第三十二話 一つしか選べない
「止まるな。門の向こうへ進め」
布をかぶせた油灯が、床だけを細く照らしている。その光の中へ黒い糸が入ってきた。糸は僕たちが曲がった場所で同じように曲がり、立ち止まった場所で一度止まる。灯りを絞っても、進んだ順にたどってくる。
届いているのは糸だけだ。ガランさんが足元の一本を踏んで片手剣で切ると、切れた端は地面へ落ちず、暗がりの奥へ戻っていく。それでも同じ場所から、新しい糸が何本も伸びてきた。
「あれは灯りを見ていない。追ってるのは俺たちの通った跡だ」
ガランさんが布をはねのけ、地下道の奥へ灯りを向けた。隠す意味がなくなったなら、足元が見える方がいい。光の端に、壁へ指をかけた腕が一本だけ浮かんだ。体はまだ、灯りの届かないところにいる。
ガランさんは短剣で、腰を結んでいた縄も切った。
「ここからは互いに引かれる方が危険だ。縄を捨てる!」
僕たちも順に結び目を外し、父さんが自分の縄を最後にまとめて、墓喰らいの通る床へ投げた。
黒い糸が人と間違えたように縄へ巻きつく。その一息で、四人は横倒しの荷車を越え、片側だけ残った門へ走った。
振り返ると、糸はまだ縄をほどこうとしていた。腕は荷車の向こうで壁を探っている。走った分だけ、距離が開いた。
石段は上へ続いていたが、十段目から先が、倒れた門板と土砂でふさがれている。
「この向こうに風がある」
父さんが隙間へ手を当てる。
「板を持ち上げれば通れる」
父さんとガランさんが、倒れた門板の下へ鉤棒と大盾の縁を差し込んだ。
「一度で上げない。土を落としながら少しずつだ」
二人が持ち手へ体重をかけると、門板は指一本分だけ浮いた。僕は荷車から折れた板の切れ端を拾って隙間へ入れ、戻らないよう支える。次は指二本分。セラが二つ目を入れた。
力の強い二人が門板を押し上げ、上がった分だけ僕とセラが木片を差し込む。二人が息をついても板は木片で止まり、そこからまた押し上げられる。四人がかりで、少しずつ高くしていく。
セラが背後へ短槍を向ける。地下道の暗闇から、墓喰らいの腕が現れた。
一本、二本、三本。
黒い灰をまとった本体が、壁と天井へ指をかけながら近づいてくる。柱の下で形を失ったはずの体は、別の鎧板と骨を混ぜて組み直されていた。肩の高さが左右でそろっていない。
「あれだけ早く戻るの?」
「体を倒しても、残火を送り切らなければ灰が形を作り直すと教わりました」
ただ、組み直したばかりの体では思うように移動できないらしい。そろわない肩をかばうように、壁と天井へ指を刺して体を引き寄せている。人が歩くより遅い。
「あと、どれくらいだ」
ガランさんが門板から目を離さずに聞く。セラが鐘を小さく振り、返りを聞いた。
「三十歩ほどです」
あの速さなら、門板を一人が出られる高さまで上げるより長い。ガランさんも同じ計算をしたはずだ。
「なら、扉が先だ」
けれど、このままでは追いつけないことは、あれにも分かったらしい。四本の腕が地下道の壁へ広がり、石が一つずつ引き抜かれていく。遠くから荷を引く技を、今度は壁の石へ向けているのだ。
自分の足で届かない分を、石で埋めるつもりだ。
「伏せろ!」
ガランさんが大盾を墓喰らいの側へ構えた。石が飛んで盾へぶつかり、重い音が狭い道へ響く。二つ目、三つ目と続けて当たり、盾の陰から外れた一つが父さんの足元をかすめた。
抜かれた石は、まだいくつも宙で揺れている。大盾一つでは、石段の前に並ぶ四人の幅を覆いきれない。
「二十歩!」
しかも石が抜けたのは、僕たちが背にしている門の壁だった。支えを失った土が天井から落ち、斜めに残っていた門の上部が動いて、石段へ倒れ始める。
「《退かぬ盾》が必要だ」
僕は両腕を前へ出し、胸の奥へ呼びかけた。
(門番の火。今だけでいい。《退かぬ盾》!)
