第六十話 受け取る人
翌朝、セラと三番目の囲いへ向かった。持ち帰った遺品の袋は父さんに預け、僕は聞き取った名前の並ぶ名簿を抱えていた。
「今日は、伝える方ですね」
うなずいて名簿を抱え直した。昨日のことはもう報告してある。八つを送り、二つを残して、七人で帰った。その先に待っている人へ会いに来たのだった。
三番目の囲いで、ホルクさんの娘が僕たちを見つけて立ち上がった。
「小屋のそばの火を送りました。その前に触れて、見えたことがあります。聞いてもらえますか」
女の人は座り直すと、膝へ載せた布を両手で押さえた。
「聞きます」
名前までは分からなかったと先に伝えてから、小屋の石臼を一人で担いで戸の前へ据えたことと、戸を内側から押さえていた手のことを話した。外からぶつかるたびに押し返していたことも、板の下から遠ざかる足を見ていたことも。
「三度目に、膝が鳴りました。そこから先は立て直せていません。それでも、板から手は離れませんでした」
女の人の指が布をつかんだ。僕は言葉を足さずに待った。畑で受け取った腕の重さはもう無いのに、その手を見ていると自分の指まで強張った。
「あたしは、振り返らなかったんです」
顔は下を向いたままだった。
「父が戸を閉めたから、逃げたんです。途中で転んでも、後ろを見るなと言われた通りに。父が獣を食い止めてくれていたなんて、知らなかった」
女の人は膝の布を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「あたしが逃げる間、ずっと……」
言い終える前に声が途切れ、女の人は布を口元へ当てた。セラが隣へ座り、僕も腰を下ろした。囲いの外を桶が通る音がして、誰かが名前を呼んでいたけれど、ここへ急ぐように言う人はいなかった。
「あの臼は、若い頃に町から一人で担いできたって、みんなで集まって酔っぱらうたびに言ってました」
布を下ろした女の人は、僕の方を見ないまま続けた。
「町でいちばん力があるって、自分で言うんです。こっちは聞き飽きたって笑ってたのに。……本当に、そうだったんですね」
記憶の中で臼を担ぎ上げた肩を、もう一度思い出した。あれは、力の落ちた人の担ぎ方ではなかった。
しばらくして、女の人が僕の名簿を指した。
「父は、そこにいたんだと思います」
「はい」
女の人は名簿の紙をしばらく見てから、指を離した。
「それなら、父はもう探さなくて大丈夫です。見つかったと、書いておいてください」
ホルクさんの行へ、娘に話を伝えたと書き足した。探している人の数を十一から十へ直した時、女の人は紙をのぞき込んで一度うなずいた。
連れて帰れた時に減らすつもりだった数字が、ここで変わった。
五番目の囲いでは印のある木の器を受け取る人がいた。父が小屋へ置き忘れないよう彫ったものだと言い、底を親指でこすりながら礼を言ってくれた。布ともう一つの器は袋へ戻した。聞きたくないと言った人の所へは寄らず、残りを預かってもらうため、父さんと一緒にザハルさんの部屋へ向かった。
◇
机の上には僕が残火の場所を書き込んだ図より大きい西門の図が広げられ、補修方の老婆が鉄の楔を並べていた。名簿を置く場所を探す僕へ、ザハルさんが空いた椅子をあごで示した。
「西門を上げる準備に入る。明日からだ」
隣に立つ父さんの手が、布袋を持ったまま止まった。
「人は出せるのか」
「橋に出していた分を回す。楔を打ち直す鍛冶も押さえた。扉の前に立つのはガランたちだ」
ガランさんは借りた短剣を腰へ差していた。昨日無くなった一本の話はせず、図の山裾道へ指を置いた。
「運ぶ荷は人で分ける。荷車は入らん。山裾道の途中に囲いを作って、上げ終わるまでそこへ泊まり込む。人は交代で町へ戻す」
老婆は潰れた楔を外し、代わりの一本を机へ置いた。
「楔で一段ずつやれば二日かかるうえ、本数も足りん。上げかけの石を残して夜を迎えるのも御免じゃ」
老婆は西門の図の、扉の上に描かれた枠を指でたたいた。
「だから先に外の枠を組む。扉を引き上げる縄も、上げた後の支えもそろえてからじゃ。石を動かすのは最後じゃ。一度に引き上げて、楔は支えに噛ませるだけにする」
老婆は枠の柱の根元へ、炭筆で短い横線を一本足した。
