第六十四話 返した先
朝の割り当てが読み上げられる前に、壁の上から人が駆け下りてきた。
「墓喰らいです。石列の南をぐるりと回って、合流点へ向かっているようです」
「腕は」
「三本のままです」
ザハルさんが図を広げた。町の東門を出た道は、合流点で東の橋へ回る道と、西門から下る道に分かれる。
「ここを渡すわけにはいかん」
父さんの指が分かれ目で止まった。村から来る荷も、町から運ぶ塩や鉄も、橋が直ればここを通る。墓喰らいがここに居座れば、橋へ人を出すことすらできなくなる。
「先に押さえる。今日は倒しに行くぞ」
ザハルさんの声で、部屋にいた全員が顔を上げた。ガランさんは図には目もくれず、黙って剣帯を締め直していた。
「狙うのは核だ」
それだけ言って、戸口の方へ体を向けた。
父さんは図の端を持ったまま、僕の顔を見ていた。村へ帰る時にも通る道だ。その先には母さんとノアがいる。父さんが何か言うより先に、僕の方から肩の留め具へ手を掛けた。
「僕が先に立つよ。横から来る腕をお願い」
「分かった。頼んだ」
父さんの手が図から離れた。前なら、こういう時は僕を後ろへ下げていた。今は、隣に立たせてくれる。少しは、大人の仲間に入れてもらえたのだろうか。
胸の門番の火を確かめて、僕はうなずいた。
墓喰らいの腕を一本落として戻った日から、町の人は、いつ壁の上から声が掛かるかと、気の休まらないまま暮らしている。見張りが何か言うたびに、洗い物を干す手が止まり、みんなが上を見る。角笛でなければまた干し始め、しばらくするとまた見上げる。
あれが生きているかぎり、明日も同じだ。
崩すだけでは足りない。灰は寄り直して立ち上がる。核を砕くところまでやらないと、終わらない。
ガランさんの盾だった板を、あれが肩に着けて歩くのも、今日で終わりにしたい。
出るのは十二人。四人が長槍で前を支え、三人が後ろと石列の外を見る。合図を短く決めて、荷を運ぶ人は連れずに門へ向かった。
セラは鐘を包む布を確かめていた。僕が隣へ並ぶと、顔を上げずに言う。
「一つだけ、決めておかせてください。墓喰らいの中の火は、糸でつながっています。西門の時のように、送ろうとした火が糸に引き戻されたら、私はそこで鳴らすのをやめます」
「鳴らし続けたら、だめなの?」
「糸がつながっているうちは、いくら鳴らしても次へ進みません。鳴らした分の魔力が無駄になって、後の火を送る分が足りなくなります」
「分かった。鐘が止まったら、僕が糸を探して切る。切れたら声を出すよ」
「はい」
布を結ぶセラの指は、いつもより少し急いでいた。緊張しているのは、僕だけではないらしい。
門の脇には、橋へ運ぶはずの縄と板が積んであった。縄を巻き直していた作業員が顔を上げて、僕たちの後ろに荷車がないのを見て手を止めた。
「あれを追うのか」
「はい。そして、倒してきます」
口にすると胸が強く鳴った。今の僕には、相手を押し返す盾も、灰の中へ通せる刃もある。それでも、声にすると足の裏が浮くような感じがした。
「なら、こっちは橋の修繕の支度を整えておく」
男はそう言って立ち上がり、門の外を見た。僕たちが帰ってくれば、明日から橋の補修を始められる。
◇
合流点まで下りると、見張りの兵が道の脇で待っていた。
「西門の方へ上がりました。ほんの少し前です」
「上がったきりか」
「はい。跡は上りの一本だけで、下りてきた跡はありません」
道の土に、墓喰らいの跡が残っていた。土へ付いた三本の手の跡が、同じ間を空けて並んでいる。どれも、上りの方へだけ続いていた。
僕たちはその跡をたどって、西門へ上る枝道へ向かった。左手には古い石列が並び、右手からは山の斜面が迫って、先へ行くほど道が狭くなる。石列の根元には、古戦場のほかの場所と同じように、小さな青い火がいくつも浮いていた。ガランさんは前だけでなく、石と石の間へも目を配っていた。
「左に、杭があります」
セラが声を掛けて列が止まった。後ろの兵が斜面を見ているあいだに、僕たちは道の縁から三本の杭をのぞいた。
真新しい木が三角に打たれ、頭には浅い印が彫ってある。
その三角の内側だけ、青い火が一つも浮いていなかった。石列の根元には小さいのがいくつも見えるのに、杭と杭を結んだ線の内側だけが空いている。
「院で測る時の立て方です」
「何を測るの?」
「残火です。三本で囲んだ内側に火を留めて、どれだけ強いか、どちらへ動くかを測ります。強い火や動く火の多い所から、灯葬士を回して送るんです」
