第六十九話 北からの使い
北回りの道から使いが着いたのは、次の日の昼過ぎだった。
壁の上から知らせが下りてきた時、僕は外の火の数を帳面へ書き足している途中だった。最後の字を書き終えないまま、門へ向かった。
門をくぐってきたのは、馬を引いた大人が二人と、その前を歩く一人だった。前の一人は僕とそう変わらない背丈なのに、三人の歩く速さはその人が決めている。外套の留め具には銀の輪が二つ並び、後ろの二人の留め具には一つしかなかった。
「冠灯院のアルドです。北の地方院から、この町の報告を確かめ、返事を伝えに来ました」
門の内側で足を止めて名乗った声には、まだ幼さが残っていた。それでも、言葉の切れ目に迷いが無い。
ザハルさんが名乗り返している間に、アルドさんの目は僕の後ろで止まった。セラの淡灰色と濃紺の服を確かめ、腰の銀の鐘へ視線が下りる。
「あなたも院の方ですね。お名前を伺っても?」
「見習い灯葬士のセラです。この町から報告を送りました」
僕の隣へ進み出たセラが頭を下げると、アルドさんは小さくうなずいた。
「では、あなたがセラさんですか。報告は読みました。詳しい話を、あなたからも聞かせてください」
馬を引いていた二人を門の内側へ残し、評定の部屋へ入ったのは、ザハルさんとガランさん、アルドさん、それにセラと僕だけだった。
アルドさんは椅子をすすめられても座らず、外套の内から折り畳んだ紙を出した。ザハルさんが先に届いていた院の返事を机へ置くと、二枚を見比べてから口を開く。
「セラさんの報告に、残火を宿した者がいると書かれていました」
僕のことだ。
セラがそう書いたのは知っているし、止めてくれと頼んだこともない。頼む理由も無かった。けれど、あの一行を読んだ人が、今こうして北から歩いてきている。僕の中の火を送れと言われたら、それを断る言葉を、僕は一つも持っていなかった。
◇
僕が名乗ると、アルドさんは顔より先に僕の手を見た。
何も隠していないと伝えるつもりで、両手を上へ向けて指を開いた。前にセラと話した時にも、こうして手を見せたことがあった。
「今、いくつ宿していますか」
「三つです。斥候の人と、門番の人と、槍兵の人の火です」
セラが一度だけ、こちらを見た。零れ火のことは、帳面ではまだ確かめていない欄に書いてある。宿している火の数に入れるものでもない。僕が小さくうなずくと、セラは前へ目を戻した。
アルドさんは紙の余白へ三つと書き、続けて聞いた。
「火が体に入ってから、何か変わったことはありましたか」
「できることが増えました。斥候の人の火では、道が三歩ぶん見えます。門番の人の火では、盾が出ます。槍兵の人の火では、穂先が青くなって、灰の中の核まで届きます」
書き取った三つを、アルドさんは小さな声で読み返した。
「斥候、門番、槍兵。どれも、その人がしていたことですね」
「はい」
それ以上は何も言わずに、筆が次の行へ移った。何を確かめたのかは、その顔からは読めなかった。
「報告には、死者の技を使ったとあります。何が起きたのか、あなたの言葉で聞かせてください」
「最初は、火に触れたらその人の最期が見えました。その後で、知らなかった道が見えたり、盾が出たりしたんです。そうなると知って触ったわけじゃありません」
アルドさんの筆が止まり、僕の手と報告の紙を、もう一度見比べた。
「今は、自分の意思で出せるのですか」
「はい。使う時も、消す時も、僕が決めています」
「私も、カイに会うまで、そういうことができるとは知りませんでした」
横から口を開いたのはセラだった。
「院で教わったのは、取りつかれた人が自分と死者を分けられなくなる危うさです。カイは記憶を分けて話せますし、技も自分の意思で使っています。報告には、そのとおりに書きました」
「生きた人の中に残った火は、送ることになっています。取りつかれた人を守るためです」
アルドさんの声は、規則を読み上げる時のように平らだった。
「その決まりは、セラから聞いています」
僕が答えると、セラが言葉を継いだ。
「送った場合にカイがどうなるかは、私にも分かりません。ですから、院の判断を待っていました」
