第六十三話 入れられた火
門を閉める音を聞きながら、僕はもう一度肩を回した。灰の獣を跳ね返した両手には、押し出した時の感触が残っている。回し終えても、どこも痛まない。
「さっきの続きを聞くぞ」
ガランさんは階段の脇へ腰を下ろした。ここなら見張りの声が届くし、門へもすぐ戻れる。ニルスさんが兵を持ち場へ返している間に、セラも鐘を包んで隣へ来た。
「次に墓喰らいが来たら、何を変える」
盾を門いっぱいに広げる。十を数え終えた後にどこまで下がるか、誰を先に通して誰を最後にするか。前なら、そうやって守りの側のことばかりを先に並べていたと思う。
けれど今朝、十は増えていない。変わったのは、そのあいだに受けた重さの行き先だった。
「僕が受けて、返す。その時に灰がはがれたら、ガランさんたちが踏み込めます」
「戻された後も立っとる相手ならどうなる」
「その場合は、盾の次に青火を使いたいです。セラが下がれるところまで守れたら、火を渡せるかもしれない」
ガランさんは僕の手を見た。指先を少し曲げただけで、あの灰の背が浮いた時の手応えを思い出せた。
「そこまでは、もう考えとるんだな」
「はい。でも、盾がどうして変わったのかも話したいです。次に使えることを増やすなら、そこが大事だと思うので」
セラが包んだ鐘を膝へ置いた。僕は帳面を出しかけて手を止めた。今朝自分に起きたことなら、紙を見なくても順に話せる。
「最初に火へ触った時は、その人の最後を見ました。でも、見ただけで全部が使えるようになったわけじゃありません」
門番の火に触れた時には、坂に残された三人を自分が置き去りにしたように感じた。名前を聞かれてもすぐ答えられず、父さんに支えられてようやく戻った。
「忘れないって決めて、火が僕の中へ来た。その後で、盾が出せるようになったんです」
「残したものを、受け継いだんですね」
「うん。それが、最初だと思う」
セラへうなずいてから、僕は短槍の柄を指でなぞった。青火が初めて走った時と、思った通りに灯るようになった時。その間には、何日もあった。
「青火は、使えるようになってからも揺れていました。報せが届いたことと、使者の人が逃げたんじゃないことを確かめて、やっと落ち着いたんです」
「胸の火が定着した時ですね」
「そう。でも、あの時は青火がもつ長さも、四十を数えるあいだのままでした。普通の刃が通らない所へ届くのも、変わらなかった」
得た力を、頼みたい時に使えるようになる。そこまで進んだ青火と、今朝重さを返した盾を、僕は頭の中で並べた。
「盾は、できることが変わったんです。昨日まで受けるだけだったのが、今日は返せた。落ち着いて使えるようになった、そのさらに先があるんだと思います」
ガランさんが壁へ預けていた背を起こした。
「何をしたら変わった」
「門番の人が、確かめられなかった続きを調べました。あの子たちは、あの後で助かっていた。それを残した夜に、火が変わった気がしたんです」
「紙に記録すれば、全部そうなるのか」
「それは分かりません」
答えてから、ゲルドさんの名前を思い出した。三人とも助かったと書けば気持ちは軽くなるかもしれない。でも、それではあの人へ返す話が違ってしまう。
「何でもいいから答えを決めるんじゃなくて、本当にどうなったのかを確かめる。僕が知りたいのは、そこです」
セラは膝の上で布の端を折り直した。
「見えた最期を、どう受け取るかも変わりますね」
「うん。僕はずっと、守れなかったところだけを見てた。でも、あの人が守った先にも、生きて動いた人がいた」
昨日、二枚の控えを並べて読んだことを、今朝の盾が返してくれた気がした。敵の動きを見て槍を出すことも、薄くなった字をたどることも、僕の中では同じ力につながっている。
火を見つけた場所だけ教えて、後を任せればいいと思っていた時があった。けれど最後の場面を見た僕が聞かなければ、ヨナさんの消された行も、そのままだったかもしれない。
「形だけなら、墓喰らいにもまねられます。でも、あの人が何を思って盾を立てたのか、その先まで分かったら、同じ盾が変わりました。残火のことをもっと理解できれば、僕は強くなれると思います」
言ってから、ガランさんを見た。
「その人のことを調べるのも、僕がやるべきことなんです」
「お前が見たものは、俺には見えん。その先を探す手なら貸せる」
そう言ってから、ガランさんは胸当ての左胸のあたりを親指でなぞった。印の入っていた所だと、前に父さんが教えてくれたことがある。今は削られて、地の金具しか残っていない。
「昔、火を入れられた奴を戦場へ出した」
続きを待ったけれど、指はそこで止まったままだった。
「誰の火だったかは、聞かなかったな。お前は、それを調べると言う。俺にはできなかったことだ」
初めて会った日、残火と聞いたガランさんは目を細め、しばらく僕より遠くの何かと見比べていた。そのうえで、そんな話は聞いたことがないと言った。
僕が何を思い出したのか、ガランさんには分かったらしい。胸当てから指を離さないまま、短く言った。
