第三十三話 願いをつなぐ
固定を終えたガランさんが、壁へ手をつかずに立ち上がった。左腕は胸の前へ留められ、大盾はもう門板の下だ。
「骨が外れているかもしれません」
「仕方がない。町に着くまでは、このままだな」
「テオさんもいませんし、それまで左腕を使わないでくださいね」
「善処する」
ガランさんは自分の足で歩き出した。歩幅は狭く、左側へ体が傾いている。それでも先頭へ出ようとしたので、父さんが右肩をつかんだ。
「今は俺が前だ。後ろはセラが見る」
「……分かった、すまない」
ガランさんは背の布包みを右手で引き出し、父さんへ渡した。地図は先頭が持ち、自分が倒れたら次はヨルンだと、村を出る前に決めていた。
ガランさんは一度だけ父さんを見て、先頭を譲った。役目を替える時に立ち止まらなくて済むよう、僕は二人の間へ入る。四人の並びが、傷に合わせて変わった。
後ろでは落ちた門板が少しずつ持ち上がり、黒い糸が隙間から伸びて、大盾の持ち手を引いている。
「急ごう」
父さんが先頭に立ち、細い通路を抜けると、石造りの広間へ出た。正面には、外の光が細く差し込む門がある。あれが西門なのだろうか。
床には白い線が何本も引かれ、広間を横切っていた。溝も段差もなく、石の色が変わっているだけだ。
扉は閉じているが、右の柱には太い留め木が通されていた。上には石の重りがつられ、縄で留め木とつながっている。
柱には簡単な絵も刻まれていた。留め木を横へ抜く絵、その次に重りが下がって扉が上がる絵。最後の絵には縄が二本並び、片方の先にだけ丸い飾りが下がっている。飾りのある方を切ると留め具が外れ、扉が自分の重さで落ちる。飾りのない方は、上がった扉を止めておくための縄だ。文字が読めない兵でも使えるように作られている。
父さんが柱の裏へ回ると、縄は二本あった。どちらも同じ太さで、同じ高さから下りている。どちらの結び目の下にも色の抜けた輪の跡が残っていたが、絵にあった丸い飾りは足元へ落ちて割れ、どちらの縄のものか分からなくなっていた。
「まずは留め木を抜けばいいってこと?」
僕が尋ねる。
「そうだ。そうすると扉が開く。その代わり、上の重りが落ちる仕組みだ」
父さんが二本を並べて握った。
「外へ出た後、片方を切れば扉が落ちる。もう片方は、上げた扉を止めている縄だ」
「どっちがどっち?」
「見分けの印が下がっていたんだろうが、朽ちて落ちている」
父さんは二本を離し、間へ指を入れた。
「間違えれば、扉は上がらないか、上がったままだ。当てずっぽうでは切れん」
「仮にどちらかを引き当てたとしても、落としたら僕たちも戻れない」
地下道は、村と町をつなぐために開けた道だ。ここをふさげば、行きも帰りも使えなくなる。
「開け直すのは、町の人手を借りてからだ」
父さんが答えた。
「開けたまま出れば、あれは町の側へ出る。俺たちの後ろにはもう誰もいないが、向こうには人がいる」
どちらを選んでも失うものがある。それでも、選べるうちに選ぶ。
「では、どちらの縄を――」
セラの声が途中で止まった。通路の奥で門板が大きな音を立て、黒い腕が一本、隙間から出てくる。
「決めるのは後だ。閉じ込められるなら、それが一番いい」
ガランさんが通路を振り返った。
次に頭。墓喰らいはガランさんの大盾をばらばらにして、金属板の一部を自分の肩へつけていた。左右でそろわなかった高さが、板の厚みでそろっている。
「白い線を踏まないで!」
僕は床を指した。壁の刻みと同じだ。あれは模様ではなく、味方へ向けて引いた印だと思う。踏むなという意味の線を、自分の兵が読めるように残したのだ。
「斥候の記憶か?」
「そう。習った覚えはないのに、意味だけ知ってる」
父さんが鉤棒の先で線の手前を叩き、固い音を確かめてから足を置く。四人は線を避け、左壁の根元へ寄った。
その白い線の内側へ、墓喰らいが石を投げる。
僕たちを狙ったのではない。わざとあの線の内側へ落としたように見えた。
石は床へ触れた瞬間、下へ消えた。薄い板で隠した落とし穴だ。
「あれも墓喰らいの能力か?」
「違うと思う。昔からある罠を、知ってるんだ」
食べた誰かの記憶に、この門の仕組みがあったのかもしれない。
白線は罠の目印だったようだ。左壁の根元には人一人分の幅で固い石が続いていて、父さんが鉤棒で確かめてから、僕たちはそこを進む。青い足跡はここでは一度も出していない。
墓喰らいも僕たちと同じ左壁へ向かう。地下道では壁と天井へ指を刺して体を引き寄せていたのに、今は四本の腕で床をかいて進んでいた。肩を補った分だけ速い。
僕たちはガランさんの歩幅に合わせて進む。あれには、合わせる相手がいない。
「セラ、あれは扉の仕掛けを開けられると思う?」
「分かりません。柱の絵を見ているのは、私たちと同じです」
固い石の道は留め木の三歩手前で途切れ、その先には、白い線が何本も重なっていた。避けて通る隙間がない。
ここから先だけは、線を読むだけでは足りない。
「使う! 地下道で一度使ったから、これで二度目だ!」
先に全員へ声をかけてから、僕は願った。
(四人が門を出て、閉じるための三歩を! 《三歩の道》!)
