第三十一話 同じ避難戦
地下道の先に残っていた門は、片側だけが倒れていた。木は黒く変わって触れれば崩れそうなのに、鉄の帯と大きな蝶番だけは形を保っている。
門の手前には荷車が横向きに倒れていて、片方の車輪が外れ、さっきガランさんが拾った板と同じ形の部品が散らばっていた。
僕は足を止めた。腰の縄が後ろへ張り、セラも止まる。
「どうした」
父さんの声は低い。急かしてはいないが、灯りは僕の足元から動かなかった。
「……見覚えがある」
言ってから、自分でも引っかかった。この道を歩くのは今日が初めてなのに、外れた車輪の位置まで知っている気がする。
「そうだ。盾の残火の記憶だ」
父さんが僕の顔をのぞき込んだ。水路で一度、記憶へ引かれたのを見ているからだ。
「今の自分は分かるか」
「うん、分かる。引かれてはいないよ。門番が見たものを、思い出しただけだと思う」
水路の時とは違う。息が水へ沈む感覚もなく、足も動く。過去の景色と現在の門を、並べて見る余裕があった。
「……ここは、あの人が守っていた門だ」
声が思ったより小さくなった。父さんが灯りを上げる。
「坂で荷車が倒れて、老人と、子どもが二人残されていた。門番はその人たちを門の内側へ入れようとしていた」
門番の記憶では門の向こうに空が見えていたのに、今は天井まで土に覆われて、地下道の一部になっている。百年以上の間に、崩れた建物と土が門を埋めたのだろう。
荷車の下をのぞいても骨は見当たらなかったが、ガランさんが割れた板を一枚どけると、積もった土の下から、子どもの革靴のようなものが片方だけ出てきた。
拾い上げず、灯りを近づけて確かめる。留め具は外れ、内側まで泥が入り込んでいた。
「これ、この子が死んだ証拠じゃ、ないよね」
誰かに違うと言ってほしくて口にした。
「逃げる途中で脱げて、そのままにしたのかもしれない」
「そうです。物だけで最後を決めてはいけません」
セラが応じた。分からないものを悲しい結末へ寄せることも、都合のよい結末へ寄せることも、どちらも記録を変えることになる。
セラが銀の鐘を近づける。
「ここに強い残火はありません。長い時間で薄くなったか、別の場所へ移ったのでしょう」
「移った先なら知ってる。鐘楼の門石だ」
あの石は鐘楼を建てた時に古戦場の古い門跡から運ばれたと、父さんから聞いていた。ただ、どの門だったかまでは村の誰も知らない。
「石が抜かれてるところ、ないかな」
父さんが右側の土台を照らすと、同じ大きさの石が並ぶ中に、一か所だけ四角い穴が開いていた。内側にはてこの先を入れた傷が残っている。自然に抜け落ちたのではなく、誰かが重い石を運び出した跡だ。
穴の幅は、鐘楼の下にあった門石とほとんど同じだ。僕が縁へ手を触れると、冷たいのに、鐘楼の石を触った時とよく似た手ざわりがした。
「戦のあと、村の人がここまで来たんだ。あの人が最後に触れた石を選んで持ち帰って、その石と一緒に、残火も村へ来た」
「残火が残っているとも知らずに、鐘を支える石として持ち帰ったわけか」
ガランさんが言う。
「昔の村人にも、その石だけがほかより頑丈に見えたのかもしれません。理由は説明できないまま、鐘を支えるならこれだと選んだのでしょう」
セラの銀の鐘が、ごく小さく鳴った。
倒れた荷車の周りを見ると、壁には三本一組の刻みが残っていた。右へ三歩、門の手前で左へ三歩。荷車が道をふさぐ前なら、人が一列で門を抜けられる道だ。
胸の中で、もう一つの残火が揺れた。今は眠っている《退かぬ盾》の火だ。二つの記憶が重なる。
斥候は、避難民を罠の谷へ行かせないため、安全な細道の地図を運んだ。
門番は、避難する荷車が坂を下るまで、壊れた門を十だけ支えた。
「あの二人……」
声が勝手に出ていた。
「なんだ」
ガランさんが振り返る。
「斥候と門番は、同じ人たちを助けようとしてたんじゃないかな」
木の地図を開くと、斥候が見つけた細道の印は、補給路の東側からこの門へ続いていた。門の外には罠がある谷、内側には荷車が通る坂。
