第六十五話 最後の一本
墓喰らいの首は、もう僕を見ていなかった。
三本目の腕は坂の下の石をつかんだまま止まっていて、父さんがその手首を鉤棒で引いている。ガランさんは浮いた板の下へ剣を差し込み、肩に重なった板をはがしにかかっていた。
「カイ、まだ出すな」
ガランさんは板から目を離さずに言った。
「打たれん盾に用は無い。あれに打たせてやる」
父さんが何も言わずに、鉤棒へ体重を掛けた。ガランさんの剣がきしんで、板がもう一枚持ち上がる。核は、あの板の下だ。
はがされ続ければ、核がむき出しになる。墓喰らいは、もう待っていられない。
石をつかんでいない残りの二本が、地面から二人の方へ跳ね上がった。
「出せ、カイ!」
僕は二人の前へ踏み込んだ。
「二人が板をはがすまで守る。《退かぬ盾》」
出た面は、さっき返した盾と同じ厚さだった。槍兵の火が役目を終えたところへ、門番の火が自分から戻ってきていたからだ。
振り下ろされた二本が、そのまま青い面を打った。爪が面を引きずっても、両手は押し戻されない。
息を吸うと喉の奥がざらついた。咳をすれば数がずれるので、口を閉じたまま鼻で吸う。
後ろで、鐘の包みを解く音がした。セラも、肩の板が開いて鳴らせる時を待っている。
「板が浮いた。ヨルン、そのまま引け!」
ガランさんが剣をてこにして板を押し上げた。金属がきしんで、かみ合っていた一枚が外れる。
盾の四本目の線が伸びた。
墓喰らいがつかんだ石へ力を掛けるたびに、腹が少しだけ浮く。押している二人からは見えない角度だ。
「ニルスさん、下が空きます!」
長槍が二本、続けて同じ所へ入った。起き上がりかけた体が石へ押し戻される。
「六つ」
父さんの鉤棒に掛かった手首が、細く伸びていた。石を引く力と父さんの力が、灰のつなぎ目を両側から引いている。
「取れる」
ガランさんの剣が腕の付け根を横切った。黒い糸がはじけて手首が落ち、父さんが石の陰へ転がる。
頭の上で石が鳴った。
「横へ!」
ニルスさんが抜け、兵たちも両側へ散った。
一人だけ遅れた。
さっき左腕をやられた兵が、落とした槍を拾おうとしていた。前腕の傷で左手に力が入らず、握った柄を何度も取り落としている。
正面を離せば、二本の腕がその人の上を通る。
「早く!」
石の割れる音の方が大きかった。
戻ったのはニルスさんだった。兵の襟をつかんで引きずり、二人で石の陰へ倒れ込む。その背中の上を、傾いた石の影が横切っていった。
土煙で、二人がどこにいるか見えなくなった。
九本目の線が光る。
二人の姿が見えないまま、僕は正面を受けて数え続けた。
両手を前へ押し出した。
たまった重さが残る腕を払い、墓喰らいを倒れかけた石へたたきつけた。肩の板が裂ける音に、石の落ちる響きが重なる。
落ちた石の揺れが足元から突き上げてきて、僕は膝を折って踏みとどまった。
土煙の低い所から、先に手が出た。ニルスさんが兵を引き起こしている。二人とも立った。
その向こうで、灰の体が折れ重なっていた。
「カイ!」
ニルスさんが、預けていた短槍を投げてよこした。ガランさんはもう僕を追い越していて、剣の腹で残る腕を外へ払った。父さんがそこへ鉤棒を掛ける。
肩の奥が開いていた。折れた板の下で、黒い糸が幾筋も集まっている。
「今度は核を断つ。《青火纏い》」
穂先の青は、さっき灰の獣を割った時と同じ太さだった。開いているのは、仲間が作った隙間だ。何枚も押し抜く必要はない。
踏み込んで突き入れると、穂先が硬いものへ当たって右へはじかれた。
まだ奥に一枚ある。核の手前へ斜めにかぶさって、こちらの刃を外へ流していた。
「動かせません」
言い終わる前に、ガランさんの剣が僕の槍に沿って入った。持ち上がった縁の下へ青を通すと、硬い音がやんだ。
代わりに、柄が細かく引かれ始める。
黒い糸が刃へ巻きついていた。
靴底が半歩滑る。踏み直して押し返すと、青に触れた糸から順に切れていった。
軽くなった柄の先に、割れた灰の奥の小さな核が見えた。
それが、下へ動いている。
核が自分から動くのを、僕は一度も見たことがなかった。灰の獣の核は、灰を崩しても、砕くまで同じ場所にある。これは、体を置いて逃げようとしている。
逃がしたら、今日やったことが全部なかったことになる。
「核が逃げる! 腹の下から、地面へ抜けます!」
兵の穂先が一斉に下りた。ニルスさんが板の端を踏み、持ち上がろうとする腹へ長槍を押し込む。
核から細い黒が下へ伸びた。割れ目に先が入るより早く、僕は短槍を横へ引く。
糸が切れて、切れた糸の端は割れ目へ落ち、逃げかけた核は灰の中へ落ちていった。
セラの鐘が鳴った。
