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名もなき英雄の残火 ~死者の技を継ぐたび、少年は強くなる~  作者: 冬月樹
第一部 青い火の古戦場

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第四十一話 濃くなった文字

 灰の獣との戦いが終わった東門で、ドルグさんたち六人はようやく二台の荷車から手を離した。


「ドルグさん」


 僕が呼ぶと、その人はしばらく僕を見てから、思い出した顔をした。


「東の村の子か」


「まだ戻っていないって、僕が名簿に書きました」


「そうか、記録してくれていたのか」


 ドルグさんは笑おうとして、以前と同じようにうまく笑えなかった。


「無事で、本当によかったです」


 話している間にも、治癒方が足を負傷した人へ付き、別の兵が六人へ水を回した。荷車の覆いを開くと、麦の袋が隙間なく積まれている。泥で濡れた袋は端へ分け、乾いた物から広間へ運ばれていった。


 町の人たちは歓声を上げなかった。倒れそうな六人を支え、袋を一つずつ数えた。それでも、止まっていた手が一斉に動き出した。


 エルナさんは右足を負傷した人を座らせ、靴を切って腫れを確かめた。残る五人には、少しずつ水を飲ませる。


「何があったんですか?」


「あの日、蔵にはすぐ着いた。だが積み終わる前に、畑の向こうから奴らが出てきた。十を超えてた。夜にしか出ず、それも町の近くの畑までしか来んはずの奴らが、日の高いうちに、あそこまで来たんだ」


「前は昼なら、あそこまで来なかったんですよね」


「そうだ。まれに目撃があっても、かなり遠くに一体を見るかどうかだった。だから夜までに戻れば安全だと思っていたんだ。それで、わしらは蔵に入った。扉に閂をかけて、内側へ麦の袋を積み上げた。水は、雨をためておく桶がある。麦は桶の水へ一晩浸ければ、ふやけて噛める。火は一度も焚かなかった。積み上げた麦に火が移りでもしたら、持って帰る物が無くなるからな。わははっ!」


 ドルグさんは、腹の底から笑い飛ばした。


 僕は、ドルグさんと会った時から今までに過ぎた日を数えた。……八日だ。


 そのあいだ閂の内側で獣の足音を聞き続けていたはずなのに、怖かったとは一言も言わない。聞いている僕たちの顔が曇らないよう、わざと軽く言っているのだと分かった。


(この人たちには、かなわないな)


 僕は荷車の車輪へ目を移した。こびりついた泥は、まだ乾ききっていない。今朝まで、この荷車は蔵の前にあったのだ。


「なぜ、今日出られたんですか」


「今日の昼過ぎに、外のやつらがまとめて西へ動いた。ぱたりといなくなった。理由は分からん。だが、次に同じ隙があるとは思えなかった。荷を置けば早く走れたが、それでは町へ戻る意味がない」


 西。町の方向だ。今日ここへ来た十四体のうち、十体は僕が核ごと倒した。


 あの人たちを閉じ込めていた獣が町へ来て、その獣を僕が倒した。順番がそうなっていただけで、僕が助けに行ったわけではない。


 それでも、届いた刃の先で六人の帰る隙ができた。


 ドルグさんは荷車の縁へ手を置いた。六人が持ち帰ったのは、自分たちの命だけではなかった。


「途中で、いくつか捨てようという話も出た。だが、捨てた分だけ町の誰かが腹をすかせる。だから全部持って帰ると決めて、六人で二台とも押してきた」


 ドルグさんは後ろの五人を振り返った。五人とも、疲れた顔のまま小さくうなずいた。


「名前を教えてもらえますか」


 《灯名帳》ではなく、名簿の紙を出した。


「五人ぶん、丸を付けたままです。家の人から聞いた名前で、まだ本人から聞いていません」


 ドルグさんが、もう一度五人の方へ顔を向けた。


「聞いてくれるそうだ」


 五人にも順に名乗ってもらい、紙の名前と一つずつ照らした。合っていた丸を消し、一人だけ読み方が違った行を書き直す。


「わはっ。違う名前で数えられてたのか」


「すみません、今、直りました」


 四つ目の欄は空になった。壁の外へ残してきた十一人は、そのままだった。


 空いた欄を見ても、三つ目の十一は消えない。一つの帰還で、別の行まで終わったことにはできなかった。


 六人が戻った時刻と、二台の荷車、持ち帰った麦袋の数も名簿の余白へ書いた。書き終えて見ると、六人の帰還を記した文字だけが、ほかの行より少し濃くなっていた。


          ◇


 その夜、《灯名帳》へ今日の戦いを書いた。


 ――灰の獣を十体、核ごと倒した。


 ――一人ではできなかった。セラが灰を浮かせ、兵が開き、僕が核へ届かせた。


 ――四十で消える。二度目は弱く、三度目は出なかった。


 ――柵の内側から使った。敵の動きと退路を兵が支えた。柵のない場所で同じ結果になるとは限らない。


 あの人は自分の武器で最後まで戦えず、その場にある物を届く物へ変えていた。


 今日、僕が握ったのは町の槍で、柄はガランさんが切った。立つ場所もガランさんが教えた。灰を浮かせたのはセラで、押し広げたのは隣の兵だ。僕が持っていたのは、火だけだった。