「斥候の地図が届けば、避難する人たちはこの補給路から門へ来られた」
父さんが線を指でたどる。
「だが、斥候は途中で死んだ。軍と避難民の一部は、罠の谷へ進んだ」
「別の一部は、自分たちでこの門まで来たのかもしれない」
ガランさんが横倒しの荷車を見る。
「正しい道順が届かず、一度に門へ集まった。荷車が倒れ、門番は最後尾を見失った」
確かな記録はないから、二人が同じ避難戦にいたと断定はできない。けれど地図と刻みと二つの記憶は、少なくとも同じ場所を指している。記録が残らなかった理由なら、いくらでも考えられる。
斥候は門の外から道を届けようとし、門番は門の内側で時間を作ろうとした。もし斥候の地図が間に合っていれば、荷車は一台ずつ門へ来られたかもしれないし、門番が十を作らなければ、正しい道を知っていた人まで門の前で追いつかれたかもしれない。
二人の失敗を比べても意味はない。どちらも、自分の場所で足りないものを埋めようとしていた。その足りなかった部分を、百年以上あとに僕たちが一枚の地図でつないでいる。
二人は互いの名を知らないまま死んだ。自分のしたことがもう一人の願いへつながっていたことも、知らないまま。
「僕は、別々の時代の人から別々の能力をもらったと思ってた」
「違った?」
セラが尋ねる。
「人は別だよ。でも、二つの願いは同じ避難戦の中にあったのかもしれない。時期も、同じだったのかもしれない。片方だけじゃ、人を外へ出せなかった」
セラは相づちを打たず、僕が続けるのを待っていた。
「帰ったら、まずは僕の考えとして書く。別の記録が見つかってから、確かめたことの欄へ移す」
残火が強く揺れたからといって、推測を事実に変えてはいけない。
安全な道があっても、通る時間がなければ進めない。盾が時間を作っても、どこへ逃げるか分からなければ取り残される。
《三歩の道》と《退かぬ盾》は、最初から組み合わせるために生まれたわけではない。それでも、二人ができなかったことを僕の中でつなぐことはできるはずだ。今は《一灯》のせいで同時には使えず、そのことを、初めて悔しいと思った。
「同時に使えたら、道を見ながら盾で守れる」
「できることは増えます」
セラはすぐに賛成せず、続けた。
「でも、二つの痛みも同時に受けるかもしれません。左足が動かず、両腕も上がらなくなったら、今より危険です」
増えた力を全部使えることが、そのまま強さになるわけではないのだ。
「使い方を見つける前に、《一灯》を崩そうとしない」
僕はそう決めた。
「その人たちの名前は、まだ分からないか」
「今は、まだ分からない」
僕は《灯名帳》を開かなかった。壁の刻みを写した時のように、線を数えるだけでは済まない。
「帰ってから、地図と一緒に書く。二人が同じ人たちを助けようとしたことを」
「それでいい」
ガランさんが倒れた門の先へ灯りを向けた。
「ここは終わりじゃない。西門の外へ出るまでが道だ。進むぞ」
ガランさんは荷車を越え、片側だけ残った門を調べた。門の奥には上へ向かう石段があり、土の隙間からごく弱い風が入っている。西側へ近づいているのだ。
僕たちが進もうとした時、倒れた荷車の下で黒い粉が動いた。古い灰ではない。一本の細い糸になって、僕たちが来た道へ伸びていく。その中で、小さな青い火が脈を打った。
ガランさんが自分の油灯へ厚い布をかぶせ、足元へ落ちるぶんだけ端をめくった。父さんとセラにも、同じようにしろと手で示す。
「北の灯籠を消したやつだ。火のありかは読まれるかもしれん」
三人が同じ形に布をかぶせると、光は細く床をなでるだけになり、壁も天井も見えなくなった。
音は効かない相手だと、もう分かっている。だとすれば、こちらから渡さずに済む手掛かりは灯りだけだ。ほとんど暗闇になった道の先で、石をこする音が遠くから一度した。
糸が残した青い火だけが、床の高さでこちらへ向かってくる。灯りを絞っても、迷う様子は少しもなかった。
同じ道を、追ってきていた。