肩の奥に閉じ込められていた青が浮いた。その一つへ黒い糸が絡んで、体の中へ引き戻そうとしている。
鐘の音が止まった。出発前に決めたとおり、セラが鳴らすのをやめたのだ。
僕は火の下へ刃を滑らせて糸を切った。
「切れた!」
もう一度、鐘が鳴った。離れた火が鐘の方へ上がっていく。
その下に、核までの道が開いた。
父さんの鉤棒に掛かっていた腕が、大きくもがいた。鉤を振りほどいた手の爪が、僕の顔へ跳ねてくる。
ガランさんの剣が横からぶつかった。頬のすぐ脇を風が抜け、落ちた爪が靴の横へ突き立つ。
「行け!」
開いた隙間へ肩を入れた。握りが汗で滑る。後ろの手を柄の端へ掛け、土を蹴って踏み出した。
核へ穂先が刺さった途端、硬い震えが両肘まで突き抜ける。止まりかけた槍へ腰を乗せた。
そのまま押し切った。
柄の奥で硬いものが砕けた。
支えていた重さが一度に消えて、僕は前へつんのめった。灰の体を引き絞っていた黒い糸がほどけていく。父さんの鉤棒から腕が落ちた。
セラが次の音を鳴らした。核が砕けて、中に縛られていた火が、一つずつ浮き上がってくる。
僕は短槍を抜いて、その向こうにセラが立つ場所を空けた。糸が切れた所から灰が流れ落ちて、積み上がっていた肩も低く崩れていく。
一度には送りきれない。セラが一つずつ鐘を鳴らしていくあいだ、兵は槍を離さず、僕たちもその周りに立ち続けた。
土の上に残った最後の青が上がる頃には、日が石列の隙間から差し込んでいた。
墓喰らいがいた場所には、折れた金属とただの灰だけが残った。
僕は短槍を下ろした。力を抜いた指が少し震える。
あれほど重かった足音がしない。風に散った灰も、どこかへ集まり直さなかった。
「終わりました」
鐘を下ろしたセラが僕を見た。僕もうなずこうとしたが、息と一緒に笑いが漏れてしまった。
「倒した」
「ああ。仕留めたな」
ガランさんが僕の頭へ手を置いた。誰かが槍の石突きで地面を鳴らす。それを聞いた後ろの兵も声を上げ、ニルスさんが僕の肩をたたいた。
「カイ、よく通した」
僕は短槍の先から顔を上げた。土まみれの父さんが鉤棒を肩へ担ぎ、口の端を上げている。何日も町の外で僕たちを待ち続けた相手を、今は全員で見下ろしていた。
◇
後ろで崩した灰の獣もセラが送り終えて、僕たちは荷をまとめた。切り離された腕の中にも、もう火は残っていない。
ガランさんは散らばった板を一枚ずつひっくり返していた。
「俺の盾も、ようやく戻ったか」
拾い上げたのは、留め具の付いた小さな破片だった。切り口を指で払って、そのまま腰の袋へしまう。
残りの板には兵が布を掛けて、道の脇へ寄せていった。
倒れた石は西門へ上る道をふさいでいる。石より下の道は開いていた。父さんが斜面を回って下りられる場所を見つけ、僕たちはそこから道へ戻った。
ニルスさんに水を渡されて、短槍を膝へ寝かせた。柄を握ると、核を突き抜いた時の震えを思い出す。
「途中で、盾に戻っただろ」
「はい。青火が灰の獣の核へ届いたら、その次に門番の火を選べました」
僕が答えるとニルスさんは倒れた石を見た。
「あの一回で稼いだ時間がなかったら、板をはがしきれなかったな」
昨日は近づいてくるのを感じただけの門番の火を、今日は使えた。その盾で稼いだ間に、みんなが肩の板をはがしてくれた。
足りた。そのことが、今は何よりうれしかった。
町の東門では、朝の作業員が待っていた。僕たちの列を見つけて壁の上へ何か叫ぶ。門が開ききる前に、ザハルさんが出てきた。
「どうだ」
「核を壊しました。縛られていた火も、全部送りました」
セラが僕の横でうなずく。ザハルさんは十二人の顔を見渡し、ガランさんの肩を一度たたいた。
「よくやった」
ガランさんが道の状態を報告すると、朝の作業員が縄の端を持ち上げた。倒れた石も、まだ直っていない橋も、明日から手を付けられる。
僕は《灯名帳》の杭のページを開き、同じ図を紙へ写してセラへ渡した。
「これ、院に聞く時に使って」
「明日、紙へ添えます。場所も一緒に」
紙を受け取るセラの横を、縄を持った人が通っていく。杭を打ったのが誰かは分からないままだ。
それでも今夜は、足音を待たなくていい。
門の内側で父さんが振り返った。
「帰ったら、ノアに話してやるか」
「うん。今度は最後まで話せるよ」
そう答えて短槍を持ち直すと、父さんが笑った。
◇
その夜の《灯名帳》には、書くことがいくらでもあった。
核を砕いた順、板の開け方、青火から、もう一度盾へ戻れた所。ニルスさんに言われたことも、そのまま写した。
最後に、いちばん書きたかった行を足した。
――墓喰らいを倒した。砕いた核は一つ。