 ――今持っている武器へ、青い火をまとわせる。


 その形を見て、名前の欄へ《青火纏い(あおびまとい)》と書いた。


 名づけても、借りた物を返したことにはならない。名前は、できたことを次に取り違えないための印だ。


 ――《青火纏い》は、武器の強さを上げる火ではない。木も石も切れない。灰を抜け、残火の核へ刃を届かせる。


 ――手が覚えた握りと、ガランさんに習った足は別のもの。どちらが欠けても、核まで届かない。


 倒した十体と書いた横へ、最後まで残った四体のことも足した。僕の火が消えた後、兵たちは核を壊さずに押し返している。倒せなかった数ではなく、門と荷車を守るために倒す必要がなかった数だ。


 セラの鐘は、浅く残った一体の灰を浮かせ、槍が通る隙間を作った。その後も複数体の動きを鈍らせ、兵が押し返す時間を作った。


 炭筆を置く前に、僕はもう一度その一行を見た。


 ――今持っている武器へ、青い火をまとわせる。


 その上には、力を借りた夜に書いた行がある。


 ――灰と、残火の核へ届く。


 二つを続けて読んで、指が止まった。


 灰と、残火。


 僕は紙を持って部屋を出た。


 父さんとガランさんは、まだ下の広間にいた。灯りは一つだけで、机の上にはガランさんが切った槍の柄の余りが置いてある。


「今日お前が突いたものと、同じ材料だな」


「同じです」


 僕は紙を机へ置いた。


「地下道で、セラの鐘は届きませんでした。火同士が黒い糸で結ばれていて、一つを浮かせてもほかの火に引き戻されるからです。送るというやり方は、あれに塞がれています」


「今日のはどうだ」


「セラが一度、灰を浮かせました。でも、核は送っていません。僕が届かせて、潰しました。糸は関係ありません」


 言いながら、自分の声が速くなっているのが分かった。


 西門を閉じた朝、僕は一番の難所が終わったと思っていた。あとは坂を下って半日歩けば町で、助けを頼めば済むはずだった。


 あの日の坂の上で四人とも動けなかったのは、疲れていたからではない。着いた先も助けを呼んでいて、その先にやることが、誰の頭の中にも無かったからだ。


 今は、ある。


「村へ帰る道は、あの門の中にしかない。その中にいるものへ届く手が、見つかりました」


 父さんはすぐには答えなかった。灯りの芯を少しだけ上げてから、ようやく口を開く。


「助けを求めに来て、こっちも助けを求めてる。道でそう言われた時、俺は返す言葉がなかった。村から頼まれた責任を果たせないと思ったからだ」


「うん」


「今は違う。村へ帰る道が見えた」


 父さんの言葉に、僕はうなずいた。坂の上で何も返せなかった時とは違う。


 ガランさんは机の上の柄の余りを転がしていた指を止め、僕を見た。


「カイ。お前がその火を使って進むなら、先に生きて戻るための話をする」


「はい」


「進むことに反対はせん。だが、条件を三つ言う」


「一つ。今日のは柵の内側からだ。相手は柵を壊すことしか考えていない獣だった。次は柵がなく、今日以上の敵だ。必ず退路を用意しろ」


「はい」


「二つ。四十で消える。二度目は弱い。三度目は出ない。地下であの数を相手にして、二度で足りると思うな。進む前に、正確に状況を把握しろ」


「分かりました」


「三つ」


 ガランさんは初めて僕の顔をまっすぐ見た。


「あれは、やられた手を覚える。北の柵で鐘にやられたから、糸で結ぶようになった。お前がこれを見せれば、次はこれを塞いでくる。使うなら、一度で終わらせる形を先に作れ」


 西門を出た朝に自分で書いたことと同じだった。まねられて困るものを、渡してしまうかもしれない。


「はい、約束します」


 答えてから、僕は紙をたたんだ。手が少し震えていた。けれど、坂の上で動けなかった時の震え方とは違っていた。


「明日から、西門へ行くんですか」


「いや、まだだ」


 父さんが先に答えた。


「火が一度届いた。それしか分かっていない。道を開ける人数も、門を支える道具も足りん」


「まず、お前の手が戻るかも確かめる」


 ガランさんが続けた。


「今日の一度だけで、次も同じだと決めるな」


          ◇


 部屋へ戻り、もう一度だけ短槍を握った。休めば少しは戻ると思っていた。


(届いてほしい。《青火纏い》!)


 指へ力を入れても、穂先は暗いままだった。胸のくぼみの縁にいた火も、細く縮んでいる。


 三度使おうとして出なかった時とは違う。手の重さは薄れていて、水を入れた器も持てるのに、火の方がこちらを向かない。


 短槍を置き、しばらく待ってからもう一度握った。呼吸を整え、指にも無理な力を入れない。それでも青は出なかった。


 昼の戦いで使い切ったのなら、一晩休めば戻るかもしれない。けれど、くぼみの縁で縮んだ火を見ると、それだけではない気がした。


 答えを決めつけず、今夜は出なかったとだけ《灯名帳》へ足した。


 疲れが残っているなら、体が戻るのを待てばいい。約束が残っているなら、待つだけでは何も変わらない。どちらなのかを確かめる物が、隣の布包みに入っていた。


 今日は開かなかった布を、明日の朝に開く。そう書いてから、短槍を壁へ立てかけた。


 灯りを消しても、胸の縁にある火だけは細く見えた。戦う時には十体へ届いたのに、今は僕が呼んでも動かない。


 明日触れる標章が答えを持つとも限らない。それでも、今夜と同じ場所へ立ったままではいられなかった。


 短槍は、青くならないまま壁に立っていた。


 隣には、まだ触れていない使者の標章がある。


 ――途中で切れた言葉の先を、僕が継ぐ。


 約束を書いた行の下へ、もう一行足した。


 ――刃は届いた。約束は、まだ届いていない。

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