↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名もなき英雄の残火 ~死者の技を継ぐたび、少年は強くなる~  作者: 冬月樹
第一部 青い火の古戦場

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/79

第三十話 三歩の符丁

 夜明け前、墓地下道の入口が開いた。村人たちが二日かけて土を運び出し、人一人がかがんで通れるだけの隙間を作ったのだ。白喰いが入れるほど広くはなく、入口の左右には新しい丸太を立てて、上から土が落ちないよう板を渡してある。


 外にはダリオさんと村人二人が残り、僕たちの縄が全部入ったあと、白い布を入口へ結ぶ。布が内側へ引かれ続けているうちは空気が流れていて、動かなくなればそれ以上奥へ進まない合図になる。


 先頭はガランさん、次に父さん、僕と続いて、最後がセラだ。四人とも腰へ縄を結び、前の人と二歩分の間を空けた。誰かが穴へ落ちても全員が同時に引かれない長さで、結び目は自分でも外せる向きにしてある。崩れた石へ一人だけ挟まれた時、残る三人まで引き込まれないためだ。


「行ってらっしゃい」


 母さんの声が外から聞こえた。


「行ってきます」


 僕は振り返らずに答えた。


「入口は開けておく。四人の声を聞くまで、交代でここにいる」


 ダリオさんが支柱をたたく。


「頼んだ」


 父さんが答え、暗い地下道へ入った。


 灯りは三つ。ガランさんと父さんが油灯を持ち、セラは銀の鐘を握るため灯りを背負っている。僕は両手を空けたまま、《灯名帳》を服の内側へ入れた。


 最初の崩落を越えると人が立てる高さになり、壁は同じ大きさの石を積んで、天井は平たい石板でふさいであった。その表面に、白喰いが通った爪跡と、黒い灰が流れた細い線が残っている。


「灰は新しいか」


 父さんが尋ねると、セラが鐘を近づけた。


「新しくはありません。鐘の返りが弱く、すぐ近くに墓喰らいもいません」


「いないと決めつけるな。いつでも用心しておけ」


 ガランさんが念を押す。


 父さんが一度だけ後ろを振り返った。入口から続く白い布は、まだ内側へ引かれている。


「風は生きてる」


 空気が流れているなら、この先も塞がりきってはいない。外のダリオさんたちにも布が動いているのは見えているから、声が届かなくても、道が生きていることだけは互いに分かる。


 しばらく進むと、道が二つに分かれた。ガランさんが止まるより先に腰の縄が張り、父さん、僕、セラの順に足を止める。


 四人が別々の場所を見ていることを確かめてから、ガランさんは灯りを高くした。天井、床、左右の壁。道の先だけを見て進めば、頭上の落石を見落とす。


 右は広くまっすぐ続き、左は狭くて少し下っていた。木の地図では補給路が左へ曲がっているのに、その左の入口にかぎって落石が多い。


「地図が古い。右へ道が作り直された可能性もある」


 父さんが灯りを周りへ向ける。光が右の壁をなでた時、石の面に細い影が並んだ。


 光はすぐ先へ移ってしまう。二歩前で揺れている父さんの灯りへ、声をかけた。


「父さん! そこの壁を明るくして」


 灯りが戻り、近づいてくる。三本の縦線がうっすらと残っていた。離して見れば、石の傷と見分けがつかない。左の壁には、横線が三本。


「この印は……?」


 胸の奥で斥候の火が強く揺れた。痛みではなく、指先で石へ線を刻んだ時の感覚だった。


 暗い夜道。声を出せない斥候たち。先頭の者が後ろへ戻り、右手の指を三本立てる。


 三歩右へ。


 次の者が同じ合図を、さらに後ろへ送る。斥候の指には小さな切り傷がいくつもあり、壁へ刻む道具を失った時は、石の角を拾って印を残していた。泥の場所では三つの小山を作り、風で消える場所では短い布を三回結ぶというように、同じ意味を場所に合わせて違う形へ変えている。


