第三十七話 外壁跡の槍
(作者より)
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
毎日一話ずつ公開していますが、執筆はその先へ進み、第一部の最後まで書き終えました。全体の整合性を見直すため、現在、第一話から順に文章の手直しを進めています。
その中で、第6話「昼に燃える青」の白喰いの最期を変更しました。以前は猟師たちがとどめを刺していましたが、鐘の下で誰の刃も届かないまま崩れた、という形になっています。
第一部の後半とのつながりに関わる大きな変更のため、ここでお知らせいたします。よろしければ、第6話の冒頭だけでも読み返していただけると嬉しいです。
ほかの話の手直しは、段落の区切りや言い回しなど、読みやすさのための調整が中心です。物語の流れは変わりませんので、読み返していただく必要はありません。
今後ともよろしくお願いいたします。
次の日の朝、僕は広場の隅で灯皿の入れ替えを試すことにして、父さんとセラに立ち会ってもらった。危ないことをする時は先に言う。それが村を出る前からの決まりだ。
「今、灯ってるのは門番の火。西門で替えてから、そのままになってる」
「替えられるかどうかを確かめたいのだな」
父さんが言う。
「うん。西門の時は、やることが決まってた。全員を外へ出して、扉を閉める。斥候の役目が終わったから渡せた」
「今日は、終わらせる役目がないのでは」
セラが指摘した。そのとおりだ。僕は何も守っていないし、何も運んでいない。
「だから、役目を作る」
僕は広場の端から端までを確認した。石畳が続き、途中で男の人が二人、荷車を押している。
「あの荷車が広場を出るまで、僕が後方を守る。荷車が抜けたら、その役目は終わり」
「誰も攻めてこないのに、守るのか」
「攻めてくる相手がいなくても、そこまで守り切るという役目にはなる」
言ってから、自分でも怪しいと思った。役目は自分で決めていいのか。それでも、確かめないままにはできない。
「やってみる。だめなら、だめだと分かる」
僕は両腕を前へ出した。
「荷車が抜けるまで、後ろを守る。《退かぬ盾》!」
青い盾は思ったより小さく、門いっぱいに広がったあの時とは違って、僕の背丈より少し高いくらいだ。十本の線は浮かんだが、光り方が弱い。
西門では、守る中身が四人の命だった。今は、誰も襲わない荷車が一台だ。役目の重さのぶんだけ、盾も小さくなるらしい。
線が一本ずつ光っていく。三本目で荷車が盾の後ろへ入り、六本目で車輪の音が広場の外へ抜けた。
僕は盾へ手のひらを向ける。
「ここまでだ。役目は終わり」
盾が消えた。線はまだ四本残っていたのに、待たずに落ちた。
消えるまで十を数えるものだと思っていた。地下道の時はそうだった。土が押してくる間はずっと消えず、十で砕けた。
十まで保つことが大事なのではなく、十のうちに役目を終えなければならないのかもしれない。思いついただけで、確かめた話ではない。頭の片隅へ置いておく。
胸の奥が一度、暗くなった。
(次は道の番だ。井戸まで、人の少ないところを通って行きたい)
斥候の火が寄ってきた。足元に三つ、青い足跡が現れる。荷車を回り込み、囲いの間を抜け、井戸の前で終わっていた。人の少ない場所を選んだ並び方だ。
僕は足跡を踏まないまま、火を戻すことにした。
「もう一度替える。今度は道から盾へ」
「立て続けに大丈夫か」
父さんが尋ねる。
「痛かったら言う」
僕は足跡へ目を向けた。
「この道は、使わないまま終わらせる」
そう言っても、足跡は消えなかった。胸の中で斥候の火が動かない。渡す相手がいないのではなく、渡す番が来ていないという感じだった。
「終わらない」
「使ってないからか」
「たぶん。今回は僕のために出したけど、僕が通っていない。つまり役目を終えていない」
僕は井戸まで歩いて、三つの足跡を順に踏んだ。三つ目を踏んだところで、足跡が消えた。こっちは三歩をちゃんと歩かないと消えない。さっきの盾の思いつきだけでは、足りないらしい。
もう一度、胸の中へ言った。
「道は、ここまで届いた。あとは、あなたの番だ。《退かぬ盾》!」
門番の火が寄ってきた。今度は迷いがない。両腕が重くなり、青い盾がまた同じ大きさで現れた。
「替わった」
言ってから、頭の中で三つが並んだ。
初めて盾を出した日、僕には守るものが無かった。出した瞬間に役目が終わっていて、線が一本光る前に消えている。
