第五話 三度鳴る鐘
本日5話目です。
二度目の鐘が鳴った。
「それ以上鳴らすな!」
二度目の音と、先を走っていたロイさんの声が届いたのは、ほとんど同時だった。
僕も北の木戸をくぐるなり、広場へ走りながら道沿いの家々へ声を張った。
「白喰いが鐘を追ってる! 家に入って!」
道の先で、鐘楼の綱を握っていた村の人がこちらを振り返り、慌てて手を放す。だが、三度目を鳴らすために引いた綱は、すでに鐘の中の金属棒を大きく振っていた。
三度目の鐘が鳴った。
危険を知らせる合図は村中へ届き、同時に白喰いへも届いた。
北の道から、六本の脚が土を打つ音が近づいてくる。鐘を鳴らした村の人は、北から迫る白喰いを見ると、すぐに鐘楼を離れて広場の端へ走った。
「家に入れ! 戸を閉めろ!」
ロイさんが叫びながら広場を走る。井戸へ水をくみに来た人も、荷車を動かしていた人も、近くの家へ駆け込んでいく。
道の向こうにノアの姿が見えた。戸口から顔を出していたが、リサさんに腕を引かれ、すぐ家の中へ戻される。
戸が閉まる音を確かめ、道の先へ顔を戻した。広場の向こうに鐘楼が見える。
鐘楼は、二本の太い石柱へ木の梁を渡し、その下へ大きな鐘をつるした、壁のない造りだ。鐘そのものは動かず、中の金属棒につながる綱を引くと音が鳴る。綱の余った先は、石畳の上まで伸びていた。
北の木戸から鐘楼までには、井戸と荷車があるだけだ。白喰いに足音を拾われれば、身をかわす場所はほとんどない。
振り返ると、北の道から父さんとダリオさんが走ってきた。先に村長へ知らせに走った村の人が、木戸の脇で待っている。二人が村の側へ抜けると、その人はすぐ木戸を閉め、太い横木を内側の金具へ掛けた。
横木が掛かったことを二人が確かめた直後、白喰いが木戸へ激突した。厚い板が大きくしなり、横木の片端にひびが走る。
父さんはひびを一目見るなり、鐘楼へ向かって走り出した。ダリオさんも横へ並ぶ。
「木戸はすぐに破られる! 鐘を落とすぞ!」
父さんの声に振り返る。二人はすぐに追いつき、僕もその横へ並んで鐘楼へ走った。
「鐘を落とすって?」
父さんは走りながら、前方の梁を指した。
「鐘を留めている鉄杭を抜けば、鐘だけが真下へ落ちる」
「白喰いを鐘の下へおびき寄せて、父さんが杭を抜くの?」
「そうだ。そのために俺は右の石柱に向かう」
鉄杭は鐘の吊り金具と梁を横から貫き、右端に大きな輪がついている。地上から手は届かないが、右の石柱の内側からなら、父さんの長い鉤棒をかけて引き抜ける。鐘の真下へ立つ必要はない。それでも杭を抜く間は、白喰いのすぐ近くにいることになる。
背後で二度目の衝撃が響き、横木の折れる音がした。
「ダリオ! 左の石柱の陰へ回れ! 俺が右の石柱へ着いたら、左の石柱へ矢を当てろ。白喰いが音を追った隙に杭を抜く!」
ダリオさんは走りながら、短くうなずいた。
父さんは、その返事さえ待たずに前を向いている。昔から互いの腕を知る二人には、それで足りるのだと思った。
「ロイ、縄を集めろ! 鐘が落ちたら、外へ出た脚を縛る。合図までは家の陰から出るな!」
「分かった!」
広場へ踏み込んだ所で、背後から太い木の砕ける音が追ってきた。横木を失った木戸が内側へ倒れ、白喰いが六本の脚でその上を踏み越える。
「散れ!」
ダリオさんは左の石柱へ駆けながら、矢を一本抜いた。
矢柄の根元にある短い印を指でなぞると、矢じりまで淡い光が走る。矢全体を一時的に硬くする、狩りのための小さな硬化術だ。
硬くなった矢は石へ当たった衝撃を吸収せず、普通の矢より大きく澄んだ音を響かせる。ただし、白喰いの灰を射抜けるほどの力はない。
ロイさんは近くの家へ走り、戸の内側へ声をかけていく。父さんは鉤棒を握り直し、右の石柱へ向かい始めた。
石柱までの間には、井戸と荷車がある。白喰いは傷めた後ろ脚まで土へ打ちつけながら、壊れた木戸からすさまじい速さで迫っていた。六本の脚が地面を蹴るたび、父さんとの距離が見る間に縮んでいく。
(このままじゃ、父さんが石柱へ着く前に追いつかれる)
僕の胸の奥で、残火が強く脈打った。
名もなき斥候が最期まで抱えた焦りが、外から流れ込んでくる。自分が逃げるためではない。一人でも多く、安全な道へ導きたいという願いだった。村のみんなを守りたい僕の考えと、その願いが重なる。
(父さんを右の石柱まで導く)
胸の奥で残火が揺れ、広場へ三つの青い足跡が現れた。
一つ目は井戸の石囲いの右側。二つ目は荷車の車輪の脇。三つ目は、右の石柱の内側だ。
「父さん、僕が道を作る! 僕の後ろへ!」
「おいっ! カイ、待て!」
振り返れば、きっと止められる。返事をせずに、最初の足跡へ飛び込んだ。