青い足跡が現れた。一つ目と二つ目は白い線の間を抜け、三つ目は留め木の横に垂れた二本の縄の下で止まっている。
同時に、左足へ冷たい痛みが差した。二度目はいつもこうなる。泥の冷たさも、泥をつかんだ指の感触も一緒に流れ込む。それでも、つま先は動く。
「通った! 足は動く!」
僕が先頭で一つ目を踏み、父さん、ガランさん、セラが続く。二つ目で白い線の間を抜けて、四人そろって三つ目まで進んだ。
「父さんは留め木! 縄はこっちだ!」
「どうして分かる」
「足跡が、こっちの前で止まってる!」
三つ目の足跡は、二本のうち左の縄の真下にあった。僕が願ったのは西門を開けるところまでではなく、四人が外へ出て墓喰らいを閉じ込めるところまでだ。開けるだけの道なら、足跡は留め木で終わっていたはずだ。斥候は、終わりまで含めた道しか引かない。
墓喰らいの足元にも、青黒い足跡が出た。また、まねたのだ。ただし、あれの三歩は留め木へまっすぐ向かっている。踏んだ場所はまねても、扉を閉じるという目的まではまねていない。
「三歩目! ここで終わり!」
僕が左の縄をつかみ、父さんは鉤棒を留め木の輪へかけて体重をかけた。木がきしむ。
「固い!」
ガランさんが右腕を突っ張り、父さんの背へ肩を当てた。
「息を合わせろ。俺が背を押す」
父さんが鉤棒を握り直す。ガランさんの息が僕の耳の高さで一度止まり、そこで二人が同じ拍で体重をかけた。
留め木が抜けた。石の重りが下がり、西門の扉が持ち上がる。重りが床近くまで下りると歯のついた金具がかみ合い、扉は人の背より少し高い位置で止まった。
僕が握っている縄の先は、その金具へつながっていた。足跡が示した方で合っている。外から切ればかみ合わせが外れ、扉自身の重さで閉じる仕組みだ。
朝の光が広間へ入った。
「ガランさん、先に!」
セラがガランさんの右側を支えて門の外へ出て、父さんが続く。僕はその縄を持ったまま、最後に残った。
墓喰らいが三つ目の青黒い足跡へ乗る。留め木の前だ。顔に埋まった火が、僕へ向いた。
『あなたの道を、こちらへ』
いくつもの声が重なる。けれど、僕と話そうとしているのではない。北の柵で『荷を、こちらへ』と繰り返していた、荷を引く人の火だ。引く相手が荷から、僕が持っている道へ変わっただけで、言っている形は同じだった。
それでも、胸の斥候の火が答えようとした。渡してやれば、あの中にも誰かを守る心が戻るのではないか。一瞬だけ、そう思った。
違う。今ここで差し出せば、墓喰らいはそれを僕たちを追うために使う。あれを救う方法があるとしても、それは今日の四人を差し出して探すものではない。
「道は、奪うものじゃない」
墓喰らいへではなく、自分へ言った。
「先へ進ませたい誰かがいて、無事に着かせたい誰かがいる。その願いの数だけ道がある。お前に都合のいい道なんてない」
僕は最後の青い足跡を踏み、西門の外へ出た。
父さんも、セラも、ガランさんも、先に出ている。後ろに残っている人はいない。僕たち四人を外へ出すという《三歩の道》の役目は、ここで終わった。
胸の奥にある暗い塔を思い浮かべる。一つの灯皿へ斥候の火が灯り、その隣では門番の火が眠ったままだ。
地下道で盾を呼んだ時、僕は斥候の火を灯したまま、もう一方へ手を伸ばしていた。灯皿はふさがっているのに、そこへ二つ目を置こうとしていたのだから、動くはずがない。
けれど、灯皿が一つしかないことは、二人が並べないという意味ではなかった。
斥候は道を届けられないまま死に、門番は逃げる人を守りきれないまま死んだ。別々の場所で、同じ避難戦の同じ人たちを外へ出そうとして、どちらも自分の役目を次へ渡せずに終わった。
道を届けた者が、守る者へ渡す。あの日そうつながっていれば、荷車は門を抜けられた。
「道は、ここまで届いた」
声に出して、胸の中へ言った。
「あとは、あなたの番だ」
青い足跡が消え、胸の中が一度、真っ暗になる。その暗がりへ、眠っていた火の方から灯皿へ寄ってきた。僕が引き寄せたのではない。受け取る番だと分かったから、自分で動いたように見えた。
(今度は、四人とも後ろにいる)
墓喰らいが西門を越えようと、四本の腕を伸ばす。
「《退かぬ盾》!」
十本の線を持つ青い盾が、開いた西門いっぱいに広がった。墓喰らいの腕が正面からぶつかり、石を引き抜く力が両肩へ押し寄せる。それでも、足は下がらない。