地下道の時は逆だ。けが人が曲がり角まで下がった後も、父さんが僕のすぐ後ろまで来ていた。守る相手が最後まで残っていたから、十が来るまで消せなかった。
今日は、荷車が広場を出た。守る相手が、守りたい場所まで行った。だから六本目で終われた。
十は盾がもつ長さでしかなくて、役目が終わったかどうかを決めるのは、線の数ではなく守った相手の方だ。三歩の道も同じで、誰かのために出した道は、その誰かが通るまで終わらない。
僕は盾を消してその場へ座り込んだ。左足も両肩も痛むが、西門の時よりずっと軽い。
「二度替えて、この程度か」
言ってから、自分の言い方に驚いた。二度も替えたのに、同じ火を二度使った時より楽なのだ。
「同じ火に二度頼むと、その人に無理をさせることになる。でも、渡すのは無理をさせてない」
「渡された側は」
セラが尋ねた。
「渡された側は、自分の番だから動く。だから痛みも、その火のぶんだけ来る」
左足の痛みは斥候のもので、両肩の痛みは門番のものだ。二つが重なることはあっても、どちらかが二倍になることはない。
僕は《灯名帳》を開いて、考えたことの欄へ書いた。
――役目を終えて渡す時、代償は重ならない。同じ火へ二度頼む時だけ重くなる。
――役目を果たしたと自分が思うだけでは足りない。決めたとおりに全うするまで、その役目は終わらない。
二つ目が大事だと思った。役目が終わったかどうかは、自分では決められない。
「名前をつけるのか」
父さんが尋ねた。
「つける。西門の時に、もう一度できたらつけると決めたから」
二度とも僕が自分で試した場面ではある。それでも、決めた条件は満たしている。ここで条件を動かすなら、名前を惜しんでいるだけだ。
僕は炭筆を持ち直した。
「胸の中に灯皿が一つあって、その上の火が入れ替わる。だから――」
そこまで言って、口が止まった。入れ替わる、では、僕が入れ替えているように聞こえる。
「替えるのは、あなたですか」
セラが尋ねた。
そうだ、僕は替えていない。前の火が役目を終えると、次の火の方から灯皿へ寄ってくる。
「違う。前の火が役目を終えて、次の火へ渡してる。渡してるのも、僕じゃない」
道を届けた者が、役目を終え、次の守る者へ役目を継ぐ。西門で分かったのはそれだった。僕はその間に立っていただけだ。
「《継火》にする」
僕は名前の下へ、一行だけ書き足した。
――役目を替えているのではない。役目を全うして、次の役目へ継いでいるのだ。
◇
昼過ぎ、ザハルさんに呼ばれた。
「壁の外へ出る隊を組む。昼のうちだけだ」
部屋には父さんとガランさんとセラもいて、机の上には僕が作った名簿が広げてあった。
「外へ残した十一人のうち、七人がいた場所は町の近くの畑の小屋だ。そこまでなら、壁から近い」
「灰の獣は昼に出ないのか」
父さんが尋ねる。
「昼はほとんど出ない。ただし、まったく出ないとは言えん。先月は昼に一度出た」
「兵は何人出す」
「兵は五人だ。それとは別に、頼みたい相手が一人いる」
名簿から目を上げると、ザハルさんがこちらを見ていた。
「僕を数に入れるんですか」
「入れる。というより、頼みたい」
ザハルさんは机の上で手を組んだ。
「壁の上から数えた火の場所が、死んだ者の場所と合っていた。小屋の周りに火があるかどうかで、中を見る前に分かることがある。兵の目では分からんことだ。力を貸してくれないか」
「見に行くだけですね」
父さんが確かめた。
「見に行くだけだ。獣が出たら、壁まで戻る。生きている者がいれば連れて帰る。動かせない者は、場所だけ書いて戻る」
「東の蔵までは」
僕が尋ねると、ザハルさんは首を振った。
「行けん。あそこは朝に出て、日暮れに戻る場所だ。今から出ては、戻りが夜になってしまう」
「四つ目の欄の六人は」
「数えたままにしておく。今の私に言えるのはそれだけだ」
言い方に逃げがなかったので、僕はうなずいた。数えたままにしておく、というのは、消さないという意味だ。
「カイは兵の後ろだ。それと、俺も行く」
ガランさんが口を挟んだ。
「その腕でか」
「左腕は使えん。だが右腕はある。それに、目も使える」
ガランさんは自分の左肩へ触れた。
「灰の獣を、俺はまだ見ていない。見ないまま作戦は立てられん」
ザハルさんは少し考えてから、短くうなずいた。
◇