「父さんが動けなくなったら、みんなを助けられない!」
「くっ、仕方がない! 頼む!」
一つ目を踏んで井戸の右を抜け、二つ目で荷車の陰へ入る。父さんも同じ場所を通り、すぐ後ろへ続いた。
青い足跡の外側では、白喰いの脚が土をえぐっている。ほんの一歩ずれれば、横から振られた脚が届く距離だった。
白喰いが鐘の余韻を追い、石柱の間を行き来する。ダリオさんは広場の左側へ回り込み、左の石柱へ狙いを定めていた。
僕たちが三つ目を踏み、右の石柱の内側へ入った瞬間、ダリオさんが矢を放った。硬化した矢じりが左の石柱をたたき、鋭い音が広場へ響く。
白喰いが音を追い、左へ頭を振った。ダリオさんはすぐに石柱の後ろへ飛び込む。
三つ目を踏み終えると、青い足跡は消えた。
一度目の三歩は終わった。今すぐ二度目を呼べば、左足に痛みが出る。それでも、父さんを逃がす道は残しておかなければならない。
「杭が抜けたら、僕についてきて!」
「お前ってやつは……分かった。逃げ道は任せる!」
父さんが鉄杭の輪へ鉤棒の先をかけ、体重を乗せる。
杭は抜けない。
背後で白喰いの脚が石をかいた。もう鐘の下まで戻ってきている。
父さんが鉤棒をひねり、もう一度引く。
鉄杭が、指一本分だけ動いた。
鉄と木がこすれる音に、白喰いの横一文字の口がこちらを向く。
鐘から垂れた綱の先が、僕の足元近くまで伸びていた。
とっさに綱をつかみ、力いっぱい引く。
四度目の鐘が鳴った。
白喰いの注意が、父さんからそれた。鐘の真下で頭を上げると、太い綱を伝う振動が、握った手まで震わせてくる。
白喰いは振動を追い、綱へかみついた。僕はすぐに手を放す。太い綱は一度で半分ほど裂け、白喰いは綱をくわえたまま左へ下がり始めた。
(急がないと、頭が鐘の真下から外れる)
父さんが石柱の根元へ片足をかけ、鉤棒を両手で引いた。
鉄杭が抜けた。
(二人で逃げきれる三歩を!)
胸の奥の火が強く揺れ、右の石柱の外側へ三つの足跡が現れた。同時に、左足へ冷たい痛みが走る。続けて呼び出した二度目の反動だ。
「足が痛い。でも、道は見えてる!」
「分かった!」
「父さん! こっちへ!」
二度目の三歩へ飛び込むと、父さんも鉤棒を放して後ろへ続いた。
吊り金具が梁から外れ、大きな鐘が口を下へ向けたまま落ちていく。
一つ目を踏み、父さんが後ろへ続く。二つ目を踏んだ瞬間、背後で鐘が落ち、地面まで揺れる音が響いた。
足を取られそうになりながら、最後の一歩を踏む。父さんも同じ場所を通り、二人で右の石柱の外側へ回り込んだ。
鐘は白喰いの頭と前脚を覆い、土へ深くめり込んでいた。外へ出た四本の脚が激しく暴れ、鐘を引きずろうとする。
鐘の内側から、金属を削る音が響いた。白喰いが口を開き、鐘へかみついている。
「今だ! 縄をかけろ!」
父さんの合図で、ロイさんと村の大人たちが家の陰から飛び出した。落ちた鐘につながる綱と集めた縄を、外へ出た四本の脚へ回して石柱へ結びつける。
白喰いが暴れるたび、縄がきしむ。一本目だけでは脚を押さえられない。二本目を反対の石柱へ回し、三本目を荷車の車軸へ結んだ。
ダリオさんが腰袋から小さな銅札を取り出し、三本の縄の結び目へ一枚ずつ挟んでいく。今朝、父さんの命綱に使ったものと同じ補強札だ。
ダリオさんが印へ魔力を通すたび、淡い光が結び目から縄の端まで走った。激しくきしんでいた縄が、固く張る。古戦場から離れた広場では、札の力が縄全体まで届いていた。
僕は石柱へ背を預け、左足を押さえた。痛い。けれど感覚はあり、自分の意思で動かせる。
縄を結び終えた父さんが、すぐ僕の所へ来た。
「足は?」
「痛いけど、しびれてない。二度使った」
「よし。もう休め。本当に無茶しやがって」
短くそう言うと、父さんはまた白喰いへ向き直った。
大人たちがさらに縄を重ねていく。ダリオさんも補強札を惜しまず使い、新しい結び目を次々と固めた。鐘の周りへ重い荷車を並べると、白喰いの動きは少しずつ小さくなった。
家の戸が開きかけるたび、父さんが「まだ出るな」と怒鳴る。捕まえただけで、倒したわけではない。鐘が少しでも持ち上がれば、横一文字の口が外へ出る。
二本の石柱の上には、空になった梁だけが残っていた。村の鐘は地面へ落ちている。
それでも、白喰いに食べられた人は一人もいない。鐘を鳴らした村の人も、井戸にいた人も、ダリオさんも無事だった。
父さんたちを導いた青い足跡は、もう消えている。胸の奥では、名もなき斥候の火が静かに揺れていた。
あの人が伝えられなかった安全な道を、今度は僕が伝えられた。
左足はまだ痛む。それでも、父さんと並んで戻った三歩の形は、胸の奥にはっきりと残っていた。
明日も5話投稿予定です!