「でも、内側には一つも無いよ」
セラの手が、鐘の包みの上で止まった。
「……測るなら、火のある所に立てるはずです。誰が立てたのかは、この印だけでは分かりません」
僕は火のない土をもう一度見た。掘った跡はなく、土は平らで、踏み固めた足跡だけが残っている。持ち去られたのか、初めから無かったのかは、見ただけでは決められない。
「触らずに行こう。先に墓喰らいを止める」
《灯名帳》の空いたページへ、印と場所だけ写して閉じた。セラが鐘へ手を戻す。石列の向こうを見ていた兵が、短く二本の指を立てた。
「灰の獣が二体。石列の外から、こっちへ来ます」
「後ろの三人、頼む。散らすな」
ニルスさんの声で列が動いた。背中の側で、穂先のそろう音がした。僕は前を見たまま、足を緩めなかった。
道の上り口へ出た時、石の間から金属の肩が現れた。
墓喰らいだ。
腕は三本のままだった。切り落とした付け根を丸く灰が覆っている。
その肩に、ガランさんの大盾だった板が重なっていた。
口の中が急に乾いた。地下道でガランさんが僕の前に立っていた時、あの板の縁を何度も見ている。曲がった鉄の反り方まで覚えている。
隣を見ると、ガランさんは剣を構えたまま、相手の顔ではなく肩を見ていた。
ガランさんが南の集落を出た日から、ずっと背負ってきた盾だ。
「ガランさん」
「ああ」
それだけだった。声は低くもならず、剣先も揺れていない。こちらを見ないままの横顔を見て、盾のことはもう聞かずにおこうと思った。
「左だ。半歩」
言われたとおりに動いてから、理由を探した。
ずれた先では、墓喰らいの背後に肩より高い石が一本重なって見える。返した重さを乗せれば、あの体は後ろへ飛んでそこへ当たる。灰の獣なら跳ね起きるところを、あの重さでは受け身も取れない。
「まずは盾で受けて、あいつの態勢を崩します」
「取るのは俺とヨルンだ。ニルス、横」
それで決まった。
僕は車輪の跡を避けて足を置いた。
墓喰らいの頭がこちらへ傾いた。
短槍を後ろへ預けようとした僕の手を、上から追っている。次の瞬間、三本の腕が一度に持ち上がった。上と両脇から、同時に落ちてくる。
「ここは通さない。《退かぬ盾》」
青い面が広がった途端、三本の爪がそこへたたきつけられた。
耳元で空気が裂ける音がした。
目の前で止まった爪は僕の指より長くて、面を引っかくたびに青い光が顔へ散る。呼吸をするのも忘れ、僕は数え始めた。
「一つ、二つ」
声が自分の耳に届かない。打たれる音が全部かき消していく。
肩へは重さが来ない。来ないぶんが面の奥へ沈んで、青が濃くなっていく。
三つ目で、腕の一本が盾の縁を越えた。
僕のすぐ左で、長槍を構えていた兵が引っぱられた。
穂先ごと腕をつかまれて、体が前へ持っていかれる。ニルスさんがその肩へ手を掛けて、後ろへ倒れながら引き戻した。
「離せ、槍は捨てろ!」
柄が土の上を跳ねていった。兵の左の前腕に、爪の通った深い傷が走っている。裂けた袖の下から血が肘まで流れて、指の先から土へ落ちた。
それでも、その人は自分の足で下がっていった。
僕は数えるのをやめていない。四つ、五つ。やめれば、あの面が消える。
五つを数えたところで、打たれる音が急に止まった。
自分の数える声だけが戻ってくる。
三本の腕の先は地面へ低く置かれて、こちらへ飛び出す形のまま動かない。
待っている。
六つ目を数えながら、返す時のことを考えた。
溜めた重さは、土ごと前へ走る。正面に誰かが立っていたら、まとめて飛ばすことになる。
「正面へ返します! 前に出ないでください!」
ニルスさんが手近な兵の肩をつかんで石の陰へ押し込む。父さんとガランさんは外側へ回った。走る足音が左右へ割れて、正面が空くまでのあいだ、七つ目の線がゆっくり伸びていく。
正面には、もう誰もいない。十まで待たなくていい。
「返します!」
両手を押し出した。六つぶんの重さが地面の土を巻き上げて前へ走る。
墓喰らいの腕が左右へ跳ねた。肩の板が石へ激突して、砕けた粒が頬へ飛んでくる。僕は顔を伏せたまま踏み込んだ。倒れる灰の下で地面に亀裂が走り、石列の一本がゆっくり傾いていく。
「腕を取った」
父さんの鉤棒が手首へ掛かった。ガランさんは反対側の腕の付け根へ剣を差し込み、起き上がろうとする体を、刃を引いて横へ崩した。
灰が裂けて、肩の板が一枚浮いた。
