第六十一話 まねた三歩
石の扉が、内側から鳴った。
墓喰らいの背が、引き上げたばかりの扉の裏へぶつかっている。枠の縄がきしみ、両脇の支えの根元から土がこぼれた。開けてあるのは、人がかがんで通れるだけの高さだ。大盾の板を張りつけた肩はその隙間でつかえ、二度、三度と押し上げても、そこから先へは出てこない。
待っていた相手の前へ、僕たちは自分で扉を上げた。そう思うと、短槍を握る手が冷たくなる。
門の幅いっぱいに開いていた二本の腕が、床へ下りて体を支え直した。
「あれは出られん」
僕の前に立つガランさんは、振り返らずに言った。剣先は墓喰らいの顔ではなく、その脚の間の暗がりを向いている。
「だが、あれより低いものは通れる」
言い終わらないうちに、灰色の背が脚の間をくぐってきた。一つ、二つ。数えているあいだに四つになる。畑で見たのと同じ四本脚が、朝の光の中へ順に頭を出した。
先頭の一体が、杭に据えた長槍の穂先へ肩から当たる。杭がきしんで傾いたが、足は止まった。
胸にあるのは、昨夜選んだ斥候の火だ。今の僕の穂先では、灰を押し分けることしかできない。
「セラ、鐘を」
「はい」
一度目の音が石の壁に当たって返ってくる。先頭の背で灰が浮き、毛羽立った縁の下から黒いものが透けた。
「鐘のあとを突く。畑でカイの青火が通った位置だ」
ニルスさんは言いながら、長槍を浮いた灰の間へまっすぐ入れた。
止まらない。
畑で鐘のあとに通った穂先は、前脚の付け根までだった。今日は、その奥の核のすぐ脇まで届いている。割れはしない。それでも核の周りの灰が崩れ、前脚が体を支えられなくなった一体が、そのまま横へ倒れた。体にはまだ灰がまとわりついているが、崩れた脚では起き上がれない。
「おお、届いた」
声を上げた兵は、もう長槍を二体目の背へ回していた。二度目の鐘で浮いた所へ穂先が入り、二体目も同じ形で脚を崩した。
三体目は、槍の列へ来なかった。据えた杭の外を回り、枠の柱の脇で留めの縄を握っている老婆へ、まっすぐ向かっていく。老婆は縄を離せない。
「婆さん、動くな!」
ガランさんが、その間へ体を入れた。三度目の鐘が鳴り、音が消える前に剣が入る。浮いた灰の縁から核の脇まで、一度で抜けた。倒れた獣の爪が、老婆の足の手前で土をかく。
四体目は父さんの鉤棒が首へ掛かって横へ引き倒され、走ってきた兵の穂先が核の脇へ入った。
四つとも立てなくなるまでに、鐘は三度しか鳴っていない。それでも老婆の手は、縄を握ったまま白くなっていた。
兵が倒れた獣から穂先を引き抜く。その顔は、もう門の奥を向いていた。
息をつく間は無かった。倒れた獣の向こうで、扉の下の隙間から腕が二本、こちらへまっすぐ伸びてくる。
肩から先は出ない代わりに、腕だけが長く伸びる。石の床に付いた指が、僕の膝ほどの高さで左右へ開いた。
指は僕を越え、坂へ下がる作業員の方へ向いていく。あの腕を残したままでは、最後の人が逃げきれない。
「僕が腕を落とす。父さん、後ろの人を。セラも下がって」
「腕の外を回って、あの肩の脇まで。《三歩の道》」
声にすると同時に、三つの青い足跡が土の上へ出た。
一つ目は伸びた腕のすぐ外。二つ目はその腕と、もう一本のあいだ。三つ目は肩の板の脇で、扉の下の暗がりへ半分入っている。
指が戻るより先に、その脇を抜ける道だった。
一つ目を踏むと、追ってきた指がさっきまで僕がいた空をかいた。二つ目へ移る足の下で土が鳴り、腕がその跡をたたく。跳ねた小石が頬に当たった。三つ目へ体を入れる。
目の前に、腕の付け根があった。肩の板と灰のあいだで、そこだけ何もかぶっていない。
踏み切った足の下で、足跡の青が消えた。
「《青火纏い》」
穂先の縁から青が走り、石突きの方まで下りてきた。付け根の外側から差し込んで、体の重さごと押し切る。
抵抗が二度あって、二度目が消えた。
腕の一本が、石の床へ落ちた。
落ちた腕はしばらく指を動かしてから灰になって崩れる。
「一本」
