めのための細い隙間から、石突きを外の土へ突き立てている。両手はもう柄の下へ添えてある。


「開く所の前だけ、短く通します」


「頼む」


 低い響きが、敷居の下を抜けていった。


「正面の灰が浮きました! 前の何体かが脚を折って倒れています。起き上がりません!」


 門の上の見張りが、胸壁から身を乗り出して叫んだ。ザハルさんが一度だけ門の上を見上げる。


「よし、開けろ!」


 ザハルさんの声で閂が動いた。


「出るぞ!」


 開いた所からガランさんが先に出て、剣が横へ走った。ニルスさんと兵が左右へ割り、灰の戻らない胴を突き崩していく。合図を待っている者はいなかった。


 僕は両手を開いた。


「横は僕が受けます。《退かぬ盾》」


 青い面へ横から来た重さを返す。押し返された獣が転がった所へ、父さんの鉤棒が掛かった。


 盾が弾けると、入れ替わりに槍兵の火が灯皿へ寄ってきた。短槍を拾い、胸へ灯す。


「開いた核を断つ。《青火纏い》」


 ガランさんの剣が割った灰へ、青い穂先を通していく。抜いて、次へ。


 門の隙間から、七人全員が飛び出た。


「出たぞ! 閉めろ!」


 後ろで閂の落ちる音がして、切れていた所へ術者が手を置いた。残った群れは壁の線の前で足を止め、こちらを追ってこない。僕たちは坂を下り始めた。


 東の斜面に、墓喰らいの背はもう無かった。


 門の前に残した数を、僕はもう数えていない。


 これから数えるのは、東へ向かった一つだけだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。