第三十六話 数える役目
次の日の朝から、僕は囲いを回り始めた。紙は町からもらった。名簿はエルナさんへ渡し、町の人が写して使う。《灯名帳》へ書けば、僕の手元から離せなくなる。
村へ戻る道は、地下しかない。西門は僕たちが自分で落とした。開ける人手と道具がそろうまで、こちらからは帰れない。父さんはそれを町の人へ伝えた上で、僕がこの仕事を引き受けることを許した。
最初の囲いで、僕は数え方を一度間違えた。
「家族の人数を教えてください」
「五人だ」
そう書いてから次の囲いへ行こうとして、足を止めた。目の前には、子どもが三人と大人が一人しかいない。
「あの、今ここに何人いますか」
「四人だな」
「五人と聞きましたけど」
「上の娘が水を汲みに行ってる」
僕は書いた数を消して、二つの欄を作り直した。家族の人数と、今ここにいる人数。分けて書けば、戻ってこない人がすぐ分かる。三つ目の囲いからは、壁の外に残してきた人がいるかどうかの欄も足した。
「息子が畑の小屋に残った。荷を守るって」
女の人はそう言ってから口を閉じたので、僕もそれ以上は聞かず、名前だけを書き取って次へ進んだ。
十一番目の囲いで、僕はもう一つ欄を足すことになった。
「家族は四人。今は三人です」
「もう一人は」
「残してきたんじゃありません。出ていったんです」
その人は言い直した。
「昨日の朝、麦を取りに出ました。暗くなる前に戻ると言って、それきり戻りません」
僕は炭筆を止めた。
「名前を、聞いてもいいですか」
「ドルグ。うちの人です」
昨日、道でその名前を書いた。町の東に畑がある、と本人が言った。水の包みを父さんの手へ押しつけたのも、その人だ。
残してきた人ではない。自分から出ていって、まだ戻っていない人だ。同じ欄へ入れると、どちらなのか分からなくなる。
僕は紙の右端に、四つ目の欄を引いた。
――出ていって、まだ戻っていない人。
三つ目の欄の頭にも、小さく書き添えておいた。
――見ていない。聞いた話。
その日のうちに、同じ欄へ書き足すことが五回あった。どれも同じ一行のことだった。ドルグさんと合わせて六人。全員、同じ朝に、同じ荷車二台で出ている。
昼までに三十二の囲いを回ると、紙の上には四つの数が並んだ。家族の数の合計と、今いる人数の合計と、残してきた人の数と、戻っていない人の数。
三つ目の欄は十一。四つ目の欄は六だった。
十一。
見張り塔から連れ帰った人数と同じだ。あの時は全員そろって帰れたが、この十一は、まだ誰も迎えに行けていない。
六の方は、顔と名前が一人分だけ分かっている。それが、十一とは違うところだった。
◇
午後、僕は壁の上へ上がる許しをもらった。
階段は狭く、片側に手すりがなかった。左足をかばいながら登ると、上には兵が二人立っている。昨日、東門にいた若い方の兵だ。
「上がっていいと言われました。外の火を見に来ました」
「火?」
「僕には、残火が見えます」
兵は驚いた顔をしたが、少し迷ってから、壁の縁より内側へ立つように言った。
外を見下ろすと、畑と、急ごしらえの柵と、その向こうの荒れた土が広がっていた。青い火は、昨日より増えている。
僕は場所ごとに数えて紙へ書いた。畑の縁に五つ、小屋の跡に二つ、柵の根元に六つ。少し離れた道の脇に、一つ。合計で十四になる。
昨日は九つで、夜に十一まで増えた。増えた場所が、畑の縁から柵の根元へ寄ってきている。
「昨日から、外で誰か亡くなりましたか」
僕が尋ねると、兵は少し黙った。
「夜に、柵の修理へ出た三人が戻らなかった」
柵の根元は、昨日の三つから六つに増えていた。三人で三つ。合っている。
「柵のところは、その三人だと思います」
「そうか」
「でも、道の脇にも一つあります。柵から少し離れたところです」
「道?」
兵は僕の顔を見て、それから壁の外へ目を移した。
「あそこで誰か死んだとは、聞いていない」
僕は数と場所を紙へ書き留め、日付も添えた。柵の三つは合っていた。道の脇の一つは、誰も知らない。
合っていることも、合っていないことも、うれしくはならない。合っていれば、火の数だけ人が死んだということでしかない。火の方が多ければ、町の知らないところで誰かが死んだということだ。少なければ、見えない場所で死んでしまったか、まだ生きているか、そのどちらかということになる。
◇
壁の上から見ていると、灰の獣が出た。
夕方に近い時間で、日はまだ落ちていない。畑の向こうの草むらが動き、白っぽいものが低く走った。犬より少し大きく、脚は四本で、白喰いのような六本脚ではない。一体ではなく、数えると七体いた。
「来たぞ」
兵が壁の上の鐘を二度鳴らした。下で人が動く音がする。
灰の獣は柵の手前で止まり、地面の匂いを嗅ぐような動きをした。それから一体が柵へ体をぶつけ、木がしなると、次の一体が同じ場所へぶつかる。続けて同じ場所を狙っていた。
「壁まで来ますか?」
「来ない。壁の線が効いてる。だが柵は術式が届かん」
柵の内側で、兵が五人並んだ。長い槍を柵の隙間から突き出し、灰の獣が体をぶつける瞬間に合わせて出す。
穂先が入ると、灰の獣の体は崩れた。白い灰が散り、形が消える。けれど、散った灰は地面を這って集まり、少し小さくなった同じ形へ戻った。
「灰が戻る」
「そうだ、戻る。だから数を減らせん。押し返して、朝を待つだけだ」