後ろでニルスさんが数えた。切り口から槍を抜いた時、もう一本の腕が僕を追うのをやめた。長い指が扉の縁へ掛かる。
引いた腕と、床を押していた二本のうちの一本が扉の下へ入った。墓喰らいは腰を落として重さを受け、足を石の床へ踏み込んだ。
腰の落とし方も肩の角度も、僕がこの門で盾を出した時と同じだった。その姿勢のまま膝が伸び、石の扉が支えから浮き上がる。
「持ち上げよるぞ」
「落とせ!」
ガランさんの声で、老婆が留めの縄を引いた。木が抜け、枠の縄が一息にゆるんで、両脇の支えが倒れた。
石は落ちなかった。下から二本の腕が、扉をそのまま支えている。
僕は扉の下から飛び退いた。倒れた支えが石の床を転がり、空いた一本の腕がそれを横へ払いのける。
二本の腕が扉を支えている間に、残る一本が外の枠をつかんだ。柱が斜めに引き倒され、ゆるんだ縄ごと、枠が木の裂ける音を立てて崩れた。
「墓喰らいが出てきます」
言ったのは僕で、答えたのはガランさんだった。
「一つ目の角まで下がれ! そこで受ける!」
評定で決めてあった通りの声だった。体ごと出てきたら、門の前では受けない。坂の狭い所まで引き、あの腕を広げられない場所で迎え撃つ。
◇
坂の上で、老婆が楔の袋の口を握ったまま足を止めていた。中身は梃子と鉄の楔で、上がる時は二人がかりで運んだ物だ。
「寄こしてください」
背負ってから振り返ると、墓喰らいは二本の腕で扉を支えたまま外へ足を運んでいた。残る手を門の外の土へ付き、肩から順に体を抜いていく。
全部が出きった所で、支えていた腕が下りた。
落ちた石の音が、坂の下まで追いかけてきた。三日かけて開ける用意をした扉が、一息で地面へ戻っている。
「自分で扉を落としました。もう、墓喰らいは地下に閉じ込められません」
セラの声がすぐ後ろで上がった。
「カイ、離れるな」
父さんの声に足を速めた。袋を背負っているのに、ガランさんの半歩後ろから離れていない。
一つ目の角には、槍を持った兵が並んで待っていた。ガランさんがその前で足を止め、剣を抜いたまま坂の上へ向き直る。ニルスさんが左右へ槍を割り振り、父さんはセラと老婆を列の後ろへ入れた。
「坊主、その袋は重すぎる。寄こせ」
「持てます。それより、前を見ていてください」
兵は少し口を開けてから、穂先を坂の上へ向け直した。
僕は袋を下ろして、短槍を握り直した。穂先の青はもう消えている。腕は落としても、灰の中の核へは届いていない。届いていない火は役目が終わらず、渡すことも消すこともできないまま、四十で何も残さずに消えた。出せるのは、薄い二度目があと一度だけだ。役目が終わっていないから、盾へ渡すこともできない。
それでも並ぶ。来るなら、ここだ。
来なかった。
墓喰らいは、落とした扉の前から動かなかった。首だけがこちらを向き、並んだ穂先を端から端まで眺める。それから山裾道を外れ、斜面を下り始めた。下に広がるのは、古い石列の並ぶ荒れ地だ。古戦場は、西門の外のこのあたりまで続いている。
「おい、どこへ行く」
兵の一人の声が裏返った。隣の兵は穂先を上げたまま、口を開けている。父さんの鉤棒も、構えた高さで止まっていた。
「こちらへ、来ないんですか」
セラが、僕の思っていたことをそのまま口にした。地下道でも西門でも、あれは僕たちを追ってきた。背を向ける所など、一度も見たことがない。
ガランさんだけが、剣を下ろさずに斜面を見ていた。
「追うな」
「ガラン、今なら背を取れる」
「取れん。斜面の下は石列の荒れ地だ。足場が悪く、並ぶ場所も無い。さらにその先は古戦場につながっている。あの腕を広げられる所へ、こっちから入っていくことになる。白喰いも出ればどうにもならん」
ニルスさんは槍を下ろさなかったが、足も出さなかった。ガランさんは遠ざかる背から目を離さずに続けた。
「カイの火は、薄い二度目が一度きりだ。それであの板を抜いて、核まで届かせる手は無い。扉は落ちて、枠も縄も残っとらん。ここから先へは進めん。町へ戻る」
迎え撃つ形は、三つ目の角まで作ってあった。あれが来なかった時のことは、誰も決めていなかった。