「それと、今度の枠には留めの木を一本入れておく。引き上げた縄の端も、両脇の支えの根元も、その一本で受ける。抜けば縄も支えも外れて、石は落ちる。開けたまま逃げるはめにはならん」
「それでいい。何があっても、あれを町へは通さん。動かす日には全員そろえる」
ガランさんは図の扉へ指を当て、下から三分の一ほどの高さで止めた。
「上げるのは、人がかがんで通れる高さまでだ。あれは肩に板を重ねとる。その高さなら、体は外へ出られん。出てくるとしたら腕と、あれより低いものだ」
「扉の前には杭を打って、長槍を据えておきます。低い所から出てくるものは、そこで受けます」
ニルスさんが扉の前へ短い線を並べて引いた。槍を据えると聞いたセラが何か言いかけ、ニルスさんと目が合って口を閉じた。
ガランさんの視線が僕の肩へ来た。僕は立ち上がりかけた膝へ手を戻した。
「扉を動かす時は、僕も行きます。下が開いたら、そこから出てくるかもしれない」
「ああ。その時はお前も俺の横に立て。それまでは扉を閉めたまま準備する。今は肩を治せ」
腕を少し動かすと、昨日の重さがまだ肩に戻った。扉の向こうからあの腕が伸びてきた時に槍を持てるよう、今は治しておく。僕は図の山裾道へ目を移した。
「墓喰らいを仕留められなかったら、どこへ戻りますか。今度は扉を落とせないんですよね」
「体ごと出てきたら、門の前では受けん。山裾道の一つ目の角まで引いて、そこで迎え撃つ。坂の狭い所なら、あの腕は広げられん。角ごとに槍を立てておけば、三つ目までに止められる」
ガランさんの答えに合わせて、ニルスさんが退路へ印を付けた。図が白い所では線を止め、一昨日実際に歩いてきた道へ戻して引き直す。
「中で追わないことです。見えなくなった相手を探しに奥へ入れば、外から助けられません」
閉じた西門の向こうには、ガランさんの盾を肩に付けた墓喰らいがいる。あの黒い腕を思い出すと短槍を取りに戻りたくなった。けれど今回は、扉の外に戻る場所を作ってから会う。
ザハルさんは僕たちの話が終わると、畑側の図を横へよけた。
「残した二つも忘れてはいない。見張りは続ける。だが次の半日も同じ所へ出していたら、西はいつまでも開かん」
セラは鐘の包みへ手を添え、短くうなずいた。
「西門の仕事が済んだら、畑の二つを送りに行きます」
小屋へ戻る日だけを待つつもりだった僕も、名簿の間から白い紙を引き出して、西門の図を写し始めた。
◇
その日、鍛冶の人が短槍の緩んだ継ぎ目へ楔を打ち直した。父さんが柄を押さえ、僕は打つ音を隣で聞いていた。貸してもらった時から手になじんだ木の柄が、磨かれて戻ってきた。
「持つのは治癒方がいいと言ってからだ」
受け取ろうとした僕より先に父さんが持ち上げ、寝台の脇へ立てかけた。その晩は槍を握らず、昨日ガランさんが足を置いていた場所を床の上で確かめた。腕を使わずにできるのは、今はそこまでだった。
翌朝から大人たちが山へ上がり始めた。山裾道の途中に低い石の囲いを建て、交代で泊まり込んで枠を組んでいく。太い材木を運んだ翌日には縄が運ばれ、交代で町へ下りてきた父さんの上着には木くずが付いていた。外の枠が組み上がったと聞いた夜も、扉は地面に下りたままだった。
僕の肩の痛みが引いた頃、セラは鐘を持って西門まで上がり、囲いで一晩泊まって戻ってきた。鐘を鳴らせば、扉の向こうに火があることは返ってくる音で分かる。けれど石の扉越しでは、それがどのあたりにいるのかまでは聞き分けられなかったと、その日の夕方に言った。
「奥にいるのか、扉のすぐそばにいるのかも分からない?」
「はい。今は動く音も聞こえませんが、近くにいないとは言えません。開ける時は、私もそばにいます」
「見えた場所は言うよ。そこから決めよう」
三日目の夕方、扉を支える用意ができたという報せが来た。エルナさんに腕を上げ下げして見せ、両手で柄を押し返しても痛まないことを確かめてもらった。今度は父さんも槍を取り上げず、穂先の布を結び直して僕へ渡した。
ガランさんが戻った夜、父さんに相手を頼んで短槍の稽古をした。穂先には布を巻き、ガランさんが横から動きを見てくれる。同じ位置から突こうとするたび、父さんの鉤棒に柄を押さえられた。突く前に、僕はいつも同じ場所へ足を置いていた。父さんはその足を見て、先に鉤棒を出していたのだ。