何も起きない。両腕へ重さが移る感覚も、正面に青い盾が立つ光もなかった。焦ってもう一度呼びかけても、胸の奥で揺れるのは今灯っている斥候の火だけだ。
門番の火は消えたわけではなく、《一灯》の奥で眠っている。今は使えないと分かっていた力を、危険になってから欲しがっているだけだ。
「出ない!」
「何がだ!」
父さんが門板を支えながら叫ぶ。
「盾。《一灯》で眠ってる。今は変えられない!」
ガランさんは一度だけ僕を見た。
「なら、ない力を待つな。今ある道を使え」
叱る声ではなく、僕の両腕を、出ない盾へ向けたままにさせないための声だった。僕は手を下ろし、床と壁へ目を向ける。
その間にガランさんは大盾を持ち上げ、倒れてくる門の下へ入った。両足を開き、盾の上端を門板へ当てる。
「ガランさん!」
「十まで持たせる。お前たちは出口を開けろ」
門板の重さが大盾へかかり、ガランさんの膝が曲がった。
「一!」
自分で数え始める。父さんが鉤棒を門板の隙間へ入れて土をかき出し、セラも短槍の石突きで小石を落とした。
「二!」
墓喰らいが次の石を引く。
(全員が門の向こうへ抜ける三歩を。《三歩の道》!)
青い足跡が向かった先は、持ち上がった門板の下ではなく、右の壁だった。
「出口は門の下じゃない。右壁の石を外して!」
「なぜ分かる!」
「足跡が壁の前で止まってる!」
「三!」
父さんが右壁を鉤棒でたたく。セラは墓喰らいへ向けていた短槍を一度だけ下げ、父さんの灯りを壁へ近づけた。石の継ぎ目が、光の中に浮かぶ。
一か所だけ、音が高い。薄い石で空洞をふさいであるのだ。
「ここだ!」
鉤棒の先を隙間へ差して引くと、石が外れて冷たい風が入った。
「四!」
セラと僕も石を運ぶが、穴はまだ頭が通るだけだ。その間にも、墓喰らいの糸がガランさんの盾へ巻きついていく。
「五!」
大盾が暗闇側へ引かれる。ガランさんは片腕を持ち手へ通し、もう一方の手で門板を支えた。顔が苦痛にゆがむ。
糸が届くところまで来たなら、鐘も届く。セラが短槍を構えたまま盾の横へ踏み出し、送るために鳴らした。
盾へ巻きついた糸の中で、青い火が一つほどけかけた。けれど糸をたどって奥から別の火が引き、ほどけかけた火はまた黒い灰へ沈む。
「送れません! 残火同士を結んでいます!」
僕には、糸の中の青い火が見えた。一つずつ離れて並んでいるのではない。細い線で数珠のようにつながり、その先が暗がりの体へ戻っている。一つをほどこうとしても、残り全部が結び直す。
「北の柵の時は、一つだけ抜けたのに!」
「あの時に覚えたんでしょう」
まねるのは技だけではなかった。倒された方法まで覚えて、次はふさいでくる。次は同じ倒し方を使えんと思っておけ、とガランさんが言ったとおりだ。
「六!」
「ガランさん、盾を離して!」
セラが叫ぶ。
「離せば門が落ちる。穴を広げろ!」
父さんが二つ目の石を外すと、人一人が横向きに通れる広さになった。
「カイ、セラ、先に行け!」
「分かった!」
「七!」
穴の向こうは短い石の通路で、落とし穴も白喰いも見えない。ただし、床には黒い灰が一本だけ続いていた。
「墓喰らいが先に通った跡?」
「古い灰です。今の本体とはつながっていません」
セラが短く答える。安全ではないが、今いる墓喰らいと同じ速さで動く危険はない。僕は一つ目の足跡へ入り、次の足跡を確かめた。
「通れる! セラ、先に!」
セラが穴を抜ける。
「八!」
僕も続く。父さんは最後まで残り、ガランさんへ手を伸ばした。
「九!」
墓喰らいが大盾を強く引き、ガランさんの左肩から鈍い音がした。それでも手を離さない。
「十!」
父さんがガランさんの腕を引く。ガランさんは大盾を門板の下へ残したまま穴へ飛び込み、四人が奥の通路側へ転がった。
直後、門板が落ちた。大盾ごと道をふさぎ、墓喰らいの腕を向こう側へ押し戻す。
ガランさんは左肩を押さえて壁へ座り込んだ。肩の位置が右と違っていて、セラが触れると歯を食いしばる。
「無理に戻しません。布で固定します」
「あとでいい。あれが門を動かす」
「固定しなければ、次に転んだ時、腕が使えなくなるかもしれません」
セラは譲らず、父さんも通路の奥を確認してからうなずいた。
「……分かった。頼む」
セラがガランさんの左腕を胸へ留めた。
「動かせる?」
「上へは上がらん。だが歩ける」
能力のない大盾が、僕たち三人のために十を作った。門番の火を持っているのは僕なのに、数えたのはガランさんだった。
僕は《退かぬ盾》を持っているのに、必要な時に選べなければ使えない。暗い塔に灯皿が一つしかないことが、今までで一番重く感じられた。
門の向こうから、石を引く音がした。墓喰らいが、落ちた門板を少しずつ動かし始めている。