 左の手を横へ倒し、三本の指を出す。


 三歩左へ。


 戦場では、言葉を使えば敵に気づかれるし、地図を広げる灯りも使えない。だから三歩ごとに足場を覚え、指と壁の刻みで後ろへ伝えた。


「符丁(ふちょう)だ」


「何か見えたのか?」


 様子が変わった僕の隣へ、父さんが来る。


「斥候たちは、声を出せない場所で三本の指を使ってた。縦の三本は三歩先で右。横の三本は三歩先で左」


 父さんはすぐには答えなかった。


「……不思議だな」


 壁の刻みへ目を戻す。責める調子ではない。自分の中で納まらないものを、声に出して確かめているようだった。


「百年以上、誰も読めなかった印だ。それを今日、お前が読んだ」


「斥候の記憶だとしか、僕にも言えない」


「疑ってるわけじゃない」


 父さんは少し黙ってから、続けた。


「ただ、俺は自分で納得してから道を選びたい。この印は何と読む。俺にも確かめられる形で聞かせてくれ」


 当たり前の頼みだと思った。読める者が百年以上いなかった印を、僕が読めたと言うだけでは、父さんの側には何も残らない。


 僕は分かれ道の三歩手前へ戻った。縦線は右の壁にあるが、その上端だけが左へ削られている。


「右へ行け、じゃない。三歩進んでから右を避けろ、だと思う」


「それも残火の記憶か?」


 ガランさんが尋ねる。


「うん。斥候の記憶で、危険な方へ手を向けてから、反対の手で指を三本見せた。印の向きと、進む向きは別なんだ」


 言葉にすると、自分でも確信が揺らいだ。


「能力で確かめますか?」


 セラが言う。


「先に、自分で調べる」


 もし間違っていれば《三歩の道》を使う。使わないことに意地を張って、三人を危険へ連れていくつもりはない。僕はそのことも声にした。


「小石で確かめて、分からなければ能力で見る」


「そうだな。使える力があるからといって、それだけに頼り切らないのも大事だ」


 父さんが答えた。


 ガランさんが右の道へ小石を転がすと、五歩分ほど進んだところで石が消え、落ちた音がずっと下から返ってきた。右の床は、薄い石板で穴を隠していたのだ。


 セラが銀の鐘を穴の上へ近づけたが、底から残火の反応はない。


「墓喰らいの罠ではありません。少なくとも、残火を使って作ったものではなさそうです」


「戦の時からある落とし穴か」


 ガランさんは石をもう一つ落とし、底までの時間を数えた。しばらくしてから、小さく高い音が返ってくる。


「深い。落ちれば、縄があっても上げられん」


 三本の刻みがなければ、僕たちは広くて歩きやすい右を選んでいた。


「印どおりだ」


 父さんが左の狭い道を見る。


「三歩先で右を避け、左へ入る」


 僕は《三歩の道》を使わなかった。斥候が能力を得る前に積み上げていた知識だけで、安全な分岐を選べたことになる。


 分かれ道の三歩手前へ戻り、足元の石を拾う。百年以上の間に刻みは浅くなっており、上端の削りも、灯りを横から当てなければ分からない。刻む道具は持っていないが、斥候たちも道具を失えばこうしていた。


 石の角を壁へ当てたところで、手が止まった。これは百年以上前の誰かが刻んだ跡で、上から削ればその人の手の形は消えてしまう。けれど読めないまま残せば、この先を通る誰も助からない。


 僕は先に《灯名帳》へ線の長さと角度をそのまま写し、それから同じ線をもう一度深く削った。


「読める者がいなければ、意味がないぞ」


 ガランさんが言う。


「今日は僕たちが読めた。それに、帰ったら《灯名帳》へ書く」


 書いておけば、読める人は増える。百年以上前の斥候は伝える相手を選べず、誰が通るかも分からない道へ、それでも印を残した。今は、伝える先が決まっている。


 左の道へ入ると、壁の刻みは三歩ごとに続いていた。右へ三歩、左へ三歩、低い石を越えて、天井の割れ目から離れる。


 セラは歩きながら、時々鐘を壁へ近づけていた。


「石にも、細かな響きが残っています」


「墓喰らいなの?」


「いえ。長くここにいた人たちの、ごく薄い残火だと思います」


 荷を運び、道を守り、ここで働いていた人がいる。その人たちが誰だったかは壁の石も覚えていないが、刻みを読むたびに、名もなき斥候の記憶が少しずつ言葉になっていった。


「《三歩の道》は、あの人が突然得た力じゃない」


 僕は前を歩く父さんへ言った。


「何度も三歩ずつ道を覚えて、仲間へ伝え続けたから、最後に残った願いも三歩の形になったんだ」


「なら、能力を使わず読めるようになることも、受け継ぐことだな」


「うん」


 読めるようになれば、青い足跡がなければ何もできない僕ではなくなる。死者の技を増やすことだけが、強くなるという意味ではないはずだ。


 壁の刻みの先で道は上り始め、土の匂いに古い木の匂いが混じった。


 ガランさんが灯りを低くして足元から細い板を拾い、指で表面をなでてから、折れ口を灯りへ近づけた。


「カイ、これを見ろ」


 板は緩く弧を描き、片面だけがつるりとしている。


「荷車の車輪だ。外側がすり減ってる」


「すり減るほど使ったってこと?」


「重い物を積んで、何度も往復した車輪だ。補給路なら当たり前だがな」


 ガランさんは折れ口へ親指を当てた。


「ただ、これは腐って落ちたんじゃなさそうだ。割れ落ちたように見えるな」


 受け取ると思ったより軽く、百年以上たって木が形を保っているのは、この地下が乾いているからだろう。弧の内側だけが黒く汚れ、外側は白っぽく毛羽立っていた。


 何度も通った荷車の車輪がここで割れているなら、その荷車は通り抜けずに、ここで止まったことになる。


「帳面に書くか」


「暗いところで長く止まりたくない。落ちてた場所だけ覚えておく」


 板を拾った場所へ戻し、壁の刻みからの歩数を数え直す。父さんが灯りを先へ向けると、さらに奥に、壊れた門の形が暗闇の中へ浮かんでいた。


 門の前で、四人は一度だけ水を飲んだ。入口からここまでは予定より短く、油灯の残りも多い。後ろの白い布から続く風が、今も頬に当たっている。引き返す条件には、まだ一つも当てはまっていなかった。


 それを全員で確かめてから、僕たちは門へ近づいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。