白い土の上で、灰色の背が少しずつ小さくなる。見えなくなる前に、三本になった腕が土の上へ順に置かれた。
一つ、二つ、三つ。
僕がさっき踏んだ足跡と、置いた順も間の空け方も同じだった。
誰も槍を下ろせずにいる中で、ガランさんの目が僕の足元の袋へ落ちた。
「お前、それを一人で担いで、俺の後ろを走ってきたのか」
「はい」
「いつからそんな重いものを運べるようになった」
「分かりません。持ち上げた時、そこまで重いと感じませんでした」
言われて初めて、息は上がっているのに、肩には何も残っていないのに気づいた。ガランさんは袋をもう一度見ただけで、それ以上は聞かなかった。
町へ下りる道でも、その袋は僕が背負った。青い火はとうに消えていたのに、途中の囲いへ着くまで、肩は一度も重さを訴えなかった。
◇
その夜の評定の部屋には、呼ばれていない人まで入っていた。
補修方の頭、町の門を預かる術者たち、治癒方からエルナさん。机の周りに入りきらず、戸口の外にも人が立っている。
「地下道はまた閉じた。墓喰らいは、外へ出た」
ザハルさんが言い終えると、部屋の音が一度に消えた。
「上げ直す縄も枠も、あそこには残っとらん。閉じ込める場所が無くなったということだ」
この部屋で前に聞いた言葉を、僕はそのまま思い出していた。開けて仕留めそこなえば、次にあれが立つのは石扉の前じゃない。この中だ。
「町までは半日です」
ニルスさんが山裾道の線を端から端までなぞった。行きだけの半日で、しかも今度は扉が無い。
「町だけじゃない」
父さんが図の上へ手を伸ばし、西門の印から右へ、紙の端まで指を引いた。
「古戦場は、西門の外で終わりじゃない。石列の荒れ地から北を回って、ルカ村の北の柵までひと続きだ。俺たちは地下をくぐって来たが、あれなら地上を歩いて行ける」
図の右端に、村は描かれていない。その先に、母さんとノアがいる。
「石列は、壁の上から見える」
ザハルさんは図から目を上げずに答えた。
「あれが古戦場の奥へ入るようなら、見張りが先に見つける。その時は、橋へ知らせを出す」
父さんは指を紙から離さなかったが、それ以上は言わなかった。
「壁の線が効くかは、まだ分からん」
老婆が図の町の四角へ指を置いた。
「灰の獣には効く。白喰いにも効いたそうじゃ。腕が四本ある物で試した者は、まだおらん」
「試す前に来たら」
ガランさんが、戸口のそばから聞いた。
「その時は、線の内側で受けることになる」
ザハルさんの答えは短かった。
決まったのはその場で三つだけだった。明日から壁の外へ人を出さない。東の橋も、畑に残した二つも止める。見張りは夜通しで、北と東へ同じ数を置く。角笛は三度で、町の者を壁の中へ入れる合図にする。
「あれが背を向けるとは、誰も考えていませんでした」
ニルスさんが言い、戸口のそばのガランさんは黙ってうなずいた。
「開けたのは、僕たちです」
言った自分の声が、思っていたより小さかった。
「開けると決めたのは私だ」
ザハルさんは炭筆を置いてから、初めて僕の方を見た。
「開けずにおいても、あれは地下で待っとっただけだ。いつかは出てくる」
「他にも、核の周りを崩して立てなくした灰の獣が、四体そのままです」
セラが一歩前へ出て言った。
「送れんかったか」
「はい。時間が足りませんでした。日が変われば灰が寄り直して、また立ち上がってくると思います」
セラが答えると、ザハルさんは短く息を吐いた。門の前に四体、山裾道の下に一体。数えられるものが、今日で一つも減っていない。
「減ったものも、一つあります」
ニルスさんが図の横へ短い線を引き、炭筆の先をその上で止めた。
「腕です。落としたのはカイで、四本が三本になりました。次に会う時は、そのぶんこちらが有利です」
名前を出されて、部屋の何人かが僕を見た。喜んでいい話のはずなのに、目に浮かんだのは落ちた腕ではなく、石の扉を下から支えたあの肩の方だった。
「でも、あれは僕の盾と同じ形で扉を支えました」