「あの日、知らんと言ったのは嘘だ。国の命令で火を入れられた奴なら知っていた。自分から火を受け入れた者は、お前が初めてだった」
ガランさんの親指が、削られた跡の端で止まった。
「入れられた奴らは、いい終わり方はしなかった。あの時のお前に、それを聞かせたくなかった」
どんな終わり方だったのかは、聞けなかった。セラも膝の布から手を動かさない。
門番の記録を確かめたのは僕だったが、読めない字は老人が教えてくれた。セラが一緒に読み直してくれたから、助かった人の話と自分の願いを分けられた。僕の役目が分かったことで、頼りたい相手も前よりはっきり見えた。
ガランさんは胸当てから指を離して立ち上がった。僕も短槍の柄を握って腰を上げる。どんな終わり方だったのかは、いつか自分から聞こう。今は、門の前で次に備える方が先だった。
◇
門脇の空いた場所へ、父さんが練習用の棒を運んできた。先には布が厚く巻いてある。ガランさんがセラの立つ位置と、その後ろの通り道を確かめた。
「今日は、盾から道へ火を渡せるかを見る。棒は軽く当てるだけでいい」
僕は短槍を壁へ預けた。セラには水桶を持って後ろを横切ってもらい、父さんの棒を僕が受ける。桶が柱の向こうへ運ばれたら、守る相手はいなくなる。広場で荷車を通した時と同じ形にしておけば、盾の何が変わったのかが比べやすい。
「セラが通るまで、ここを守る。《退かぬ盾》」
朝と同じ青い面が両手の前へ広がった。父さんの棒が軽く当たり、布の丸い跡の下へ青が寄る。背後で桶の水が揺れる音がした。振り返らずに、盾の正面を見たまま数える。
四つを過ぎたところで足音が柱の向こうへ抜けた。盾の縁が緩み始める。両手へ残った小さな押し返しを、誰もいない正面の地面へ返した。土が少し跳ねて、盾が消える。
胸の奥へ、斥候の火が寄ってきた。僕は父さんの棒の外へ目を向けた。
「父さんの横へ出る。《三歩の道》」
一つ目の足跡へ移ると、棒の先が僕を追った。二つ目でその外を抜け、三つ目を踏んで父さんの肩の横へ立つ。ガランさんが昨日教えた位置だった。
「そこなら、俺も反対から斬り込める」
反対側へ回っていたガランさんが、父さんの腕の外を指した。
足跡が消えると同時に、胸の奥で門番の火が動いた。
道へ渡した時、盾の火は奥へ下がったはずだった。それが、もう手の届きそうな所まで戻ってきている。水路の底で青火を呼び直した時は、沈んでいく火をこちらから引き上げる感じだった。今は、火の方から寄ってくる。呼んでみようとしたところで、気配はすっと引いた。
「どうした」
「盾の火が、戻ってきた気がしました。道が終わった時に」
父さんが棒を下ろした。セラも桶を置き、僕の方へ戻ってくる。
「もう一度、盾を出せましたか」
「そこまでは試せなかった。でも、前の火は呼び直さないと来ないと思ってたから」
盾から道へ、道からまた盾へ。僕は父さんとガランさんの立っていた場所を見比べた。
「次は戻れるか確かめたいです。守った後に回り込んで、また誰かを守れるかもしれない」
「今日は盾も道も使った。続きは明日だ」
ガランさんは父さんから棒を受け取った。今日もう一度道を出せば、左足が痛み出す。続きは明日でいい、と僕も思った。
足跡が消えた地面へしゃがみ、盾、道、盾、と指で三つ並べて描いた。明日は、この順で試す。
◇
短槍を取りに戻った時、壁の上からガランさんを呼ぶ声が下りた。
「古戦場の石列の向こうで、大きい影が動きました」
僕たちは階段の脇へ集まった。見張りは遠くを指したまま、もう一人へ場所を伝えている。
「腕が三本なのは見えたか」
「そこまでは。石の陰へ入るのは見えました」
ガランさんは見張りを増やすよう告げ、ニルスさんを呼びに兵を走らせた。僕も階段へ足を掛けた。すぐ後ろを上ってきたセラが、小声で聞いた。
「さっき地面に描いた並びを帳面へ写す時、重い袋のことは分けておきますか」
「うん。あれは一度だけだから。次に同じことがあったら、何が違ったか覚えておく」
ホルクさんの力だったのかどうかも、まだ分からない。一度きりのことを、盾と同じ理由で決めてしまいたくなかった。
セラと並んで上り、壁の縁から石列を探した。あの向こうに残っている火も、動いているものも、今は遠すぎて見えない。
「戻ってくるなら、今度は返せるところで受けたいです」
隣へ来たガランさんに言うと、肩へ一度手が置かれた。
「なら、どこに立つ」
僕は門へ続く坂と、その両脇を見た。後ろへ下がる人、横から入る槍、鐘を鳴らすセラ。その人たちが動ける場所へ、自分の盾を置く。
「坂のいちばん狭い所です。返した先が石の壁なら、飛ばした相手はそこで止まります」
言ってから、自分でも少し驚いた。受ける場所より先に、返した相手が飛んでいく先を考えていた。
「覚えとけ。それが、次の出し方だ」
肩から手が離れて、ガランさんは石列の方へ向き直った。
僕ももう一度目を凝らした。腕が三本の影は、どこにも見えない。
見えないだけだ。墓喰らいは僕の道も、僕の盾も、もう知っている。