ニルスさんから短槍を受け取る。役目を終えた門番の火が胸の奥で退き、その横から槍兵の火が近づいてきた。
「中まで届かせる。《青火纏い》」
浮いた板の下へ穂先を入れて、後ろ足で土を蹴った。
表の金属を抜いた刃が、その奥で甲高く鳴った。
槍が脇へ滑って、柄を握る手ごと胸の横まで持っていかれる。足を開いて踏ん張ると、板の切れ目から灰が顔へ噴き出した。目だけは閉じず、息を止めてこらえた。
板は平らに重なっていなかった。割れた縁を互いにずらしてあって、深い所へ押すほど穂先が斜めに流される。火は通っても、この角度では核を外す。
「父さん、もう少し開いて」
鉤棒が引かれて隙間が広がった。今度は板の裏まで青が届いて、その先に細い黒い糸が見えた。
糸の束が動いた。
視界の端を黒いものが横切る。襟を後ろへ引かれて首に布が食い込み、足が土から離れた。
直後に、三本目の腕が落ちてきた。
土の上へ下ろされて見ると、さっき僕が盾を出していた場所が爪の形にえぐれていた。そこにはもう誰もいない。
「まだ、さっきの場所を打ってる」
言いながら、背中が冷たくなった。あれは、僕が盾を出していた場所を覚えている。次に僕が立つ所も、同じように覚えられる。
「なら次は、空振りした後を取れ」
ガランさんは襟を放し、土へ刺さった腕を踏んで前へ入った。僕も短槍を胸元へ引き戻す。むせた喉から灰を吐いて、ガランさんの足が押さえている腕の付け根を狙った。
「後ろ、二体来ます!」
叫んだのは、後ろを受け持っていた兵だった。
石列の外から来た灰の獣二体が、こちらの列の裏へ回り込んでいる。
鐘が鳴った。先に出た一体の灰が浮いて、三人の兵が槍で崩す。
もう一体はその脇を抜けて、石の間からこちらへ首を出した。セラが体の向きを変えて、二度目を鳴らす。
「カイ、そちらへ行きました!」
セラの声で振り向くより先に、ニルスさんが横から出た。
「任せろ!」
長槍が、飛び出した首を止める。
獣の口が開いて穂先をかみ、横へ振る。引かれた方へ僕も足を出して、まだ青の残る短槍を浮いた灰の下から斜めに突き上げた。
穂先の先で核が割れ、獣の体が土へ崩れた。
核へ届いた槍兵の火が、胸の奥で軽くなる。
そのすぐ横へ、さっき使った門番の火が寄っていた。昨日の練習では、手を伸ばす前に離れていった。今日は、届く所に止まったまま動かない。
「ガランさん。もう一度、盾へ戻れます」
「出す場所を選べ。次であの肩を割る」
その時、押さえられた体の下から、三本目の腕だけが長く伸びた。
僕たちの頭の上を越えて、さっき登ってきた道の脇の石列へ、指が掛かる。
根元のひびが広がっていくのを見て、息が詰まった。あの石が道を横切って落ちれば、十二人とも坂の上へ取り残される。
それでも、僕は伸びた腕の付け根から目を離さなかった。
あそこまで伸ばしきった今なら、肩の隙間がこちらを向いている。
父さんが鉤棒を手首から外して、石へ伸びた腕へ掛け直した。ガランさんは踏んでいた腕から足を外し、もう一度浮いた板の下へ剣を差す。
二人が肩の板をはがすまでの間を、今度は僕が稼ぐ。
短槍をニルスさんへ預けて、両手を開いた。
その形を見ただけで、墓喰らいは爪を引いた。
盾はまだ出していない。受ける物も無いのに、腕を地面へ低く置いて、こちらを見ている。
さっき返した六つぶんの重さを、あれが受けたのは一度だけだ。昨日、門の前で初めて使った時の相手は灰の獣で、墓喰らいはそこにいなかった。
返せるのは、受けた重さだけだ。打ってこなければ、盾には何もたまらない。盾を出している間、僕の足はその場から動かせない。盾が消えたその瞬間に、僕の立っている所へ三本の腕がそろって落ちてくる。
それに、打たれないまま十で盾が砕ければ、役目を終えずに消えたことになる。そうなれば、次の火へも渡せない。
たった一度受けただけで、覚えられた。
まねられた盾を、まねられない盾にしたかった。そのために記録庫の板を一日かけて読み、門番の人が守った子どもたちのその後を探した。そうしてようやく手に入れた返し方だった。
まねはされなかった。それでも、一瞬で使えなくされた。
十を数えるのは僕だ。それなのに、あれは十が終わった後のことを、もう考えている。
盾を出せば、十の終わりを待たれる。出さなければ、板をはがす二人の前に、何も立たない。
その時、墓喰らいの肩で金属がきしんだ。ガランさんの剣が、板を一枚持ち上げている。
僕を見ていた墓喰らいの首が、ゆっくりと二人の方へ回った。