東門から出ると、外の空気は町の中より冷たかった。畑は踏み荒らされ、作物の茎が根元から折れている。地面に残った跡は人のものではなく、四本脚のものだった。
兵が二列で進み、僕とガランさんは後ろから三番目に入る。セラが最後尾で鐘を持ち、父さんは僕の横を歩いた。
「火は」
ガランさんが小声で尋ねる。
「畑の縁に五つ。数も場所も、壁の上から見た時と同じ」
「動かないのか」
「残火は動かない。人が死んだ場所に残る」
小屋は畑の奥にあり、屋根が半分落ちて、扉は外れて土に埋まっていた。僕は小屋の周りを見る。
「小屋の中に、火はありません」
兵の一人が中へ入り、すぐに出てきた。
「誰もいない。荷も持ち出された跡がある」
「逃げたということか」
「そう見えます」
ザハルさんへ持ち帰る答えが一つ増えた。小屋にいたはずの七人は、少なくともここでは死んでいない。
帰り道で、僕は畑の縁から少し離れた場所へ目を止めた。崩れた石が道の脇へ長く並んでいる。畑の土とは色の違う、古い石だ。
「あれは何ですか」
僕が尋ねると、年上の兵が答えた。
「昔の外壁の跡だ。今の壁ができる前は、あそこが町の端だった」
石の列の途中に、青い火が二つ浮いていた。畑のものは薄くて小さいのに、こちらははっきりと形を保っている。古戦場で見た火に似ていた。
「あそこに、古い残火があります」
セラが足を止めて、鐘を耳へ寄せた。
「返りが違います。最近のものではありません」
「どれくらい前だ」
ガランさんが尋ねる。
「分かりません。ただ、畑の火とは別の年代です」
ザハルさんの命令は、小屋を見て戻ることだった。ここから先は、頼まれた仕事の外になる。
それでも、胸の奥が一度だけ揺れた。灯皿の火が動いたわけではない。もっと外側で、何かが引かれた感じだった。
僕は父さんを見た。
「その残火を確かめたい」
父さんは、道から石の列までの距離を目で測った。
「兵の許しがいる」
年上の兵は少し迷ってから、道の先と後ろを順に見て言った。
「四半刻だけだ。全員で行って、全員で戻る」
◇
石の列は、腰の高さまで崩れた壁だった。一つ目の火は、石の間へ斜めに差し込まれたものに宿っている。錆びて赤黒くなった金物の先が、指二本ぶんだけ土の上へ出ていた。
引き抜くと、それは槍の穂先だった。穂の下へ、黒く固まった柄が手のひらぶんだけ残っている。そこから先は無い。槍として構えられる長さではなかった。穂先の側面には、深い傷が二本入っていた。
「折れてるな」
ガランさんが覗き込む。
「戦って折れたのか、後から折られたのか」
「傷の向きが違う。この二本は、刃を受けた傷だ。折れ口はねじれてる」
ガランさんは折れ口を指した。
「ねじって折られてる。振り抜いた先で挟まれたか、踏まれたか」
二つ目の火は、そこからすぐ横の石の下にあった。土を払うと出てきたのは、手のひらより小さい円い金属の板だ。表に刻まれているのは、冠の下で燃える灯りの印ではなく、翼を折りたたんだ鳥のような形だった。
「これは」
僕が持ち上げると、セラが息を止めた。
「使者の標章です」
「知ってるの?」
「冠灯院の古い記録に、同じ形の図があります。戦の時代、部隊の間を走って命令を運ぶ者が下げていました」
僕は二つを並べて置いた。折れた槍の穂先と、使者の標章。腕を伸ばせば届くほどの近さに、二つの火が残っている。どちらも欠片ではなく、一人分としてまとまった火だった。
「触るのか」
父さんが尋ねた。
「今日は触らない」
僕は答えた。
「触ったら、その人の最期が見える。見たら、途中でやめられない。壁の外で見るのは危ない」
「持って帰れるか」
「残火は物についてます。持って帰れば、火も一緒に来ます」
「触らずに運べるのか」
「布越しなら大丈夫です。素手で触った時だけ、流れ込んできます」
セラが布を出して、二つを別々に包んだ。
「並べて置かないでください。近い火は混ざることがあります」
帰り道、僕は自分の胸のあたりを意識していた。二つの火は布の中で静かなのに、歩くたび、槍の方から何かが返ってくる気がする。
斥候の火に触れた時も、門番の火に触れた時も、触れる前から呼ばれている感じがあった。今度も同じだ。
東門をくぐると、壁の内側の音が一度に戻ってきた。子どもの声と、鍋の音と、誰かの咳。その中で、僕は布の包みを両手で持ったまま考えていた。
折れた槍と、使者の標章。二つがあれほど近くにあった意味を、僕はまだ何も知らない。