「眠らずに替えたのか!」
父さんの声がする。
「道が役目を終えて、願いをつないだんだ!」
一本目の線が光る。
「一!」
セラが盾の横から銀の鐘を鳴らし、墓喰らいの足元から青黒い火が浮いた。
「二!」
二度目の鐘で、墓喰らいのまねた三つの足跡が崩れる。黒い糸を盾の左右へ伸ばしたが、門の石枠に阻まれて、僕たちの側へは届かない。
地下道では、ほどけかけた火を別の火が引き戻していた。今は腕も糸も盾へ張りついたままだ。結び直す手が、こちらへ回ってこない。
「三! 四!」
「カイ、そのまま十まで持たせろ!」
ガランさんが動く右手で腰の片手剣を勢いよく引き抜き、そのまま父さんの方へ飛ばした。父さんはその剣を受け取り、勢いを殺さずに、僕が握っている縄を切る。
「五!」
セラの三度目の鐘が鳴り、まねた道の火が黒い灰から抜けた。同時に留め具の外れる音がして、重りの縄が逆へ走り始める。上がっていた扉が、少しずつ下り出した。
「六! 七!」
墓喰らいが盾を殴るたび、腕の骨まで揺れる。地下道では呼んでも出なかった盾が、今は両腕の先にある。
扉の下端は、まだ僕の背より高い。盾が先に砕ければ、あれは扉の下をくぐる。
「八! 九!」
石がきしみ、扉が肩の高さまで落ちた。
「十!」
青い盾が砕けると同時に、扉が墓喰らいの前へ降りた。地面が揺れ、土煙が上がる。
父さんが外側の横木を倒して扉を固定する。黒い指が下の隙間から出たが、石の扉は持ち上がらない。
「倒した?」
僕が尋ねると、ガランさんは首を横へ振った。
「止めただけだ。次に会う時は、扉の開け方も覚えていると思え」
黒い指が、扉の向こうへ引っ込む。セラは銀の鐘を扉へ近づけた。
「奥へ下がっています。すぐ扉を持ち上げる音はありません」
「では、ここで足と肩を確かめる」
父さんが初めて荷物を下ろし、残っていた水を布へ含ませて、ガランさんの額を拭いた。僕も石へ座って靴を脱ぎ、左足を見せる。腫れはないが、ふくらはぎが固くなっていた。
盾へ伝わった重さで両肩も痛むが、腕は上がるし、指も動く。胸の奥には、二つの火を替えた時の熱がまだ残っていた。
「今日は能力を使いすぎだ。歩けると言う前に、ゆっくり体を確かめろ」
父さんに言われ、僕は水を飲んでからゆっくり立ち上がり、三歩だけ進んだ。痛みはあるが、力は抜けていない。
「町まで歩ける。でも、休みながらにしてほしい」
「そうしよう」
《一灯》がなくなったわけではない。《三歩の道》が消えてから《退かぬ盾》が出たので、二つを同時には使っていない。それでも、一晩待たずに火を替えられた。
眠ることが必要だったのではない。前の火が役目を終えて、次の火へ渡すことが必要だったのだ。眠っている間に一日ぶんの役目が終わるから、朝には次の火が受け取っていたようだ。
帰ったら《灯名帳》へ書く。ただし、確かめたことの欄ではなく、考えたことの欄へ。この能力に新しい名前をつけるのは、もう一度できてからでいい。
墓喰らいは願いを理解していないのに、僕たちの技と行動を見て、少しずつまねるものを増やしている。
だとすれば、こちらが新しい手を出すたびに、墓喰らいの手も増える。次に会う時、まねられて困るものを、今日の僕が渡してしまったかもしれない。使う前に考えることが、また一つ増えた。
西門の外には草の生えた坂が続いていた。振り返れば古戦場は低い丘の向こうに隠れ、前方の山の間からは、細い煙が何本も上がっている。
「町です」
セラが言う。まだ半日は歩く道のりだ。
リナから預かった羽のお守りを袋の上から触ると、四つとも残っていた。けれど、なくさなかったことより先に、四人がここに立っていることを数える。
父さん。セラ。ガランさん。僕。四人いる。
ガランさんの肩は治療しなければならないが、それでも僕たちは、東の崩れた橋を渡らずに古戦場の西側へ抜けた。名もなき斥候が伝えられなかった道を、三歩ずつつないで。
その時、町の上空へ赤い光の輪が上がった。一つ、二つ、三つ。輪は風に流されず、同じ場所で重なっている。
「救難の術式です」
セラが銀の鐘を握り直した。
「塔に刻まれた大きな術式が上がっています。あの意味は、助けを呼んでいるということです」
古戦場を抜ければ助けを呼べると思っていた。けれど半日先の町もまた、助けを呼んでいた。