アルドさんは机の上の院の返事へ目を落とした。僕の中の火を送る処置は、あの紙で止められたままになっている。
「自分の意思で扱えていても、安全だと分かったわけではありません。それでも使い続ける理由を、聞かせてください」
責める声ではなかった。帳面の次の欄を埋めるための問いだと分かったので、僕は順に答えた。
「壁の外には、まだ送られていない火が残っています。柵の根元は町の畑の縁で、獣がいるままでは畑へ出られません。僕が場所を伝えて、セラが送ります。そのあいだにも、獣は来ます」
アルドさんは筆を止めずに聞いていたが、書き終えると顔を上げた。
「火の場所なら、セラさんの鐘でも調べられるはずです。獣を防ぐのは、町の兵の務めでしょう。あなたの中の火に頼らなくても、送火は続けられるのではありませんか」
さっきより、言葉が硬かった。
アルドさんは、僕の中の火をいずれ送るつもりで話している。だから、僕の火に頼らずに済む形を、一つずつ探しているのだと分かった。
僕が答えるより先に、隣で椅子が鳴った。
「昨日、灰の獣が七体来ました」
立ち上がりかけたセラへ、アルドさんが向き直る。
「鐘を鳴らしている時も、銀へ響きを通している時も、私は動けません。兵の方々も守ってくれました。それでも、正面で爪を受け止めたのはカイの盾です。昨日は、あの盾が無ければ、ひどい怪我を負っていました。悪ければ、死んでいたかもしれません」
「あなたが守られたことは分かりました。けれど、それだけでは、カイさんの中に火を残しておく理由にはなりません」
「私一人のことではありません」
セラは引かなかった。
「見張り塔から十一人が帰れたのは、カイの道があったからです。西門で墓喰らいを止めたのも、カイの盾でした。村では、崩れた地下道で、お父さんと村の人を土砂から守ったと聞いています」
セラは一度、息を継いだ。
「この町でも、灰の獣は崩しても、また立ち上がっていました。核まで届くカイの刃があるから、兵の方々は外へ出られるようになったんです。カイの力が守ってきたのは、私だけではありません」
自分でも声が強くなったのが分かったのか、セラは腰を下ろし、膝の上で指を組み直した。
アルドさんはしばらく黙ってから、僕の方へ目を戻した。
「あなたはどう考えていますか」
「僕も、同じです。この火を宿していた人たちは、最後まで誰かを守ろうとしていました。その力で守れる人がいるうちは、使いたいです。どうして僕にこんな力があるのかは、まだ分かりません。それでも、この力で誰かを助けられるなら、助けたいんです」
言い終えても、アルドさんは急かさずに待っていた。言葉が足りない時に待ってくれるところは、評定の大人たちと同じだった。
「火の場所が見えるだけでは、襲ってくる獣は止められません。盾で送る人の前に立ち、槍で核を壊せば、兵の人たちも次の火まで進めます」
アルドさんはしばらく黙ったまま、僕とセラの言ったことを紙の余白へ順に書き足していった。
「火を使い続ける理由は、聞きました。外で何をしてきたかも、このまま書いておきます。それをどう扱うかを決めるのは、院です」
筆の音だけが、しばらく続いた。書き終えたアルドさんが顔を上げるのを待って、僕は口を開いた。
「もう一つ、伝えておきたいことがあります。三日前に、外の残火が五つ減っていました。送ったのでも、倒したのでもなくです」
「では、どこへ」
「墓喰らいに取り込まれたのかもしれません。倒したはずなんですが、それしか思い当たりません」
外套の留め具に掛かっていたアルドさんの指が、そこで止まった。
「墓喰らいを、倒したのですか」
「少し前です。町の外で、皆で」
「その話は、私の持っている書類にありません」
「報告は、これからです。杭のことと一緒に、次の便で出すつもりでした」
セラが横から答えると、アルドさんは紙の余白へ短く何か書き、顔を上げないまま続けた。
「墓喰らいが残火を集めることは、院の記録にもあります。集めているなら、まだ生きています」
部屋の音が止まった。
板が消えた日も、火が減った日も、誰も口に出さなかったことだ。それを、この人は書きながら言った。