僕は柵の根元を見た。灰が崩れた場所に、小さな青い火が一つ浮いている。灰が集まって形を作り直す間も、その火だけは動かずに残っていた。
あれが核だ。北の柵でセラが墓喰らいの残火を送った時と同じで、灰は入れ物でしかない。中の火を何とかしなければ終わらない。
「あの、灰の中に青い火があります。槍で灰を崩しても、火が残っているから戻ります」
兵が振り返った。
「見えるのか」
「見えます。ただ見えるだけで、僕は倒せません」
僕は自分で言ってから、その言葉の意味を確かめた。見えるだけでは、何も変わらない。
◇
夜、割り当てられた部屋で、僕は名簿の紙を写し直した。書き取った順ではなく囲いの並び順に直せば、明日から回る人が同じ道順で確かめられる。
写しながら、自分の手つきに気づいた。
紙を左手で押さえ、右手だけを動かしている。左手は紙の端ではなく、書いている行のすぐ下だ。行を見失わないための置き方で、誰に教わったわけでもない。藤代明人が資料館でやっていたやり方だった。
それから、別のことにも気づいた。
昼に壁の上へ立った時、僕は縁より内側へ立てと言われる前から、自分で一歩下がっていた。下は畑で、風は下から吹いている。向きが変われば体が持っていかれるから内側へ寄った。あれは斥候の癖だ。
けれど今日、《三歩の道》は一度も使っていない。胸の中の灯皿には昨日の門番の火がまだ載っていて、斥候の火は隣で眠っているはずなのに、僕は斥候のように立っていた。
技は《一灯》に縛られる。けれど、見方や構え方までは縛られていないのかもしれない。
僕は《灯名帳》を開き、考えたことの欄へ書いた。
――火を灯していなくても、その人の見方は残っている。
――斥候の火が眠っていても、僕は風上へ体を寄せる。
――門番の火を灯していない日でも、僕は立つ前に後ろを数える。
書いてから、少し怖くなった。もらっているのは技だけだと思っていた。技なら使う時に選べるのに、見方や癖は、選ぶ前に体が動いてしまう。
どこまでが僕で、どこからが受け取ったものなのか。線を引けるうちに書いておこうと思った。
◇
二日目の昼、僕は名簿を持ってエルナさんのところへ行った。
三日かかると思っていたが、二日で終わった。囲いの並び順に直した紙を渡すと、エルナさんは端から端まで目を通してから指を止める。
「この三つ目の欄は、誰に言われて作りましたか」
「誰にも言われてません。家族の数と、今いる数が合わないところがあったので」
「壁の外に残っている人が十一人。この数を、私はまだ誰からも聞いていませんでした」
エルナさんは名簿を持って立ち上がった。
「ザハルへ見せます。来てください」
◇
評定の部屋には、父さんとガランさんもいた。ガランさんの左腕はまだ布で留められているが、肩の腫れは目に見えて引いている。
ザハルさんは名簿を机へ広げ、三つ目の欄をしばらく見ていた。
「十一人。全員が生きているとは限らんな」
「限りません」
僕は答えた。
「聞いた話をそのまま書いただけです。生きているかどうかは、確かめていません」
ザハルさんの指が、四つ目の欄で止まった。
「六」
「昨日の朝、麦を取りに出た人たちです。ドルグさんと、あと五人」
「名前は」
「ドルグさんだけです。あとの五人は、家の人が名前を言いました。でも僕は、その人たちに会って名乗ってもらっていません」
僕は四つ目の欄に並んだ五つの名前を指した。
「だから、家の人から聞いた名前には、丸で囲んだ印を付けました。会って聞いた名前と混ぜたくないので」
ザハルさんは長いこと、その五行を見ていた。それから、指で欄を叩いた。
「人数を出すと、必ず助けに行く話になる。だが、生きているかどうか分からん十一人と六人のために、今から壁の外へ兵を出す余裕はない」
「分かっています」
「分かっていて、それでも数えたのはなぜだ」
責める言い方ではなかった。答えを持っていない人の聞き方だった。
僕はすぐに答えられず、少し考えてから、思ったとおりに言った。
「数えないと、いないことになるからです」
部屋が静かになった。
「壁の中の人数は数えます。外に残った人や、目的をもって出ていった人は数えません。そうすると、その人たちは初めからいなかったことになります。助けに行けなくても、いたことだけは残せると思いました」
ザハルさんは僕をしばらく見てから、名簿を巻いた。
「十二歳だと聞いたが」
「はい」
「灯守の家は、そういうことを教えるのか」
父さんが答えた。
「教えたのは、名前を書けということだけだ」
◇
部屋を出てから、ガランさんが僕の隣を歩いた。
「壁の上から、灰の獣を見たそうだな」
「見ました。灰の中に核があります」
「セラも同じことを言っていた。灯葬士の鐘なら送れる。だが、鐘は一つで、獣は七体だ」
ガランさんは動く右手で、自分の左肩の布に触れた。
「俺の大盾はもうない。剣は右手で振れるが、灰を崩すだけでは終わらん」
僕は自分の両手を見た。道を見る手と、盾を出す手。灰の奥の火まで届くものは、どちらにもない。
「届く手がいるな」
ガランさんが言った。
「どうやって手に入れるかは、俺には分からん。ただ、足りないものが何かは、はっきりした方がいい」
足りないものを数えるのは、僕の役目のはずだった。それを今日、人にやってもらった。
その日の夜、壁の外の火は十七に増えていた。