次は父さんの目を見るのをやめ、ガランさんが横へ動くのに合わせて入った。鉤棒が追いきる前に短槍が通り、穂先へ巻いた布が父さんの上着に触れた。
「今のだ」
ガランさんの声に、僕は息を弾ませたまま振り返った。
「俺が相手の目を引く。お前はその隙に突け」
稽古の後で握り直しても、鍛冶に楔を打ち直してもらった穂先の継ぎ目は、もうぐらつかなかった。父さんが戸口からそれを見ていたので、僕はすぐに立ち上がらず穂先の布を確かめた。明日の昼前には、これを持って門を出る。扉を上げるのは、その次の朝だ。
翌日の支度は寝る前に終えた。名簿と遺品は部屋へ残し、持っていく紙には西門と、戻る道と、途中の囲いだけを描いた。
昼前に町を出て、夕方には山裾道の途中の囲いに着いた。ニルスさんが図に描いた小さな四角が、石を低く積んだ本物の囲いになっていた。寝る者と起きている者が半分ずつに分かれ、僕は父さんとセラと並んで石の内側へ横になった。夜明け前に起こされるまで、外の見張りの足音を聞いていた。
◇
暗いうちに囲いを出て山裾道を上ると、空が白む頃に西門の前へ着いた。扉の前には、太い材木の枠が組まれていた。その手前には杭が打たれ、据えた長槍の穂先が低く並んでいる。枠の上を回した縄が扉の両端へ下り、その先を引く人たちは門の左右で合図を待っている。石の扉はまだ地面に着いていた。
ニルスさんが道の曲がり角へ兵を送り、荷を運んできた人たちを先に坂へ下ろした。残った作業員の前へガランさんと父さんが立つ。僕も短槍を握って二人の間へ入り、セラはすぐ後ろで鐘の布を外した。
「こちらはいい。上げてくれ」
ガランさんが言うと、老婆が片手を上げた。
「引け。左右をそろえるんじゃ」
縄が張り、枠が低くきしんだ。石の下からこぼれた土が跳ね、足元に細い闇が開いていく。そこから流れ出した冷たい空気に、地下道で吸った灰の臭いが混じっていた。
胸には昨夜選んだ斥候の火がある。僕は開いていく隙間へ穂先を向け、奥の床から目を離さなかった。作業員が扉の脇から長い柄で支えを押し込むたび、ガランさんもそちらへ剣先を寄せる。
「止めい」
人が身をかがめて通れる高さで縄が止まった。老婆が両脇の支えを確かめ、縄を留め終えた人たちへ手を振る。枠の柱には留めの木が一本通してあり、縄の端と両脇の支えの根元が、どちらもそこへつないであった。
「下がってよい。支えには触るなよ。留めの縄は、わしが持つ」
父さんが最後の一人を坂へ送り出す間も、僕たちは扉の前を動かなかった。すぐ後ろでセラが身を寄せる。
「中で、何か動きました」
誰も返事をしなかった。据えた槍の後ろで兵たちの息が止まり、ガランさんの剣先が隙間の真ん中へ下りる。父さんの鉤棒が、僕の肩の前へ音もなく出てきた。坂の途中にいた作業員の足音まで、そこで途切れた。
短槍の柄を握る手に力が入る。差し込んだ朝の光は石の床の途中で途切れ、その先は何も見えない。
光の縁から暗がりの奥へ、引きずった跡が一本伸びていた。重い物を、ゆっくり運んだ跡だ。
奥で、金属を引きずる音がした。一度だけ鳴って止まる。次の音を待って数えたが、五つ数えても続かない。
詰めていた息が、勝手に出た。
その途端、闇から長い指が飛び出して、扉のすぐ内側をたたいた。石が鳴り、据えた槍の穂先が一斉に揺れる。
「来るぞ」
ガランさんが剣を構え直す。闇からせり出してきた肩に、ばらばらにされた大盾の板が張りついていた。四本の腕のうち二本が床を支え、動くたびに板がこすれて鳴る。地下道で、ずっと僕たちの前にあった盾だ。
前へ出かけた足が、一歩で止まった。腕が置かれているのは、前にこの門で《三歩の道》を出した時、三つ目の足跡があった場所だ。
「ガランさん。前に僕が踏んだ場所を、先にふさいでいます」
「ああ、覚えとるな。今度は、同じ所へ行くな」
墓喰らいが首を傾ける。残る二本の腕がこちらへ伸び、門の幅を測るように左右へ開いていく。指の先は、僕の立っている所まで届きそうだった。
ガランさんが僕の前へ出た。その背中が、扉の影へ入っていく。
あれは、僕たちが扉を開けるのを、ここで待っていたのだ。