言ってしまってから、自分の声が部屋に残った。戸口へ寄りかけていたガランさんの足が止まる。
「見た」
短い返事に、責める響きは無かった。それで、自分を慰めるつもりの言葉まで口から出た。
「まねられたのは盾です。僕がまだ使いこなせていない技だから、道や青火を取られるよりは……」
「逆だ。まねられて困るのは、使いこなせていない技の方だ」
ガランさんは戸口へは戻らず、壁へ背を預けた。
「あれがまねるのは、見た形までだ。使いこなせている技なら、こっちはその先の出し方を知っとる。同じ形で来られても、次で外せる。使いこなせていない技には、その先が無い。同じ形どうしで、ぶつかるだけになる」
僕の盾は、受けて、十を数えて、消える。その先を、僕はまだ一つも持っていなかった。
部屋を出る前に、エルナさんが僕の脈を取って両肩を回させた。
「体に変わったことはないですか」
「特に何もないです」
「そうですか。楔の袋の話は聞きました。あれを背負って、肩に腫れも痛みも無い方が、私には不思議です」
外へ出ると、壁の上にいつもの倍の灯りが並んでいた。
◇
評定が終わっても、坂で背負った袋の重さが気になっていた。補修方の物置へ寄ると、あの袋は入口の脇へ置いてある。片付けていた老婆に頼み、もう一度持たせてもらった。
「まだ何も出しとらん。落として足をつぶすでないぞ」
口の縄を握って膝を伸ばした。底が少し浮いたところで腕が震え、背中へ回す前に下ろしてしまった。坂では同じ持ち方で背負い、そのまま走れていたのに。
「さっきは、持てたんです」
「見とったとも。二人で運んだ物を、お前がさらっていったんじゃ」
老婆が袋を壁際へ寄せるのを手伝ってから、両手を開いた。疲れたせいかもしれない。それでも坂を下りた時には、背中へ食い込むはずの重さを感じなかった。肩を診たエルナさんも、不思議だと言っていた。
セラを探して治癒方の戸口でつかまえた。袋を持ち直せなかったと話すと、セラは僕の腕から肩へ目を移した。
「痛みは出ていませんか」
「うん。でも、同じ袋なのに上がらなかった。あの時だけ、誰かに手を貸してもらったみたいだった」
坂では青火が消えた後も袋を運べていた。槍の火だけで説明できないと話すうちに、臼を担ぎ上げた肩と、板を押さえていた太い指が浮かんだ。
「ホルクさんの力かな。あの人、石臼を一人で担いでたから」
セラは鐘の包みを持ったまま、少し考えた。
「触れた後、何か残った感じはありましたか」
「戻った時には腕が重かった。でも、袋を持てるとは思わなかった」
ホルクさんの火を送った時、僕は父さんと並んで下がっていた。体が変わった覚えはない。いつからできるようになったのかも、まだ分からなかった。
「斥候も門番も槍兵も、僕の中に火が残ってる。ホルクさんの火は、送ったよね」
「はい。あの場で送りました」
「火は行っても、何かが僕に残ったのかな」
口にすると、板を押し返す腕の重さが思い出せた。あの人の最後に触れたことだけは、僕自身が知っている。
「送る直前に触れたのは、あの方でしたね。ただ、それが理由かどうかまでは、私にも分かりません」
「標章の人にも触ったけど、まだ送ってない。白喰いの欠片を送った時は、触ってない」
「同じことが起きたら、その前に何をしていたか教えてください」
セラが僕の手へ視線を戻したので、握った指を開いて見せた。今は袋を背負えない、いつもの手だった。
部屋へ戻って《灯名帳》を開いた。坂で運べたことと、同じ中身の袋を後から持ち直せなかったことを先に書く。理由の方は、その下へ分けた。
――ホルクさんの火に触れ、その後で送った。あの人の力が残ったのかもしれない。
――坂では出た力が、町では出なかった。疲れたせいか、あの時に必要だったからか、まだ分からない。
書いた二行の下へ、もう一度同じことが起きたら確かめる、と添えた。坂で袋を運べたことだけは確かだった。その理由まで決めるには、まだ一度きりでは足りない。
次の行へ、標章の火はまだ送っていないと書き足した。




